北海道沙流郡平取町に義経神社を詣でた。自害したはずの源義経は、平泉での裏切り襲撃から逃れ、竜飛岬から津軽海峡を渡って松前に着き、あとは北前船ではないが、基本的に弁慶岬など日本海添いに進み、日高国の平取町まで来ると、江戸幕府を開いたご神君徳川家康でも力が及ばないのに、前時代の源頼朝将軍の追及を気にする必要はなかった。完全に義経讃歌の世界に入っていた。
まだまだ青森県八戸市の長者山新羅神社辺りでは、義経を匿うため柴を回したり木を植えて探索に見つからないよう、細心の注意を払っていたのとは様変わりで、開けっ広げである。義経を匿うどころか、大将として仰いだと言い伝えられるようになった。むしろ義経との縁の深さを競うような気風が感じられる。
人間がどうしても逃れられない現実の厳しさから一時的にも逃れるため、夢に希望を託す心情と似ていると思えてならない。生身の現実と向き合って平然としていられる人間ばかりではない。夢は紡がれ大きく育つ。モンゴルまで届こうが非現実的でなく、歴史は何も間違っていない。
義経は
この手で護る
この世では
叶はぬ夢を
涙に託し
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