横浜から北海道の山村に移り住んだ、我が家のつぶやき

北海道追分に移り住み5年。今度は追分から恵庭へ。毎日が新鮮で愉しい事だらけ。そんな生活を気まぐれにおしゃべりしています。

春が来ていたのに・・・

2012年04月30日 02時29分26秒 | 季節

店に出ずに、久しぶりにのんびりゆったり散歩をした。

風はなく暖かい。

雪はすっかり消え、牧草の緑が春を告げている。

朝からざわざわしながら仕事に行っていたら、目の前の春に気がつかなかった。

水仙があちらこちらに花開き、

我が家の池には水芭蕉が白い顔を覗かせ、春を先取りしていたふきのとうはすっかり背丈を伸ばし、綿帽子を飛ばしている。てんぷらや蕗味噌にしたら美味しかったのに、我が家にいくらでもあったのに・・・・・

さくらもモコも久しぶりのゆったりした散歩を愉しんでいる。

 

人の物になったメロン畑にも行ってみると、

防雪林だった木が倒されている。畑を広く使うんだね。

去年植えておいたネギは健在だ。種から育てた宿根かすみ草が芽を出している。

種から育てた4年目のアスパラも顔を覗かせている。

ラベンダーも元気だ。いちごも元気。

耕畑をしない内に、掘りあげて持ってこよっと。

またちょっぴりセンチになっちゃった。

畑で野菜や花作りをしているのが一番楽しかったもの。

今年は時間がちょっと足りないだけで出来ない訳じゃないから、ぼちぼちやろうっと。

もう少ししたら、たらの芽と山うどが採れる。野セリも野三つ葉も採れる。

ワラビも採れる。

我が家は山菜の宝庫だ。

お店は大事だけど、心の安定も必要。

バランスよく時間を作っていかなくちゃ。

 

 

 


寝不足の運転は事故のもと

2012年04月30日 01時45分53秒 | まちこつぶやき

昨日、大変な惨事になった観光バスの事故。

原因は運転手の居眠り運転だった。

 

ド~ン!!  ガチャン!!

気がついたら路肩の街路樹に車がぶつかっていた。

すぐ前を走っていたおとうさんが飛んできた。

一瞬の居眠り運転だった。

前日、一睡も出来ず朝を迎え、大型の買取りがあるのでハイエースと軽トラの二台で行くことに。

この日、東京に行った息子を恵庭の駅に迎えに行くところで、その恵庭の駅を目前とした追突。

家を出るときとっても不安で、眠気防止ガムを持ち、大きな声で歌ったり、窓を開けたり、あともう少しのところだった。

街路樹にぶつからなかったら・・・・

歩道を歩く人を巻き込んだかもしれない。

人を巻き込まなかったら、すぐ側の民家に飛び込んでいたかもしれない。

車は・・・・・

相当修理費がかさむ様子。7月には車検。

“直さないで買った方がいいかな~” おとうさんがつぶやく。

ごめんなさい。

お金が掛かることばかり。

あ~~~~~~

まずは軽トラがないと仕事に支障をきたす。

一回人から借りたけど毎回はすまない。

誰か~~~~軽トラを安く譲って下さい~~~

今日テレビの番組で大笑い。

笑うたびに胸がチクッと痛む。

ハンドルで胸をぶつけてるからね。

この位の痛みなんか、軽トラの被害からすればなんちゃない。

寝不足時は運転をしない。

運転中眠くなったら、一旦停車する。

そう、途中不安になって停めようかな~って思ったのにそのまま運転した結果が・・・

寝不足は事故の元。

それから車を運転していない。

おとうさんと息子、“もう真知子には運転させないよ。”

やった~! いつも助手席で安心して居眠りできるんだ~!

 

 

 

 

 


自身の生き様は自身で。

2012年04月30日 00時34分41秒 | 家族

四泊五日で横浜を訪ね、北海道に戻って2日目、母の入所するホームからの電話。

“もしかしたら・・・”

“お母様は退院されました。”

“退院? ありがとうございます。お世話になりました。”

ちょっと拍子抜け。

だいぶ強く担当医に退院を迫った様子。

やるもんだ。

まだしばらくは来世と縁がなさそうか。

90にしていまだ気力衰えず。

自身の生きざまを正確にしっかり認める。
自身の生きざまは大切なものを巻き込む。
時は戻らない。
自身の心の激しい葛藤は自身で解放する。
今を感謝し素直に現実を認める。

私自身、過去の生き様は大切な家族を巻き込んだ。

その時は見えなかった。

いや、見えていたけど見ないふりをしていた。

一ヶ月前、今一緒に暮らす27歳の息子から、巻き込まれた子供の心情と批判を聞かされた。

触れられたくない自分の愚かさが暴露された。

理由はともかく事実だから、しっかり認めなくちゃ。

時は戻らない。

自身の激しい葛藤は自身で解放しなければ。

家族と暮らす今の幸せに心から感謝です。

 

 

 

 

 

 

 


