百済寺
100余りの僧坊を構える壮大な寺院だったが、織田信長の焼討ちで壊滅
江戸時代初期に本堂、仁王門・山門が再建される
石垣遺構は城砦化された百濟城の一部で
小石を積み上げた石垣であったため織田信長も安土へ”石曳”をせず
破壊されずに残った、大きい石だけ安土城築城に持って行ったのですね!
仁王門
仁王門 左右に大きな草履、仁王像は通常正面に置かれています
此処の仁王像は互いに向き合っています
本堂の手前に根本から沢山の枝分かれした木は
菩提樹 樹齢は1000年と推定
帰り道の駅で見たヒマワリ・冬ヒマワリ・と言うそうです、秋でも元気ですね!