横浜から北海道の山村に移り住んだ、我が家のつぶやき

北海道追分に移り住み5年。今度は追分から恵庭へ。毎日が新鮮で愉しい事だらけ。そんな生活を気まぐれにおしゃべりしています。

献体事情

2013年08月31日 09時17分55秒 | まちこつぶやき

早速、北海道で献体を受け入れる大学を探してみると、

北海道医療大学・北海道医科大学・北海道大学・旭川医科大学

だったが、北大は平成19年から受け入れを中止している。

北海道医科大学は年齢制限で70歳以上、残る2校に問い合わせをすることにした。

この際、献体についての諸事情を見てみると・・・

 

未来の医師や歯科医師を育てるための教育の他に、現役の医師や・歯科医師たちが、自らの手術の腕を磨くために「ご遺体を使ったトレーニング(サージカルトレーニング)」を希望する切実な声が、何年か前から上がっているとの事。

教育ではOKだけど医療の場面では遺体を使用してもよいかどうかは、法律上曖昧のようだ。
医師は手術の練習には動物やシミュレーター、そして患者でも行われていること!
さらには、多くの患者から期待される最先端の手術手技を学ぶために、海外のトレーニングセンターに出向き、外国人のご遺体を使って医師たちがトレーニングをしていると。

現実、臨床現場では一度もやったことのない施術を執刀する事もあり、稀に事故につながってしまった事も。

医師たちが動物、シミュレーターに加えて、ご遺体でも手術のトレーニングができないか、そのための法整備や仕組みづくりが必要となっているようだ。

年々献体希望者が増加しており、登録をストップしたり、年齢制限や登録地域を制限したりと各大学での対応がまちまちになっている。

反面、登録をしても後日家族(親族)が反対したり、その時を迎えて家族の心が揺れ動いたりと不献体となる場合もあるという。

献体登録するには本人以外の同意が必要だが、親族の場合も、3人とか4人といった人数を指定している大学、2親等以内の全ての親族の同意を必要とする大学、可能な限りの親族の同意を必要とする大学など様々で本人の「献体します」だけの意思表示だけでは登録が出来ない。

残る2校、果たして献体受け入れはいかに・・・・





 


母のその後

2013年08月29日 15時57分26秒 | 家族

献体先の大学より封書が届く。

「死体解剖承諾書」の提出と「文部大臣からの感謝状授与」の希望有無。

感謝状は不要。

書面には、母は平成27年9月~12月の4ヶ月間に行われる解剖実習に献体され、27年7月末までなら顔を見ることが出来ると書かれている。

母は28年に戻ってくる。

今は順番待ちで大学で静かに眠っているんだね。

3年後か~ きっと忘れてる。

夫婦で話し、

近々献体を受け入れている大学を探して登録するつもりだ。

家族の同意が必要だが、きっと子供達は承諾してくれると思う。

少しづつ少しづつ、意識して物を減らしていこう。

自分が死んだ後、子供達に“何この荷物! あんだけ整理するって言っていたのに、本当にもう~!”と言われないように。

その頃、子供達もおじさんおばさんになっているだろうから、あんまり疲れさせないようにしないと。

カッコよく死ぬぞ~

子供達よ、任せて!

 

 

 

 

 

 

 


さくら

2013年08月29日 00時12分08秒 | 動物

北海道に戻る。

さくらが足元で飛び跳ねる。

15歳のさくらは家では私の後に付いて廻っている。

今もすぐ横で寝ている。

このさくら、私の留守中は食事とトイレにちょっと顔を出す位で姿を見せないという。

白内障でだいぶ目が曇っている。

耳も遠くなっている。

でも、食欲は他のどの子よりもあって毎回残さず完食。

とっても元気なんだ。

ちっちゃなさくら。

そ~っと寝かせておこうと席を立つと、目ざとく起きついてくる。

ベットに上がり足元で寝ていたさくらだが、最近は少々足が弱くなり上がれなくなったので、畳に布団を敷いて寝ている。

室温20度、寒くなっている。ごそごそ、布団にもぐりこんでくるかな。

そろそろ寝よう、

起きてくるかな~

 


