大河ドラマに生活が懸かっている人たちは鎌倉殿の盛り上げに懸命だけれど、こちらは平家の公達のイメージが漂う正代の土俵が気になる。あの温厚な語り口の尾車親方がスポーツ紙解説で「我慢の限界」とまでの表現を使って、大関としての奮起を促している。日曜日中日の遠藤との一戦でがっちり寄り切り、後半戦は元通りの強さに立ち直ると期待していたのに、腰痛の明生にあっさり力負けした。銀星インタビューで誰も心の底から喜んだ表情をしないのは、単なる慎ましさばかりでないことが痛いほど読み取れて、見ている方が辛い。憲法の規定にあるわけでもあるまいし、大関撃破殊勲インタビューは今場所もう止めた方が視聴者の精神衛生上、いいのではないか。
トンガの海底火山噴火で近くの小島が消失したとか。太平洋全域に津波を巻き起こした破壊力の凄まじさの根源の恐ろしさを示していて言葉が失う。富士山が噴火爆発して津波が起きたらどうなるか、東海、関東の大都市圏などを想像してはいけない気になる。
爆発的拡散は自然現象のみならず、大阪府のコロナ感染者が18日は6000人を超すそうで、社会現象にも地球規模の脅威が迫っている。きのうまでの東京都などの数字はピークアウトの方向かと勘違いしていたけれど、単に週末の検査体制結果だと気持ちを切り替えなくてはならなくなった。今夕までに東京都と全国の感染者数がどれだけ広がるか不安でならない。今年は少しは旅行に出掛けたいと思っていたのに、何たることか。
歩哨に立つ職場近くに大病院があって、早朝にするするっと黒塗りのハイヤーが横付けされると、暗い気持ちになる。暫くすると、裏の出入り口から看護師に交じって人々が出てきて、そのあとすぐ白布に覆われたストレッチャーか何かが運び出され、大型ハイヤーの荷台に載せられる。おそらくはご遺体のご退院だと想像できる。看護師らが出発の車に丁寧に頭を下げ、遺族と思われる人たちと短い挨拶を交わし、引き揚げていく。見えなくても、こちらも遠くから厳かに礼をするのが常である。寒い季節の方が多い気がする。我が身のお別れの時を想像すると、人に構われずに見苦しくても静かで寂しいものだろう。人に飽きて、煩わしいと思っていても、今際の際は寂しさが込み上げるに違いない。今生に出会った人に、実はこうこうだったと、挨拶しておけば良かったと後悔しているだろう。生前も死後も諸事ミスマッチが多いが、それを弥縫するのは至難なので、口を噤んでありのままでお別れするのが賢明なのだろう。小社会でも差し障りが多く、口を噤むことの多い世の中であった。金も言葉も残すものは何も持たないので、なまじ持つと余計恥の上塗りなので、寂しくてもそっと消えていきたい。
空しさは その色としも なかりけり
水の流れの 末は消えゆく
昨夜の満月
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