「お布施を値切ってもいいのか?」と質問される事があります。でも、これは、私の個人的な友人からの質問です。門徒さんから、そのような質問はありません。でも、この金額しか用意出来ませんが、お願い出来ますか?ということは、よくあります。葬儀社さんからもよくあります。私は、もちろん、有難くお引き受けします。もし、ご住職が、「本当は、⭕️⭕️円だけど、⭕️⭕️円にまけとくよ」「ありがとうございます、助かりますよ」と、やりとり出来たら、お寺さんと門徒さんは、かなり良好な関係が築けています。私のお世話になっているご住職は、お布施の金額は、絶対言わないと決めているそうです。でも、そのご住職の信頼度は絶大なので、そのお寺さんは、いつも、人であふれています。お寺が、自分にとって、どれだけ大切なものかで、御布施は決まります。それは、お金があるないは、関係ありません。自分にとって、必要としないものに、お金は、一円でも払いたくありません。お寺は、お布施を頂くお礼に、法施をするのです。法施とは、仏教の教えを施すのです。お布施は、財施です。自分が救われたお礼に、自分の財産の一部を施すのです。今、骨葬が多くなりました。僧侶を呼ばずに、火葬だけという方が多くなり、これからも、その数は、増え続けると思います。でも、皆さん、亡き方は、死んだらどうなるのか?心配ではないのでしょうか。死んだら終わりではありません。僧侶は、お布施を頂くかわりに、法施をする、それが、仕事です。浄土真宗は、特に、法施を大事にする宗派です。法話が出来ない僧侶は、僧侶とは言えないのです。私の知るお寺さんは、みんな繁盛しています。なぜなら、法施をしているからなのです。最期に、八代目門主蓮如上人は、お寺の繁盛とは、人の多く集まることではない、たった一人でも、信心をいただいて、浄土に往生することが、繁盛というのだとお示し下さいます。この言葉を聞くたびに、住職としてのいたらなさを思い知らされます。信心を頂くとは、南無阿弥陀仏の本当の意味を知ることです、今、私の口に南無阿弥陀仏が出て下さることが、阿弥陀如来に救われている証拠です。
「お布施を値切ってもいいのか?」と質問される事があります。でも、これは、私の個人的な友人からの質問です。門徒さんから、そのような質問はありません。でも、この金額しか用意出来ませんが、お願い出来ますか?ということは、よくあります。葬儀社さんからもよくあります。私は、もちろん、有難くお引き受けします。もし、ご住職が、「本当は、⭕️⭕️円だけど、⭕️⭕️円にまけとくよ」「ありがとうございます、助かりますよ」と、やりとり出来たら、お寺さんと門徒さんは、かなり良好な関係が築けています。私のお世話になっているご住職は、お布施の金額は、絶対言わないと決めているそうです。でも、そのご住職の信頼度は絶大なので、そのお寺さんは、いつも、人であふれています。お寺が、自分にとって、どれだけ大切なものかで、御布施は決まります。それは、お金があるないは、関係ありません。自分にとって、必要としないものに、お金は、一円でも払いたくありません。お寺は、お布施を頂くお礼に、法施をするのです。法施とは、仏教の教えを施すのです。お布施は、財施です。自分が救われたお礼に、自分の財産の一部を施すのです。今、骨葬が多くなりました。僧侶を呼ばずに、火葬だけという方が多くなり、これからも、その数は、増え続けると思います。でも、皆さん、亡き方は、死んだらどうなるのか?心配ではないのでしょうか。死んだら終わりではありません。僧侶は、お布施を頂くかわりに、法施をする、それが、仕事です。浄土真宗は、特に、法施を大事にする宗派です。法話が出来ない僧侶は、僧侶とは言えないのです。私の知るお寺さんは、みんな繁盛しています。なぜなら、法施をしているからなのです。最期に、八代目門主蓮如上人は、お寺の繁盛とは、人の多く集まることではない、たった一人でも、信心をいただいて、浄土に往生することが、繁盛というのだとお示し下さいます。この言葉を聞くたびに、住職としてのいたらなさを思い知らされます。信心を頂くとは、南無阿弥陀仏の本当の意味を知ることです、今、私の口に南無阿弥陀仏が出て下さることが、阿弥陀如来に救われている証拠です。
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