母死す

2013年08月27日 10時35分49秒 | 家族

危篤の連絡が入った翌日、一番の飛行機で新千歳空港を発ち、病院に向かう。

“かずこさん”  “は~い”

“かずこさん”  “は~い”

“何寝てるの起きなさい” とホッペをつねっておでこをピタピタ、鼻をもじもじ

“いた~い”

“かずこさん、武子よ”(母の母親)

顔をクシャクシャにする。

モニターには血圧60~70の表示。

担当医と面談、

延命だけの点滴ならば不要と、点滴抜去を希望、

担当医はすぐに承諾してくださり、手の甲に刺されていた点滴が抜去される。

何回も刺し替え、あちらこちら紫色に内出血している母の手。

“戻りたい”母の小さな声が聞こえる。

“ホーム?” “うん” と頷く母。

“ホームに帰れないでしょうか? 24時間私が見ます。”

並行してホームにも打診。

病室でホームの責任者と母の担当者、私の3者会談だ。

“今までホームでの看取りは前例がないので申し訳ありませんが・・”

理由をよく問うと、

母は「措置入所」なので、ホームの許可だけでは判断出来ないらしい。

区に申請し、次に市に申請し許可を取らなければならないと。

“お願いします。” 再度頭を下げる。

“わかりました。担当医と相談し検討します。”

“週明けまで持つかどうか・・・”

この日は金曜日、明日明後日は役所は休み、週明けの返事待ちとなった。

“許可が出たらすぐに対応出来るように酸素ボンベの手配をしておきます。”

ホームに戻れる希望が見えてきたのに・・・・

翌13時04分、母は眠るように静かに旅立っていった。

2013年8月24日、享年91歳。

生前、献体登録をしていたのですぐに登録先の医科大学に連絡。

4時間後、大学から迎えの車がやってきた。

「よろしくお願いします。」

母を見送った翌日、ホームに行き荷物の整理。

元気な頃から少しずつ整理をしていたのであっという間に終わる。

捨てる物ばかりだ。

それでも、小さなダンボールひと箱を荷作りし北海道に送る。

翌日は病院で死亡診断書を頂き、コピーしたものを大学にFAXし、担当医にお礼を言い、次に役所に行き診断書を提出し火埋葬許可書をもらい、大学病院に送る。

すべてが終わった。

北海道に戻り、届いた母の荷物を開ける。

けん玉、老眼鏡、電池の切れた時計、古い落語家のテープ、下駄、草履

老眼鏡はこれから使えそう、時計も電池を入れたら時を刻みだした。

テープも折を見て聴いてみよう。

下駄も草履も履かせてもらおう。

けん玉でおとうさんが遊んでいる。

私もやってみよっと。

身辺整理を済ませ、子供に葬式の心配もさせず旅立った母。

見事な最後だった。

か~さん、カッコいいよ。

位牌も作らず、もちろん戒名などない。

ないないずくし。

母の希望。

思い出は良しきにつけ悪しきにつけ、心に残っているもの。

それで十分。

母はまだ大学にいる。

1年、2年、3年、いつになるか。

未来を担う学生の手助けをし、荼毘にふされ戻ってくる。

淡々と普段の生活に戻っている。

最後、母から学ばさせてもらった。

か~さん、ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


母危篤

2013年08月22日 23時48分05秒 | 家族

入院先のDrより“急に状態が落ちて2~3日かもしれません。”と電話あり。

膵臓癌から肝臓に転移し徐々に低下していった母。

9月に行く予定をしていたのだが・・・

この日が来てしまった。

子供のようになった母を見て、長い間の確執が溶け、時間に余裕が出てきた今、時々横浜に行ってと思っていたんだけど・・・

母の方が待てなかった。

いつかこの日が訪れるが、いざ遭遇すると心がざわつく。

病院にいる事を嫌がり、何度も頑張ってホームに戻っていた母。

最後、戻らしてあげたいが・・

お屋敷暮らしのお嬢様から一転して定住なき生活に変わり、幼い時に母親を亡くし神童と言われていた母が満足に学校にも行けなくなった少女時代。

私が昔、“あなたは愛情を知らずに育ってきた人だね。”と言われたように、

母もまた愛情を知らずに育った人だったのだろう。

知らぬがために、身近な愛もどきに仮想の愛を見つけ、見えてくると別れ。

本物の愛を見つけていたのだろうか。

心休まる愛を見つけていたのだろうか。

最後の母を見届けに行ってきます。

待っていてほしい。

 

 

 

 


夜勤

2013年08月22日 23時07分50秒 | 仕事

と~さん、思いのほかすんなり部屋で寝ている。

このまま朝までなんてことは・・・・ないよね~

やっぱりなかった。

トイレに灯りが。

トントン、“どなた?”

