晴耕雨読

長いサラリーマン生活を終え、悠々自適の生活を楽しんでいる60代
と言ってスタートしたがもう古希を迎えた

故郷の実家取り壊しのため日帰りで帰省する

2010-11-09 | 我が家の出来事
実家の取り壊しの相談のため日帰りで新潟県村上市に帰る。
横浜線の朝1番の電車はちょうど席が埋まるくらいの乗客があった。
皆さんこんなに早くから仕事に出かけるのか、ご苦労様です。
東京駅発の上越新幹線1番に乗るがこれも自由席は乗る人が多い、金帰月来のサラリーマンなのか。

トンネルを越えると懐かしい越後の国に入る、昔は越後弁の聞こえてきてほっとしたものだったが今は…。
新潟でそこに来ていた快速ベニバナ号に乗ってみる、米坂線経由で米沢まで行く観光列車である。
わずか2両編成で、時期的なものなのか観光客はいなくて地元の人たちばかりだ。
車内放送のお粗末に驚く、言葉の初めが途切れて聞こえない、これで観光列車と言えるのか。

電車の両側は広大な越後平野、岩船米で知られるコシヒカリの収穫も終わって静かになっている。
人気のない無人駅にただ一人だけ降り、建築屋に顔を出す。
壊し屋さんと一通りの打ち合わせをしてから無人の我が家(実家)に入る。
1年前に来て以来のことだが、母屋はすぐにでも住めるようしっかりはしている。

しかし先日風で崩落した土蔵の鞘といわれる覆い部分は想像以上に無残になっている。
明治10年に建てられた土蔵の本体は一抱えもある立派な梁があって丈夫そのものだ。
無人のままで放置して20年、またも近隣に迷惑をかけるわけにいかず、取り壊しを決意した。
これでこの地と縁が切れてしまうのかと思うとさみしさがこみあげてくる。

お寺の住職に来てもらい仏壇などの取り壊しのためのお経をあげてもらう。
ガス、水道、電気はすでに切ってあるので真っ暗で寒い中で市内に住む姉と一緒に拝んだ。
今回一番迷惑をかけた隣人には、家に上げてもらい1時間以上昔話をさせてもらった。
壊した植木などについては済んだことだと寛大に許してくれ有難かった。

これからの工事で迷惑をかける向こう3軒両隣に挨拶をし帰路に就く。
土蔵の中に貴重なものがあるかもしれない、両親の着物なども見受けられる。
だが今更分別している時間はない、もったいないかもしれないが目を瞑って捨てるしかない。
年内には更地になる我が家、私の代だけでも人手に渡すのはやめたい。