「自分を信じろ」
「お前ならできる」
これらの言葉にどれだけ根拠があるのでしょうか?
私が中学生くらいになったときから「あー、現実は違うんだけどな」と感じていました。
なりたい自分になれない。
背が高くて、すらっとしていて、洋服が似合う。
顔が小さくて、いつも友達に囲まれて、笑顔でいて、勉強もスポーツも万能。
異性の恋人がいて、地元で有名な進学校に合格し、将来は有名国立大学に進学できる。
これらは私が思春期真っ只中の中学2年生の時、社会から、そして物心ついたときから親から洗脳されてきた「なりたい自分像」でした。
しかし実際はこれらのどれ一つ満たしていない、なりたい自分になれていない状態でした。
それがこの世の現実でした。
今からなら当時を振り返ることはできますが、これらの理想、なりたい自分は「他人から羨ましいと思われたい」という気持ちしかありません。
その結果、「どうだ、すごいだろう!」と自慢したい、見下したいという不遜があり、こんな感情は当然ながら「持ってはいけない感情」なのです。
ですから、当然叶えられるはずもありません。
RAPTブログに出会い、神の存在を知るまでは、
実際のところ、私の人生は「直観」「ヤマ勘」と死に物狂いの「努力」だけで生きてきました。
今から思えば、「本当に何の挫折もなくこれたなぁ」と自分の強運に目を見張る人生だったと思います。
しかし、悪く言えば、「行き当たりばったりの人生」でいつも心のどこかで落ち着かず、「安定」や「安心」を求め心の中は「不安と恐怖」に満ち溢れた人生だったと思います。
例えば、私は警察官に任官し3年過ぎた頃、ようやく内勤の仕事も一人でできるようになりました。
そして、あとは巡査部長試験をパスして本部勤務の道が拓ける手前の時期があったのです。
しかし、仕事は好きだったのですが、どうしても自分を殺し生きていかなくてはならない組織体制に馴染むことができず
「一生組織に飼いならされる人生は嫌だ。自分で決断して生きていきたい、選択して生きていきたい」
という強い思いが湧き出てきてから、いつしか転職を考えるようになりました。
パソコンが好きだったこともあり、IT関係の仕事も考えましたが、27歳から第2新卒で働くには厳しいと物怖じしてしまいました。
それに、警察官として働き始めてから、毎日事件事故での呼び出し、仕事の呼び出し電話がかかってくるのではないか?という窮屈な毎日を送っていたため、就職する前にもう少し自由な時間を過ごしたい、実家に戻ってゆっくり過ごしたいと考えていました。
そこで、「バイト程度に働きながら、世の中の事を勉強しながら、資格就職できる方法はないか?」
と思いつき、「手に職の看護師免許を取得しよう」と考え、
授業料は働いていたころの貯金で賄い、政治経済、哲学、宗教学といった一般教養も勉強できる地元の国公立大学の社会人入試を探し受験することにしました。
社会人学生枠は3人の募集で応募数が30名でした。
これといった強い動機もなく、「学び直したい」という気持ち、「勉強不足で社会に出てしまい、もう一度人生を見つめ直したい」という気持ちだけで臨んだのです。
看護学科の志望動機はそれこそ「手に職をつけたい」「人の役に、社会の役に立ちたい」という今から思えばかなり不純な動機でした。
しかし、学科試験、小論文試験、面接となぜか全て上手くいってしまい、あれよあれよと合格してしまったのです。
合格発表啓示を父親と見に行った時の状況は、いまから10年以上前の出来事ですが、その時の驚きは鮮明に覚えています。
しかし、そこからの人生も苦悩と挫折が続きました。
大学に進学して、私は看護学などに興味を持たず、ただひたすら、「社会に出て自分は通用しなかった。何が足りなかったのだろう。」
と考え、一心不乱に一般教養を勉強しました。
それこそ、文化人類学、法学、政治学、経済学、哲学、倫理学、宗教学に関しては、卒業時必要単位をはるかに超える単位を取得しました。
履修者数制限のある講義は担当教員に、お願いして「単位はいらないから講義を聴かせて欲しい」と聴講していました。
そこで当然、陰謀論にも辿り着きました。
哲学の教授とは、「陰謀論について」何度も討論したこともあります。
宗教学の講義では、講義の手伝いまでさせてもらえるまで教授と昵懇の関係になりました。
経済学の教授には何度も質問しにいき、終講試験、レポートでは毎回満点がとれるほど勉強しました。
知識、教養は増えていきます。
当然、親よりも同期の学生よりも深い見識がついてきます。