声は聞こえるが・・・・

と~さんだ。

鍵が掛かっている。

“鍵を開けて”

閉めるのは簡単だが開けるのが・・・・・

開けるみると・・・・・

あらら~~~~~~~

トイレの中は水びたし。

着ていたシャツ2枚が便器の中にスッポリ納まっている。

と~さん・・・・・

この夜、ベットでも・・・・・

この日は水難の夜勤だった・・・・・

でもね、

“もう~と~さん、駄目だよシャツなんか入れたら! でもスッポっと取れてよかったね。便秘解消!”

と~さん、両手を合わし頭を下げニッコリ。

これに負けちゃうんだな~

この日は茶碗を洗ってくれたんだ。

他のば~ちゃんが、

“あらまあ~お茶碗なんか洗って~”とニコニコしながら側で見ている。

「どうも」と言うよう頭を下げ、チョッピリ照れくさそうに洗うと~さん。

ほんわか、ほんわか。

もうひとりのば~ちゃん、

夜中、手に何やら丸めた物を持って部屋から出てきた。

どうするのかな・・・・

廊下隅に置いてあるテーブルの上に丸めたものを置いて、

次にば~ちゃんはリビング室にやってきた。

おもむろに絨毯の上に横座りをし寝る体制だ。

それでもいいんだけど・・・・

“この格好じゃちょっと恥ずかしいから、着替えよう”

下はスッポンポンだった。

しばらくしてそっと部屋を覗くと・・・・

シーツをはがし、向きを逆さまに寝ている。

お休みなさい・・・・

このば~ちゃん、外で散歩をしている黒猫を見て、

“よく陽に焼けて”

素敵なば~ちゃんなんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2013年08月21日 11時23分33秒 | 動物

雨蛙が、ハンパじゃない数で我が家の周囲に日夜日参している。

 

花粉を浴び、百合の甘い芳香に酔いながらジッと物思いに更け、

夜な夜な我が家の窓に張り付き、中の様子を伺い、

時にはカップルでデートをしていたり、

なかなかユーモラスな蛙さん。

庭で花いじりをしていると、あっちにこっちに、大きいの、小さいの、様々な蛙さんの姿が見てとれる。

可愛いんだな~

北海道の夏は短いから、地上で遊ぶ日も少なくなってきたね。

いつ頃から冬眠を始めるのだろう。

来年また逢おうね。

 

 

 

 


大通りビアガーデン終わる

2013年08月21日 10時32分09秒 | イベント

今年で55年目を迎える「大通りビアガーデン」が8月15日、終わった。

大通公園に並ぶ座席数、約13,000席と日本最大級の規模でさまざまな種類のビアガーデンを楽しむことができる札幌のさわやかな夏を彩る風物詩。


今回は4回お邪魔しちゃった。

なんかいいんだな~。

大通り5丁目から11丁目まで続く、ビールを楽しむ人・人・人

その中で風を感じながら、飲むビールは格別なんだなあ~

2回はおとうさんと2人で、

1回は横浜の娘たちと、

最終日は職場の仲間たちと、キリンビールブースで40ℓタワービールを2本。

ワイワイガヤガヤ

この仲間、とにかく飲む・飲む・飲む

大通りに来る車中で、すでにグィグィグィ。

見事な飲みっぷりの面々。

愉しい仲間なんだ。

今年の入場者数、25万7000人、ビール消費量47万4275ℓ。

26日間で中生94万8550杯。

その中の10杯は私。(もっとかな?)

来年も行くぞ~~~!!

