重要文化財(建造物)
慈眼寺本堂・鐘楼門・庫裏
金剛山慈眼寺は真言宗智山派に属する寺院である。寺の創立は詳らかではないが、文明年間に宥日上人(ゆうにちしょうにん)によって開創され、その後は武田家代々が祈願所として庇護を受けた。
天正十年(1582)、武田家滅亡のおりには勝頼より遺品及び回向料を住職尊長が託され、高野山引導院へ送っている。そのさい織田氏の焼き討ちによって伽藍が再興され、その後、甲斐国真言七談林として隆盛を迎える。現在は本堂・鐘楼門・庫裏の三棟が、江戸時代前期における地方寺院の伽藍形態を現在に伝える貴重な遺構として国の重要文化財指定を受ける。(説明文より)
私はどうも・・・出かけると雨になることがが多くてこの日も雨です。
【鐘楼門】
鐘楼門は梵鐘銘から慶安三年(1650)の建立と判る。建物は一間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺で、小規模ながら各細部意匠が優れ、板扉上の平彩色も見事である。
【本堂】
本堂は元和八年~慶安三年(1622~1650)頃の建立と見られ、建物は桁行16.3メートル、梁間11.9メートルの入母屋造、茅葺で、室内は六室で構成された方丈型本堂で、仏壇中央に本尊千手観音像を安置する。板敷きの室中や仏間以外は畳敷きで、付書院や床の間などの装飾性にも見るべきものが多くあり、江戸時代前期の建立ではあるが、中世の建築技法の名残を今に伝える名建築となる。
【庫裏】
庫裏は元和八年~寛文七年(1622~1667)頃の建立となる。建物は桁行14.6メートル、梁間11.8メートルの正面入母屋造り、背面切妻造茅葺で、背面下屋庇が檜皮葺となる。妻入の平面を持ち、土間部分に壮大な小屋組みを見せており、全国的に見ても古い時代の庫裏建築として価値が高い。