しかし、恋人を作って浮かれ楽しんでいる学生や大学に入った途端勉強もせず、サークルやコンパで明け暮れている他学生をみて
「自分も恋人が欲しい」「沢山の友達に囲まれてワイワイ騒いで、今を生きているようだ」「悩みが無さそうでうらやましい」
と思う感情が消えてなくなりませんでした。
そこで、社会人学生でしたが、大学サークルに入ることにしました。
学祭りや試合、キャンプなどキャッキャッと年甲斐もなく騒ぎました。
飲み会で倒れる事も数回ありました。
後輩を介抱することも何度もありました。
急性アルコール中毒で救急搬送される後輩もいました。
しかし、これらの生活もどこか虚しいのです。
こういった「特別な事がないと楽しくない」のです。
「何か楽しいことがないか、何かイベントがないか」
人生に目的がなく、「どこかに楽しみがないか?」と探している状態でした。
飲み会や遊びに行くためにバイトでお金を稼ぎ生活するだけの日々でした。
そして、2度目の大学生を経験し、「これでもか」と遊びつくして社会に戻ることになります。
しかし、3年たつ頃、ようやく一人前になってくると「働く事」はやっぱりつまらなく感じてきます。
結局、ルーチンなのです。
そして、「警察も看護師も結局、人脈、人間関係だけで渡っていけるな」と悟ってしまったのです。
「病気になる人がいなくれなばいいいいのに」
「入院治療する人がもっと減ればいいのに」
という単純な考えが浮かんできました。
今の日本は「病気になることが当たり前」なのです。
こんなおかしな社会があるだろうか?
「社会が病気を作り出していのではないだろうか?」
2度目の陰謀論と向かい合います。
内海聡、船瀬俊介、安保徹、そして『医療ビジネスの闇―“病気産生”による経済支配の実態』の著者、崎谷 博征など書籍を読み漁り動画を何度も閲覧しました。
そこでは、大本教系列の西洋医学批判、石油メジャーによる製薬会社の薬漬けの悪事やあらたな東洋医学の健康法に触れました。
そして、看護師として、根治療法しない西洋医学に従事することが馬鹿らしくなったのです。
新しい健康法はほとんどすべて試しました。
そして、西洋医学がない世の中を創れば、健康保険や膨大な医療費問題も解決すると考えていたのです。
しかし、転職が決まり、油断したことと、度重なる不摂生と仕事の疲れ、ストレスから帯状疱疹を再発し、治療が長引くことで、免疫系に異常が起きてしまいました。
代替療法もどれも効果がなく、ただ自然治癒力に頼って、1か月間、自宅で寝て過ごしていたのです。
その間、仕事も休職し、何もすることがありませんでした。
運よく、有給が残っていたため、全て使い切ることができましたが、痛み、痒み、代替医療への失望という3重苦の中で日々を過ごしました。
「この世に救いなんてないんだろうか」
と思い、それでも何か他に治療法があるのではないか?ネットで検索していた時、ビルゲイツのワクチン動画にたどり着くことになります。
人工削減計画です。
ビル・ゲイツ 「ワクチンで人口削減が可能」
しかし、この動画を見ても、釈然としませんでした。
何故か?
それは、「どうしてこの世の金持ちや権力者や支配層は、ワクチンや抗がん剤のような回りくどい方法を使って人工削減しようとするのか?」
「手っ取り早く、戦争を起こして人殺しすればいいのではないか?」
ということです。
確かに、ワクチンや抗がん剤を使えば、製薬会社はもうかりますが、製薬会社や関連している人たちはもう十分、一生を遊んで暮らせるくらいのお金は手にしているはずなのです。
ですから、これ以上金稼ぎをする必要があるのだろうか?
彼らをここまで残虐に強欲に掻き立てる動機はどこからくるのだろうか?
という考えが取れなくなりました。
そして「医療界には3つの聖水がある」という話を動画で見ました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(医療界には3つの聖水がある)
「医学不要論」内海聡の内海塾
(文字起こしはこちら)
医学界には三つの聖水があると医学不要論では定義しています。
それが「精神薬、ワクチン、抗ガン剤」です。ほかのすべてのクスリも無駄なものばかりですが、この三つは特にムダばかりか有害であり、非常にお金が動くということでこれにしています。
その中でもガン利権自体は年間約15兆円、国防費の3倍であり一番の医療産業だと述べることが出来るでしょう。
どうして1990年代から抗ガン剤の無効性や有害性が叫ばれているのに、この愚かなクスリに頼ってしまう人がいまだいるのでしょうか?