 

 

 

 


 


一瞬の嵐

2013年08月20日 22時00分33秒 | 景色

昼頃、買い物に出かけた帰り道、一瞬の嵐に遭遇。

ピカピカと稲妻が走り、次には“え~~~何これ!!”と思うほどのすご~~い突風が吹きすさび、横なぐりのすさまじい雨が降ってきた。

その間5分ほど、す~と風も雨も消えている。

“すごかったね~!”と話しながら家に戻ると・・・

わお!

大きな枝が道路の真ん中にど~んとなぎ倒され、

庭のガラス張りの温室が倒され、ガラスは割れ、中の鉢植えはひっくり返され、

テレビアンテナの上にも大きな枝が落ち、

庭の花々もなぎ倒され、

無残な光景がそこにあった。

すごい!!・・・・・・・

わずか5分ほどの暴風雨が通り過ぎた爪痕。

何をそんなに怒り狂ってたの?

嘆いてもしょうがない。

せっせせっせとお片付け。

今度はジリジリと照りつける太陽。

無事だった花達、野菜達を真っ直ぐ起こし、

枝が折れかかっている大きな樹に脚立を掛け、枝払いをし、

ちょっぴり切ない想いで後片付けに追われる。

自然の猛威に言葉なし。

でも、

桜島の噴火、地震災害などなど、

家を失い、家族を失い、

そんな絶望的な自然災害に遭われた方々が沢山いるんだものね。

花は来年咲かせることが出来る。

一生咲かせることが出来ないこともあるんだよね。

ひと雨ひと雨降る度、冬に近づいていく。

今、室温25℃。

朝は20度を割っている。

さっき、横浜の娘から、

“来月初めに来ても、ほんとに暑いから、家で熱中症になる位だからね。”

と強烈暑さの念押し℡あり。

覚悟して行こう。

それにしても、強烈だった。

 

 

 

 


夜勤

2013年08月14日 21時25分03秒 | 仕事

カタンカタン、

両手に杖を持ち、“おなか空いた、ご飯頂戴”と言ってくるば~ちゃん、

最近この杖を武器に代えている。

ついこの間まではちょっとしか食べなかったので、“おなか空いた”と来れば作っていたんだけど、

今では時間ピッタリに食卓について、早々に完食。

ちょっと目を離すと隣の食事に手が伸びる。素早い事。

食べ過ぎてしまうので、来ても出さない事にしている。

それが面白くないば~ちゃん。

杖で床をガンガン叩き、杖で戸をガンガン叩き、杖でスタッフの足を叩き、

暴走ば~ちゃんになっている。

その音で寝ているば~ちゃん、じ~ちゃんが起きてしまう。

“お腹空いた” “なんでもいいから” “ちょっとでいいから”

だんだん言葉が哀願調に変わっていく。

それを拒否されるものだから怒り心頭なんだね。

プンプン自室に戻ると、今度は大きな咳ばらいと頻回なトイレ通い。

なかなかやるものだ。

夜中、杖を振り回す時あって取り上げたら、“杖頂戴!” “返して!”

“ダメ、杖を武器代わりするんなら返せない”

“もうしないから”

“ほんと?”

“約束するから”

介護記録を読むと・・・・

またか・・・・

杖がなくとも歩行はバランスよくスムーズ。

なくてもいいと思うけど、大事なグッズなんだね。

カメラを向けると最高な笑顔を見せてくれる、大女優のば~ちゃん。

“なんか頂戴”とやってきたば~ちゃんに、側にいた他のじ~ちゃんが“何にもないよ、部屋に戻れ!”と言うと、

“やかましい!”とじ~ちゃんを一喝。

黙ってしまったじ~ちゃん。

すごい!

夜中、茹でとうきびを食べようと一口パクっとしたとき、ば~ちゃんに遭遇。

思わず、“食べる?”って言葉が出てしまった。

“食べる。” 素早いスピードで私の手から消えていったとうきび。

素早いスピードできれいに食べられたとうきび。

ば~ちゃん、いいところで出会ったね。

一口のとうきび、甘かったなあ~

こんなば~ちゃんが大好き!

