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東条英機の終戦直前手記

2008-08-12 18:09:09 | ニュース

東条英機元首相が、太平洋戦争の終結直前の1945年8月10~14日に書いた手記が、国立公文書館に所蔵されていることがわかった。という読売新聞記事 2008年8月12日がありました。
『国立公文書館によると、手記は東京裁判で東条元首相の弁護人を務めた清瀬一郎氏が法務省へ寄贈した資料の一部。鉛筆書きの肉筆メモのほか、1960年代に和文タイプで打ち直された資料がある。法務省が1999年度に同館へ移し、2007年から一般公開の扱いとなった。』 とのことです。

 8月10日の手記では、「東亜安定と自存自衛を全うすることは大東亜戦争の目的なり、幾多将兵の犠牲国民の戦災犠牲もこの目的が曲りなりにも達成せられざるにおいては死にきれず」(かな部分は原文ではカタカナ)と、重臣が集まった懇談会での自身の発言要旨を記録。
【終戦の判断を受け入れた心情について、昭和天皇が臨席した8月10日の重臣会議の様子に触れ「御裁断を経て外交上の手続を了せる以上別に所見を有せしも最早これを申し上げ、御聖明を乱すは恐懼に堪えざるをもって差し控うることとした」としている。--共同ニュース 2008/08/12 より補足】
 13日には、「もろくも敵の脅威に脅え簡単に手を挙ぐるに至るがごとき国政指導者及国民の無気魂なりとは夢想だもせざりしところ、これに基礎を置きて戦争指導に当りたる不明は開戦当時の責任者として深くその責を感ずる」と自分の考えを記し、当時の鈴木貫太郎内閣や国民を批判している。
 終戦前日の14日には、「大義に殉ぜる犠牲もついに犬死に終らしむるに至りしことは前責任者としてその重大なる責任を痛感する。事ここに至りたる道徳上の責任は死をもっておわび申上ぐる」と自らの死を決意している。東条元首相は終戦後の9月11日に拳銃自殺を図り、一命を取り留めた。

いずれどこかに全文が掲載されるのではないかと思います。東条英機の名は満洲國、関東軍、甘粕正彦、石原莞爾、竹中英太郎@満洲・・・などとも関連して私の脳裏に刻まれています。未だインターネットも使えない時代に調べものに関わった記憶が甦りますが、いずれ自分なりの再検討をしたいと思いつつ歳月が経過してしまいました。

 昭和史に詳しい作家の半藤一利さんは「終戦直前の手記が公になるのは初めてで、価値がある。終戦間際の揺れる思いがよく分かり、戦況の不利を国民や当時の指導者のせいにする本音が表れていて面白い。終戦直前まで、東条は軍人として戦争継続をあきらめていなかったことは意外だった」としている。
 また、東条元首相に関する著書があるノンフィクション作家の佐藤早苗さんは「東京裁判中の手記は明らかにされていたが、終戦前のものは聞いたことがない。感情をあらわにした表現もあり、当時の政府幹部が終戦に傾いていくのを、裏切られたような気持ちで見つめていたのではないか」と話している。

上のような作家の方々も利用されているのでしょうが、私も満洲國を調べる為に国立国会図書館や六本木の近く、飯倉の外交史料館に通い詰めていた頃もありました。インターネットである程度は調査ができる時代になっている事を驚きます。ブロードバンドが全国に展開されてきた今、公的史料が何時でもどこからでも閲覧できるようになる、それを願って私は今甲府にいます(^o^)

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