ガン死の80%は三大療法(手術、抗がん剤、放射線治療)によるという内部研究があります。
岡山大学付属病院のインターンの学生が調べてみると、80%がガンの三大療法(手術、抗がん剤、放射線治療)で死んでいました。その発見を論文にしようとしたが、握りつぶされたというのはこの世界では有名な話です。
なぜここまで隠蔽するかといえば、抗ガン剤ほどにおカネが儲かる医療分野は存在せず、ある抗ガン剤は0.1g7万円もするほど高価なのです。
代表的抗がん剤であるシクロホスファミドは、毒ガス兵器であるマスタードガスと同義であり、なにひとつ癌の根治に寄与することはありません。
厚生労働省のガンの専門技官は、抗がん剤がガン治せないのは常識だとはっきり述懐しています。
あるシンポジウムで大学や大学病院の権威者が集まり、抗ガン剤がどれほど効かないかや抗ガン剤で治る癌などない、とはっきり述べています。こんなことは医者なら誰でも知っていることであり、私の経験に照らし合わせてもその通りなのです。
癌の化学療法は無力どころかリバウンドすることがわかっています。これを抗ガン剤毒性の耐性とよび、反抗癌遺伝子(ADG)と呼ばれるものがかかわっていることは科学的に証明されています。
抗ガン剤を多く投与すればするほど早く死ぬという大規模研究も存在します。
あるデータでは癌治療を拒否した患者の平均余命は12年6カ月で、癌治療を受けた人の平均余命は3年でした。何もしないほうがまだ4倍も長く生きるのですが、ここに自然治癒力を鼓舞する治療を加えれば、根治も不可能ではないのです。
ではなぜ日本でも抗がん剤を勧め、かつ抗ガン剤が効果があるようにのたまうのでしょうか。
医療者は患者などカモとしか思っておらず金ヅルとしか思っていません。
抗ガン剤研究の論文などは捏造のオンパレードであり、一般人にはほとんど見抜くことができないレベルです。
おかしいではないか?と良心的な一般人は思うかもしれませんが、基本的に政府の認可というものは、癌が一時的に小さくなったということが証明されれば通るわけで、結果人々が早く死のうが遅く死のうが知ったことではないのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)
この動画から、彼らが悪を行う本当の理由について知りたいと調べ始めました。
そこで、RAPTブログにたどり着くのです。
ワクチン→ビルゲイツ→RAPTブログという順番です。
RAPT × 読者対談13 イルミナティの日本移住計画。ビル・ゲイツが軽井沢に引っ越してきた理由。
(この動画は、イルミナティの重鎮の東出融とRAPTさんが対談をしています。)
実は、この当時、RAPTさんよりも東出融の情報量、陰謀論に興味を持ったのも事実でした。
のちに、東出融が手のひらを返し、RAPTさんを迫害します。
RAPT×読者対談75 あらえびす・東出融の正体(1)
そして、RAPTブログを読み進めていくと、「この世のカラクリが全て解けるのではないか?」
という疑問が確信に変わっていきました。
そして、「自分が知りたかったのはここなんじゃないか?」という真実に近づいた感覚を確信したのです。
全ての叡智と知識がここにあるのです。
そして、人間はどこまでも賢くなれる、そして真実に触れることで不安や悩みから解放されていくのだと感じました。
そして、今では「この叡智は神がRAPTさんに与えてくださったものだ」と確信できるようになりました。
そして、私も人間レベルを遥かに超えた知恵や知識、視点を手にいれたいと素直に感じるようになったのです。
そして、世の中に真実を述べ伝え、病気の嘘やワクチンの嘘でで悩み苦しむ人がいない世の中を作っていかなくてはならないと思い始めたのです。
そうするにはどうすればいいのか?
神から認められる、豊かに与えられる存在になるしかない。
そう考えるようになりました。
そして、神から叡智を与えられたRAPTさんを師と仰ぎ、神から認められる方法を学ぶ事が大切だと分かったのです。
RAPTさんの有料記事で学ぶようになり、RAPTさんが神と心情一体となり、「人類を救いたい」と願っていることが毎朝伝わって来るようになりました。
そこで「人生はこれほどまでに雄大なテーマ、課題が人間には与えられているんだ!」
と感動した事を覚えています。
それから、人生が「与えられる生活」に変わりました。
「己の私利私欲のため、あほみたいに、努力する生き方」から「まず求めてから必死に努力する生き方」になったのです。
そして、何より日々の活力、モチベーションが毎朝豊かに与えられる人生に変わっていきました。
しかし、私のような無名で、何も実力のない、「蟻のような」ちっぽけな存在では誰も耳を傾けてくれません。
ですから、もっともっと求めて、努力して、
種を撒いて、大きな実が収穫できるような水分や太陽の光、温度を頂けるような人生を送れるように日々、実践していかなくてはならないのです。
『求めなければ与えられない、求めれば与えらる』そのような素敵な人生をRAPTブログは私にプレゼントしてくれました。
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