 

 

 

 

 

 

 

 


吃音

2013年08月14日 19時48分49秒 | まちこつぶやき

いつ頃だろう。

小学校、中学、高校時代、私は吃っていた。

そんなにひどくはなかったけど、出にくい言葉があると詰まってしまう。

吃らないようにひと呼吸置いて言葉を出す。

スムーズにおしゃべりが出来ない。

詰まる言葉を避けるようになる。

時に詰まりそうになると話題を変えてしまう。

それがうっとうしいから、積極的に人とおしゃべりをしなくなる。

だからだったのかな~

本ばっかり読んでいた。

読むことが面白いから、余計に人としゃべらなくなる。

休憩時間にはすぐに本を取り出し読む。

邪魔されたくなかった。

そんな私に同級生は「長」とつく役目をおおせ付ける。

あんまりしゃべらない方法でなんとかやり抜け先に進む。

きっと、

本当は、

こうでもない、ああでもないと、沢山、人としゃべりたかったんだと思う。

でも、

思うようにいかないから、だんだんひとりで行動するようになっていく。

それが意外と楽で、マイペースな自分になっていっちゃった。

今は全く吃る事はない。

いつの頃からスムーズにスラスラ言葉が出ていく。

しまいには私にかなう人はいないとまで言われてしまった。

いつの頃から・・・・・・

私が自由になった時、

母親から解き放された時、

心の安定が、詰まる言葉を溶かしてくれた。

次女が3歳の時、私の離婚で優しい4歳違いとの姉との別れがあった。

吃ってしまった。

“ね~ちゃんは?” 

感受性が強い娘だった。

言いたくとも言えなかった幼い娘の心。

すぐに直って安心したけど、心はもろいものだ。

吃音に関する文献を少しばかり読んでみて色々な諸説があるようだが、

過剰ではなく、過少でもなく、

穏やかな愛情の中では子供は吃ることはないと思っている。

今、母は91歳、すい臓癌が肝臓に転移し、食が進まず点滴併用で病院のベットにいる。

病院で死ぬ事は「イヤ」と言っていた母親。

Drはホームに一旦戻って、点滴はせず、好きなもの食べたい物を少しでも食べてもらう事にしましょうかと言う。

ホームの方も受け入れてくださる意向。

感謝です。

来月、来訪時、それが可能となれば・・・・

まだ生きていてほしいと願う自分がいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


英国王のスピーチ

2013年08月13日 13時45分42秒 | 映画

英国ウィリアム王子とキャサリン妃の第1子誕生おめでとう!

名前が「ジョージ・アレクサンダー・ルイ」

雨の降る日、何年かぶりにレンタルビデオ店を訪ねる事に。

見つけたのが「英国王のスピーチ」

これはほぼ実話だという。

ここで登場する「ジョージ6世」は現エリザベス女王の父でウイリアム王子は曾孫にあたる。

王位を継ぐべき長男は、人妻であった女性との「王冠を賭けた恋」で継承せず、次男のジョージが王位継承となるが(ジョージ6世)、吃音症を持っていた。

吃音症を克服し名君となった過程が描かれ、2011年アカデミー作品賞と主演男優賞、監督賞を獲得した作品である。

ジョージ6世が吃音症だったこと、幼少期にナニー(乳母)から虐待されていた事、父、ジョージ5世や兄のエドワード8世が「よかれと思って」彼に恥辱を与えることを通して吃音症を矯正しようとし、結果的に屈辱だけを与えた事、O脚であったため、拷問に近い矯正器具をつけられ、そのために足に軽度の障害を負っていた事など苦難に満ちた少年時代を送っていた事。

この映画を通して英王室の歴史をわずかながら垣間見ることが出来、自分ながら英国の歴史も勉強することができた。

厳しい王室の世界、体面、体裁。

彼の末弟が自閉症のために隔離され、いなかったかのように扱われ、夭折したという事

ジョージ5世も安楽死させられたという。

今に生きるウィリアム王子と誕生したロイヤルベビーに幸あれ。

 


ある日の朝食

2013年08月13日 11時16分00秒 | 

畑から採ってきたモロヘイヤを茹でてオクラも一緒に刻み合わせ鰹節と醤油で味付け、イタリアンパセリと普通のカーリーパセリも茹でてゴマをタップリ掛け、納豆にキムチを入れて、青汁とブルーベリージャムを掛けたヨーグルト。

以上5点。

超健康的じゃない?

ネバネバパアー全開!!