2012年04月19日 02時37分18秒 | 家族

母は東京麹町で出生、お手伝いさんのいるお屋敷で、お嬢様として育っていたが、2歳の長男を亡くした祖母はお酒を呑むようになり健康を害し、36才で死去。続いて株の売買をしていた祖父は大損にて夜逃げ同然で家を出て、転々した生活をする事になり、満足に学校にも行かれなかったと聞く。

後日、お屋敷でお手伝いをしていた女性と再婚した祖父に“なんで女中と!“と反発し一緒に暮らさなかったようだ。

ひとり娘ゆえ、婿養子をとり結婚した母、相手は大学の工学部出身で、当時東大理学部の主査をしていた祖父の口ききで東大地震研究所の研究員として勤務。(私の父)

その相手とは8年の結婚生活で終結。

再婚相手は背中と両腕に彫り物を入れた鳶職人。

飯場を転々とした定家無き生活1年。

その相手とも10年でピリオッド。

その後の母は遠くに行き、見ていない。

60を越え横浜に戻り、「私は母親」と言う。

「どこが?」

人は安らぎの居場所を求める。

心がざわざわ揺れ動くとき、安らぎをくれる場所に身をゆだねたくなる。

そこが違うとまた次の場所に。

母は自分の居場所が最後まで見つからなかったのか。

母も祖母と同じく、2歳の長男を亡くしている。

数奇の運命をたどってきた母。

“世が世であればお前はお姫様”と言っていた母。

誇りと挫折。

母に翻弄された家族。

同様な血が流れる私には居場所が見つかった。

人生の終焉に近づいてきた母、最後まで誇り高く生きて欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

 


どんな終焉が。

2012年04月19日 00時48分02秒 | 家族

病院で横になっている母の顔はすっかり老人になっていた。

最後まで一緒に居た私の顔は覚えていると思っていたが・・・

“私は真知子、こっちは孫の菜帆美”

“真知子? 菜帆美?”

“ふ~ん”

“恵っ子?(長女の名前)”

“違う、真・知・子”

どっちでもいいか、娘には変わりないんだから。

若き頃英国留学していた祖母と祖父の間に生まれ、

子供の時は神童と言われ、美しく聡明だった母。

どこで人生の歯車が狂ったのか。

“顔や手を自分で洗いたいのに、ここは行かせてくれない。トイレにも行かせてくれないからPトイレを置いてもらった。ひどい病院だよ。”

日曜日で担当Drは不在、看護師に現在の状態を尋ねると、食欲が全くなく、いつもひと口み口で点滴を一日1000mlしています。歩行は医者から許可がないので。”と言う

口の中を見ると舌苔がひどくこびりつき乾燥している。

点滴台を移動しながら室内の洗面所まで付き添い歩かせ、口をうがいし、手、顔を洗い、トイレ排尿をする。

持参したみたらし団子を手渡すと、一本ぺろっと食す。

“歩かないと足が弱くなるから歩きたいのに・・・・”

微量点滴で24時間ベットに釘付け。

仕事をしている時、こんな場面によく遭遇していた。

目の前の親を見ていると、老人医療の難しさを痛感。

血流が悪いのか、片方の足首から下は紫色に変色し冷たい。

靴下を履かせようとするが靴下はない。

タオルで包もうとするがタオルはない。

看ることをしない私はどこまで看護師に物を申したらいいのか。

母親と顔を合わせるのも口を聞くのも嫌だったのだが・・・

患者として見ている部分がある。

この人だったら・・・

食べられないのではなく、食べたくない。

まず口腔ケアーをしっかり実施し、舌苔の除去をして、

入院するまではひとりで何でもやっていた人だから、

持続点滴は中止し、昼間フリーの時間が持てるような治療計画を立て、ADLが低下しないよう、トイレ、洗面所まで歩行援助をする。

変色し冷感のある足に関しては、家族にゆるめの靴下を持参してもらい、温浴実施。

なんてね。

言うは易し。書くは易し。

家族が来ない患者、看護師がやる事にも限界がある。

家族と医療従事者が一緒になった看護計画が理想だよね。

家族の協力は必須。

寝たきりにならないよう、早期退院を望む母を付き添い援助したいと思った。

家族にもそれぞれの事情。

悪い状態から脱出したばかり、きっとこれから退院に向けた看護計画を考えてくれるものと思う。

今の自分が情けない。

老人看護をじっくり実践するいい機会なのに。

店のセールが終わったら、もう一度行ってみたいと思うが・・・

じわじわ寝たきりになっていくのか。

今、母は何を思う。

老人になっていく自分を感じた時、死への階段を感じた時、人は魂の孤独を考えるのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


横浜に

2012年04月11日 03時03分13秒 | 家族

横浜のホームに入所している母、今年で90歳。

“胸水がたまって心不全の兆候あるので入院しました。”とホームから電話がある。

90にもなれば心臓もヘタってくるよね。

母との葛藤も終止符が打たれる日が近づいているのかな。

横浜に行ってこよう。

90の母に会ってこよう。

担当医から話を伺うと、“高齢なので、大事をとって入院していただきました。”

“入院はしたくない。”と頑固に言ったようだ。口はいたって元気な様子。

90での入院は、退院が難しくなるのが分かっているんだよね。

病院が終の住処になってしまうのだろうと。

自分流に生きてきた人、

どんな最後にするのだろうか。

見届けに行ってこよう。

 

 

 


春がやってきたよ~

2012年04月11日 02時40分24秒 | 季節

ふきのとう見っけ!

