昨夜の興奮も冷め遣らぬまま、次の目的地の月山神社へ出発。この神社は数年前に足摺に行った時にノワタリさん達と一度お参りした事があった。
その前に、以前ユキちゃんのお姉さんがノワタリさんにご縁があり、昨年ご主人を亡くされていたので、そのお宅へ伺った。私に亡くなられたご主人をスポーツマンタイプでがっしりした体型などを言われたが、もう病気になられた姿を一,二度お会いしただけなので、元気な頃を知らないが、後で話しているとまさにその通りだった。
大変中の良いご夫婦だったので、手元から離せずまだ墓地も決めていない事を理由にしてで仏壇の前に遺骨が置いてあった。
開口一番、ノワタリさんは
「あなたが、手放したくないのでしょ。」と言われた。遺骨にエネルギーを流した後、
「早くお墓を作って、落ち着かせてあげてください。いつでもあなたのそばに居られますよ。」と、優しく言われ、具体的に墓地を造る段取りを指導された。
その後、一旦太平洋を見て海沿いの集落から遍路道を山に上がり月山神社に着いた。
役小角[えんのおづぬ]がこの山で月影の霊石を発見し、この霊石をご神体として月夜見命・倉稲魂命を祀ったのがはじまりといわれ、その後弘法大師もこの神社で23日間、月待ちの行を修したといわれ,月山の名はこの神社の神体が月形の石であり、月夜見命を祀ったことに由来していという。
その間の奥の山側に御神体である三日月形石がある。
みんなで雑草だらけの道を上った。昨日の山道でさぞかし足は重いだろうと思っていたが、誰もそんな事も無く、道の無い所を枝に捕まってあがり、お清めをした後、ノワタリさんが歌われた。
そうしているうちにお5,6人の遍路さんが車でやって来て、私達のしている事を見ていたらしく、下りてみんなで服に付いた泥棒草を取り合っていたら、「えらい丁寧に祈られてましたね。」と、声掛けられた。
大師堂の天井には天井絵があるので中を覗いたが、道も雑草だらけで足場も悪かったが、こちらも蜘蛛の巣がはり、荒れていて常駐の神主が居る所とは思えなかった。
みんなでこの石の周りの雑草を取り除き、お清めした。
しかし、三日月にも見えるけど、どちらかと言えば船に見える。
みんな同じように感じたらしく、「船だよね~。」と
十種大祓の中に「天磐船に乗りて河内の国河上の哮峯に天降座して …」と言う祝詞が浮かんできた。
ノワタリさんは「私これに乗って降りて来たような気がするわ。みんなもそうじゃないかな。恐れ多いかな~。」と言われた。
その後、そのまま遍路道を進み、海辺に出た時、又此処でも施餓鬼供養のようにお清めした後持っている食べ物を海に投げ込み、般若心経や御真言をあげた。
今思えば、其処から山隔てた近くに弁天島があった。
そこから、昔の遍路道で離合も難しいような道を走り国道にでた。これで今回の予定は終了。
同級生のSが、「オツキササヤマ」と言って、月山神社と篠山は一対のような事を言っていたが、昨夜の月のことを思うと神社ではなく、月(月読命)と篠山ではないかと思う。
其処から、松山空港までの復路で道中は長い。途中お昼を鰹の美味しい「ゆらり内海」へ寄ると、満席で少し待ってみんなで海鮮丼と鰹のカツを頂いた。しかし、飽食ぎみで残してしまった。
余談だが鰹のカツはタルタルソースで頂くのだがこれがとても美味しい。家で妹も私も作ってみたが、タタキのように半生にする事ができず、揚げ加減がうまくいかなかった。
高速が大分伸びたので、予定より30分以上早く空港に着き、充分お茶を飲む時間があり、何時また旅があるか分からないが、再会を約束して分かれた。
今回の旅も上に守られ、順調に終わらせて頂いた。病み上がりの体で2日間ずっと無事に運転できた事も感謝である。有難うございました。
こんなにまた、後のたびの予定が入ってくるとはその時も思わなかった。
今回の篠山は黄泉比良坂で別れたイザナギ、イザナミが天と地が繋がるようにまた、一つになり、原点に戻っていくようであるとノワタリさんは言われた。
後行くようになった神社の事を考えても、神話の中の繋がりである。これからの旅を暗示しているみたいである。
ただ、読んでいる人はとうとうおかしくなったかと思われるかもしれないが、体験した者の感想である。
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