モロヘイヤは王様の野菜と言われるほどミネラルやビタミンを豊富に含み、老化の原因であるカロチンの含有量が野菜の中ではトップクラス。細胞の老化を遅らせて、血管や粘膜を丈夫にしてくれるんだって。カルシウムもビタミンCもタップリだし、コレステロールが少々高い60過ぎた私にピッタリの最高な野菜なんだ。

オクラもパセリもビタミン、鉄分、ミネラルタップリ。

それに最強コンビ?の納豆キムチ。乳酸菌でお腹もバッチリ。

最近はもっぱらこんな食事。

買わずとも畑から採れるっていいね。

今は冬に向かって少しつつ冷凍保存中。

若い内はたいして気にもしていなかった身体への気遣いが60を過ぎると気になってくる。

したい事がたくさんあるから、簡単にくたばってしまう訳にはいかないんだ。

出来る事はやってみよって思うよ。

こんな食事、慣れるとクセになる。

5枚切りの食パン2枚をトーストし、牛乳だけの夫はただ見ているだけ。

どうもこういうのはお気に入りではないらしい。

さあ、お昼ご飯。

私はキムチチャーハンでも作るかな、

夫はハンバーグ?

 

 


宗谷岬

2013年08月13日 00時26分12秒 | 

夜勤明け、朝10時半に職場に迎えに来た息子、夫との3人、稚内~日本最北端宗谷岬に出発!

まずは車中でグィっと。

夜勤明けのビールは格別!

さあ~これから約400キロ近い、6時間余のドライブの始まりだ。

夜勤明けの身体は心地よい揺れと心地よい酔いで早々にコックリコックリ。

名寄経由、旭川から稚内市を通る250キロ以上続く国道40号線を延々と走り、(この40号線沿いはコンビニひとつない、何にもない道路、ビックリ)宿泊先の稚内到着は19時を廻っている。

お腹が空いたなぁ~

見渡す限りでは、

う~~~~

とりあえず、目に入った回転寿司に入る事に。

パク、

う~~~~

とりあえず空腹は満たされホテルへ到着。

温泉があるのがいいね。

ここの温泉は別名「油温泉」とも呼ばれる珍しい温泉だそうだ。
泉質は「ナトリウム-強塩化物・炭酸水素塩泉」で、総成分量は約24g/㎏と全国の温泉平均の約6倍の成分含有量なんだって。

原泉は相当濃縮なので希釈してあるせいか、そんなに油臭くなかったけど、温泉施設の希釈加減では石油臭が強くて入れないっていう人もいるらしい。

ちょっと白いかな~って感じるほどの色で入るとヌルヌル。

コンビニで風呂上り飲もうと買っておいたビールに手をつけず、

飲みたかったのに、

飲んでゆっくりしたかったのに、

あ~~~

夢の世界へ引きずり込まれていったのだった・・・・・・

小雨降る翌朝、宗谷岬に出発!

途中、「ノシャップ岬」を見て天気がよければ眼前に利尻島を望み、ここで見る夕陽は圧巻だそうだ。

 

稚内から宗谷岬までは30㌔余。

到着!

南は九州から、日本各地のナンバープレートを付けたカッコいいバイクが勢揃い。

車も同様だ。

 

「本日あなたは、北緯45度31分、日本最北端の地、宗谷岬に到着し、その足跡を印したことを証明いたします。

13 08 09 10:29」と書かれた日本最北端到着証明書を100円で購入。

小雨はやんでいたがどんよりした曇り空。

晴れていればわずか43キロに対岸するサハリンの島影がはっきり捉えられるという。

ゆっくり散策したかったけど、留守宅では犬、猫8匹がまだかまだかと帰りを待っているので、滞在はこれっきり。

点在するキャンプ場ではこれもまた各地のナンバーをつけたキャンピングカーが停車しており、ゆっくりコーヒーを愉しむ姿に出会う。

走行距離900キロ。

往復運転のおとうさん、お疲れ様でした。

息子んの仕事がらみだったので、短い日本最北端への道中だったけど、夫婦2人だったら、行きたいと思っていてもなかなか行けないもの。

こんな機会をくれた息子に感謝。

9月は知床に行こうか?って話も。

楽しみ!

それにしても、北海道は大きくて広いなあ~