今日は主人の父が改修の設計に携わった赤坂の迎賓館を見学に行きました。
赤坂迎賓館は明治42年竣工、明治以降の建築物では初めて国宝に指定された建物です。
父は2年前に亡くなりましたが、いいお仕事をしたものだなぁと、改めて思いました。
ところで、この建物を設計したのは長州藩出身の片山東熊という建築家で、東大建築学科の前身、工部大学校の一期生でした。
同期生には東京駅や日銀を設計した辰野金吾、丸の内の三菱オフィス街を設計した曽禰達蔵がいます。
明治の工部大学校の教員はすべて外国人で片山東熊たちはイギリス人建築家、鹿鳴館を設計したジョサイア・コンドルの教え子でした。
さて、工部大学校を首席で卒業すると、その後ヨーロッパへ留学、帰国するとそのまま母校の教授になり、
また当時の建築界のリーダーとなる道が約束されていました。
残念ながら、片山東熊は5人中3番で卒業、首席は同郷の辰野金吾でした。
聞くところによると辰野金吾は野心にあふれる積極的な性格、片山東熊は人の良い穏やかな性格だったと言うことです。
恩師のジョサイアコンドルは、今後の日本の建築界をリードすると言う視点から、辰野金吾を首席にしたのかもしれませんね。
その後の辰野金吾は飛ぶ鳥を落とす勢いで明治を代表する建物を作り続けます。
一方、片山は東京国立博物館、京都国立博物館、そして明治42年の旧東宮御所(赤坂迎賓館)を地道に設計していきます。
京都国立博物館
次の天皇の住居である東宮御所の建築には相当な気合を入れた片山東熊ですが、明治天皇からは「ちょっと贅沢過ぎる」と軽くお叱りを受けたようです。
彼はかなり落ち込み、その後は病気がちになってしまったということです。
なんだか気の毒ですね。
ところが、平成21年(2009年)、ちょうど明治42年(1909)の竣工から100年目、迎賓館は国宝に指定されました。
工部大学校を3番で卒業し、穏やかでちょっと控えめな片山の作品は1番の辰野金吾を抜いて、
明治以降の建物で最初の国宝となったのです。
人生何が起こるかわからないですが、100年たってからの大逆転というのもあり得るのだなぁと、感じました。
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お疲れ様です。
先生の連休は、ありましたか?
私は、ゴールデンウィークの初旬と中旬において、福島市や安曇野市へ行き、親・親戚そして友人に会い、挨拶や墓参りを行ってきました。下旬は、こどもの日に在住の市のイベントへ一番下の子供を連れて参加しました。
体力的に疲れましたが、心はリフレッシュされました。
ただし、仕事で使っている携帯電話の着信・メールを確認する作業があり、立場が変わると落ち着けません。(涙)
本題ですが、「人生何が起こるかわからないですが、100年たってからの大逆転というのもあり得るのだなぁと、感じました。」との感想(コメント)を読みまして、「己がこの世から居なくなっても、まずは家族に迷惑をかけないようする事、更に国際的に役に立った様な行動を精進したい!」と思いました。
歴史から学び、状況により、変化に合わせる!
何が起きるか分からないが・・・。
色々と感じました。
SHIN
親としてのプライドがあり、立派(?)な人になってもらいたく子供には接していますが、私に何かを返してもらうことを期待していません。
他の処に良い影響を及ぼしてもらえれば嬉しく思います。
きれいな事を言っていると思われるかもしれませんが、本心です。
きっと、先生の息子さん達も、先生の処以外で良い影響を及ぼしていると思いますよ。
SHIN