甲斐善光寺
当山は、開基武田信玄公が、川中島合戦の折、信濃善光寺の焼失を恐れ永禄元年(1558年)、御本尊善光寺如来像をはじめ、諸仏寺宝類を奉遷したことに始まります。板垣の郷は、善光寺建立の大檀那本田善光公葬送の地と伝えられ、善光寺如来因縁の故地に、開山大本願鏡空上人以下、一山ことごとくお迎えいたしました。その後、武田氏滅亡により、御本尊は織田・徳川・豊臣氏を転々といたしましたが、慶長3年(1598年)信濃に帰座なさいました。甲府では新たに、前立仏を御本尊と定め、現在に至っております。(パンフレットより)
東日本最大級の木造建築の本堂 重要文化財
武田信玄公建立の七堂伽藍は、宝暦4年(1754年)門前の失火により焼失してしまいました。現在の金堂・山門は、寛政8年(1796年)に再建されました。金堂は、善光寺建築に特有の撞木造りとよばれる形式で建てられています。総高27メートル、総奥行49メートル。文化財指定木造建築物として、日本でも十指に入る巨大なもので、重層建築の山門とともに重要文化財に指定されております。金堂下には、「心」の字をかたどる、珍しいお戒壇廻りもあり、鍵を触れることによって、御本尊様と御縁を結んでいただけます。
御縁を結んでいただきました
《日本一の鳴き龍》
金堂中陣天井には、巨大な龍が二頭描かれています。廊下の部分のみ、吊り天井となっており、手をたたくと多重反響現象による共鳴が起こります。