朝からミンミンゼミ、クマゼミ、アブラゼミのミ~ンミ~ンミ~ン、シャンシャンシャンシャン、ジィ~ジィ~と大合唱でとても暑いのに余計に暑苦しい。夕暮れのヒグラシのなき声はカナカナカナと涼しげなはずなのだが、2晩前から何故か1匹近くにいるらしく、真夜中にカナカナカナととても大きい声で鳴き、ただでさえ蒸し暑い夜が寝苦しい。
そんな夏が来るのかしらと思っていた肌寒い6月の第1週の土日に猛威を振るっていた口蹄疫病を鎮めるため神社参りをするのに宮崎に行った。
1日目、大御神社、都農神社、舞鶴神社、都萬神社、巨田神社、生目神社の順序で周った。
朝1番ので来られたノワタリさんと空港で出会い、妹夫婦と4人でで出発した。
ホテルオーシャンやゴルフ場の横目で見ながら海岸沿いの有料道路を走ったが、も少なく快適であった。2月以来ノワタリさんとはお会いしてなかった事もあり車の中は賑やかであったが、一之瀬川を渡った途端、口蹄疫病が発生している町だからであろうと思うが、コメカミから上が締め付けられ段々と胸が苦しくなり、足も重くなった。宮崎市内とは全く気が違い、すべてが重苦しく感じられた。外出も制限されている事もあり、も見かけず、も少なかった。
「この胸の重さはこの町の人の思いかしら」と言うと、
「人だけでなく、処分されていったやの悲しい思いもあります。」とノワタリさんは言われた。
まず最初に宮崎のお伊勢さんと言われる大御神社にお参りした。本殿の裏から広がる斜めの柱状の岩と目の前に広がる太平洋の景色が素敵な所で、いかにも南国らしい開放感を感じる。
大御神社
境内に入り、海に向かっていると、ノワタリさんが「東から来られた。」と言う言葉を頂いた。私達は「ノワタリさんだよ。」と言っていると、「菊理媛様だそうです。締めくくって又これから始まります。」と言われた。今回、妹宅の神棚とご先祖事もして頂くようになっていたのでそれも含まれるらしい。
ノワタリさんはいつもの水、粗塩、御神酒だけでなく、お米も奉納する為持参されていた。
ノワタリさんが祈ってられる間、私達は海に向かってお清めして、天照大神様と菊理媛様御にご挨拶をした。最後に中腰になって手を海水につけ、それぞれエネルギーを流していると、突然大波がザブンと来て慌ててよけたが、ズボンと靴は浸かってしまった。
しかし、不思議な事にの中はグチョグチョになっておらず靴下だけ濡れていた。しかも海水なのにべったつきもせず、手はしっとりとしていた。
その後、口蹄疫病の発生している都農神社にお参りした。
都農神社
境内に入るとクチナシの甘い香りがしてきた。本殿に行くまでに、小さな小川があり、其処をお清めるように言われた。「この水が大きな川に流れ、蒸発していき、水だけでなく、大気を浄化しますよ。」と付け加えた。
本殿の前には輪抜けの構えがしてあり、笹に短冊が結んであり、夏越の祭り(蘇民将来だったかも)と看板が出ていた。来る途中、ラジオで自分ちの牛が殺され、その牛の冥福を祈って短冊を書いたと言う話が流れていた。私達は、順路に従って輪をくぐった。
そんな病が流行っているとは思われないほど、境内は穏やかで落ち着いていた。
その後、急いで昼食を取り、川南町の舞鶴神社をお参りした。城跡の公園の中にあり、手前の公民館には農家の人達が集まっていた。
拝殿の中に飾ってあった龍の絵
その後、西都の都萬神社に向かってはしったが、それまでも何度か消毒液の上を通ったが、今度は噴霧器で全体を消毒された。この町に大切な種牛を移動さしているという事だった。
この神社の裏手の池や川にもこっそりとお清めをした。
都萬神社
西都原古墳群の中をと通り、巨田神社に向かった。古墳群の小高い丘から見る町はのどかで穏やかな田園風景だった。「いいところね。住みたいな」と言うと、「夏の蒸し暑さを知らないからよ」と、妹に言われた。
巨田神社
巨田神社の前の溝、その近くの一ツ瀬川、そして宮崎市内に入り、大淀川の上流と河原に降り清め、生目神社にお参りした。
もう此処では、5時になり社務所は閉じられようとしていた。目によいと言う御神水を白内障の母(手術済みだが)と軽い緑内障の父に買った。
これで一日目は終了。宿は大淀川河口のホテルだったが、気の毒にホテルの人の話では宴会や、団体旅行のキャンセルが多いとこぼされていた。
それでも、レストランには中国語が飛び交い、は韓国語と中国語のチャンネルがいくつかあった。
今回、種が騒がれたが、ホテルのレストンのバイキングで地元の食材を使った料理が沢山あったが、食肉や焼酎だけでなく、ワインも含め宮崎の食材の豊富さと美味しさにびっくりした。
よく走り、周りました。でも、さすが神話の国、無人の神社でも 良いエネルギーで 大切にされ、敬われていると感じた。