福寿草見っけ!

白鳥見っけ!

雪解け水見っけ!

来た来た来た、春が来た。

陽射しが気持ちいいな~

厚いコートとさようなら。

でもね・・・

雪はまだたくさん残ってるよ。

だって、4月にも沢山雪が降ったんだもの。

今年は冬が長いな~

夕方になると冬に戻ってしまう。

ゆらゆらゆらゆら、冬と春が揺れている。

でも、

間違いなく春はやってきたよ。

ばんざい、ばんざい、ばんざ~い

 


開幕戦

2012年04月02日 23時41分34秒 | イベント

朝10時、店の電話が鳴る。

“おはよう、真知子さん、今日開幕戦なんだけど行かない?”

“行く! 行く!”

一緒に行くはずだった相棒が行かれなくなり、私に回ってきた。

ラッキー!

フィターズ対西武、先発、斉藤祐樹。

お店でそんな話をしていたら、

“行くんならユニホームを着なくちゃ、今持ってきてあげるから”

お客様がすぐ自宅に戻って、持ってきてくださった。

背番号18、斉藤祐樹のユニホームにキャップ、応援グッズ。

“えっ、これ着るの?”

“着ないほうがおかしいよ。これを着て、キャップをかぶって行っておいで”(ファンクラブ8年目)

 ありがとうございます。

札幌ドームまでの直行バスが運行されているので、楽チン楽チン。

初めての札幌ドーム。

人・人・人

とケンタッキーのフライドポテトをゲットして、お目当ての席へ。

電光掲示板の真下。

選手が小っちゃ。

応援がすごい!

歌ったり、風船を飛ばしたり、攻撃の時は立ちっぱなし。

ドームは応援の熱気に包まれ、暑い。

斉藤祐樹、一点を許すのみ、9対1、開幕勝利投手となった。

お誘いして下さった彼女は、癌を発症して3年9ヶ月。

医者から早くて5年、遅くても10年と命の終わりを告げられている。

つい先日、再発してしまった。

近い内に入院される。

バスの中で沢山のおしゃべりをする。

「今を愉しく生きる」

笑顔が美しい穏やかな彼女。

ドーム初デビューな私、お声を掛けていただきありがとう。

「今を愉しく生きる」

私の信条。

またおしゃべりしましょうね。

 

 

 

 


息子イタリアンシェフに変身

2012年04月02日 01時53分02秒 | 家族

知人の台所をお借りし、息子がイタリアンを振舞った。

黒いズボン、黒いベスト、黒いエプロンを身につけ、イタリアンシェフに変身。

ここのお宅、以前夫婦でおよばれされた勝手しってる台所。

私はアシスタント、お客様は息子以外6名。

買い物して戻ると、部屋の灯りが落とされ、テーブル上はグラスやお皿がきれいにセッテイングされ、素敵なジャズが流れている。

気分は最高。

シェフは手際よく、次から次へと料理を作っていく。

セロリのスープ、パスタ2種類、サラダなどなどなど全部で7品。

料理を作り終え着席、改めてワインで乾杯。

ワイワイガヤガヤ、話は尽きない。

料理はと言うと・・・・

ずっと息子と台所に居た私の口に入ったのはわずか。

皆さん、息子の腕前はいかがでしたか?

シェフはよく頑張りました。

素敵なお住まいで愉しいおしゃべりに心地よい音楽、美味しい食事に美味しいお酒。

いい時間を過ごさせていただきました。

ありがとう!

 

 


仲間

2012年04月02日 01時30分27秒 | 

仲間から、こんな素敵なコメントをもらっちゃった。

読みながら泣きそうになった。

H13年桜咲く頃横浜ほうゆう病院に転勤
産声上げたばかりの病院の中で
輝いてた・真知子さん・
そ知らぬふりして・絶大な努力を・
そ知らぬふりして・あふれる愛を・
へいっちゃらで ・プレゼントしまくり・
爽やかな風、活気がみなぎってました。
赤ちゃん病院の中で大活躍した真知子さん
楽しかった!有難う!(全職員代表清田) 

患者さんの笑顔が見たくて、スタッフの笑顔が見たくて、私の頭の中はいつも動いていた。

楽しい事、嬉しい事を企画するのが好きだった。

許可が出なければ自分のお金を使って。

この仲間はいつも見ていてくれた。

率直なアドバイス、優しい気遣い、思いやり、沢山沢山助けられた。

泣きたいとき、さしげなく側にいてくれた。

遊びたい時はいつも付き合ってくれた。

物知りで、おしゃれで、都会の匂いがプンプンする素敵な女性。

ふつつかな私によくお付き合いしていただき、心から感謝です。

横浜に行った際は是非またお付き合い下さい。

身体をいたわって、今を愉しんでね。