退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#484: 親

2015-05-05 20:29:22 | アメリカ便り
昨日は夕方から8時まで、いとこと居酒屋へ行ってきました。
この飲み会も、この2年ほど私が帰って来た時の恒例となってきた感じがします。
何でも話せる同年代(いとこは10歳ほど若いので、同年代と呼ぶにはかわいそうですが)の身内がいるというだけでうれしいです。
今までこういったことをしなかったのが残念です。
これからもっともっと親密を深めて行きたいと思います。
覚悟していてください。
しかしながら、二人して2時間飲み放題でトマトの焼酎割り4杯(ぐらい)とビール1杯とは、なかなか。

私は自分の母親ながら、あの人のように生きたくはないと小さい時から思っていました。
アル中で家庭を顧みなかった父親にもまして、母は長年ボランティア活動に中毒的にはまっていました。
給料の大半は飲み屋に行っていたため、母は内職をして生計を立てていましたが、時間ができると“家にいたくないのでは”と子供の私が感じるほど外でボランティア活動をしていました。
80歳近くになって自分の能力に限界を感じ、活動から一切手を引くまで、40年以上ボランティアにはまり続けていました。
父親が退職し、今の家に(母の実家のとなり)移ってからは、ボランティア活動にますます拍車がかかり、酒をやめた父親を一人家に残し家にいることはほとんどなかった。
私が10ヶ月の子供を連れて、地球の反対側から来ても、その生活には変わりはなかった。
朝、私たちが起きる頃にはもう家にはいない、なんてことはいつものこと。
そんな母を見ていたため、私は母とはまるっきり違う人間になろうと思っていました。
手に職を持ち、亭主に頼らず、子供は手をかけて育てると。
今、私の子供は手をかけすぎたため24歳と26歳と言う年ながら、先が定まらない大人になってしまった感じがします。
この先どうなるかまるっきり分かりません。
結局はよかったんだか、悪かったんだか。
娘には“お母さんが頼れる人になりすぎた”とか分からないことをいわれています。
息子とは最低限の会話しかありません。
一度、歯医者で順番待ちをしていると、私の次に来た人が大学生の息子に電話をし始めました。
内容をなんとなく聞いていると、どこの家庭も同じだと思わせるものでした。
“お母さんが話しているのに、そんな風にしか返事ができないの”、“ガチャ”といった感じ。
きっと息子から帰ってくる返事は“あ~”とか“ん”しかないんでしょう。
うちだけでないんだと少しは安心しましたが、、、
親になると言うことは大変なことです。
なんとなく、独り言のようなブログでした。