少し前の産院での取り違いニュース。
“時間を取り戻せたら・・”と男性が話している。
なんとも複雑な思いでニュースを見ていた。
自分の親、兄弟と信じて共に生きてきた60年。
それが突然、誰とも血縁関係がないと知る。
そして同じ血縁の籍に入る。
「血縁」
血の繋がりってなんなんだろう。
私も姉ふたりから“お前は誰に似たんだろうね。違うんじゃない?”と冗談とも言えない冗談を何度か聞かされてきた。
姉ふたりとは3歳まで一緒に暮らしただけ。
両親が離婚し、母に引き取られた私が姉に会ったのは成人になってから。
血の繋がりがあるとは言え、何十年も一緒に暮らしてないと、“姉さんだよ”って言われても実感がない。
戸籍謄本を取ってみた。
両親の実子。
取り違えられた男性も戸籍はもちろん実子。
だけど・・・
違かった・・・
成人して、姉に連れられ父に会いに行くが、私を一瞥もせず読んでいた英字新聞から最後まで目を離さなかった。
何の言葉もない。
新聞に隠され、記憶にあるのは微かな横顔。
「父」だったのだろうか。
母が死んでも、母と幼いとき別れ、母のよからぬ言動を見聞きしてきた姉ふたりは来なかった。 (献体希望で葬式の予定もなかったしね)
それに際し、何の思いもない。
他人のような存在になっている。
会う時は誰かが死んだ時か。
家族って、お互いがいたわり合って、愛情を持ち助け合い、一緒に悲しみ、一緒に笑い、
たとえ側にいなくとも深い愛情で結ばれていれば、他人同士でもそれは立派な家族。
私の父親が誰であろうと、
たいした問題じゃないと思うんだ。
母と誰かが結ばれ自分が生まれたことは確か。
今、北海道で心豊かに暮らしている自分を生み出してくれた事に感謝です。
でも・・・
思っちゃうんだ・・・
きっと、
私の父親はあの新聞を読んでた人だ。
保育園の登園時、手を握ってくれた人だ。
きっと、
何十年ぶりに会った末っ子の娘に、何て声を掛けていいのかわからなかっただけなんだ。
「血」ってやっかいだな~
家族は愛情で作れても遺伝子は愛情だけでは作れない。
私には父のどんな遺伝子を受け継いでいるのだろう。
取り違えられた男性も、そんな思いがあるんじゃないかな~
末っ子として育った男性が今度は長男として「兄さん」と呼ばれる立場に。
私も末っ子だったはずが現実には長女として育ってきた。
長女はひとり。
長男もひとり。
長男として新たに「血」の繋がった籍に入った男性。
そこで長男として育った相手側の男性は、もう長男でなくなる。
共に60、同年代。
自分に責任を持つ時期をとうに過ぎている。
楽しむ年代だ。
どうぞなにがあろうとも、惑うことなく、残りの人生を楽しんでください。
自分の言動を、
これは父親似、
これは母親似、って時に都合よく両親を振り分けている。
楽しんでいる。