あなたは何を信じていますか?
また、それは何故ですか?
この質問に対して様々な答えが返ってきそうです。
「自分を信じています。努力は必ず報われますから」
「お金を信じています。お金で手に入らないものはないですから」
「両親を信じています。両親は私を育ててくれましたから」
「友達を信じてます。いつも私の気持ちを分かってくれて、助けてくれるからです」
「家族を信じています。子供の成長は楽しみですし、家族はいつも癒してくれます」
「神を信じます。人間のように心変わりがなく、心を見て下さり、いつも正義と愛があるからです」
私たち現代人、特に日本人は、「お金」を信じて生きています。
社会的地位が欲しいのも、結局は社会的地位によって、お金を得て、贅沢したいから。
逆にお金を使って、社会的地位を築き、自尊心を満たすことが目的になるかもしれません。
この問いは「人生をどのように生きれば良いのか?」という価値観を測る質問になります。
「結局、自分しか信じるものがない」という孤独感を持って生きるか?
その孤独感を埋めるために、友達や恋人を作ったり、趣味や仕事、買い物、旅行、グルメに走り、時々訪れる「虚しさ」「寂しさ」を紛らわせるのが人生だと考えている人がこの世の中では大半なのではないでしょうか?
私は、空いた時間があると聖書を読みます。
すると、「何を読んでるの?」と質問されます。
そこで「聖書を読んでいます。聖書って知ってますか?」
と質問します。
「知りません。何が書いてあるのですか?」
「人間はどうやって生きれば幸せに生きられるか?について書かれています。
でも、何度も何十回も、何百回も読まないとわからないんですよ。読む人のレベルで理解できる次元が変わってくる不思議な本です。」
と答えると「難しいから、いいや」と笑ってごまかします。
さらに、深く質問してくる人は「クリスチャンなんですか?」
と質問してきます。
「クリスチャンって何ですか?」
と質問されると、「神の存在を信じている人のことですよ」と答えます。
そして「あなたは、何を信じて生きていますか?」
「何も信じていません」
(日本人なら当然、このような答えが返ってきます)
「では、今、何があなたを幸せを感じる時って何をしている時ですか?」
「う~ん、スマホゲームとお金を手に入れる時かな?」
「じゃあ、あなたは、ゲームとお金が幸せにしてくれると信じているんですね!」
「確かに、ゲームのためとか、お金稼ぐためなら、嫌な事でも我慢できるしなぁ」
嫌な事があっても我慢できるのは、その報酬によって喜びを得たり、幸せを感じたりすることができるからですね。
つまり、その報酬によって脳内で快感物質が放出されている状態になれるからです。
しかし、それらが無くなってしまったら、また手に入れる必要がある。
スマホゲームもいつまでも遊んでいるわけにはいきません。
当然、飽きが来るし、飽きたらまた違うゲームを探さなければならない。
お金だって使えばなくなる。
無くなれば、また大変な想いをして、我慢して稼がなくてはならない。
恋人だって、いつも自分を喜ばせてくれるわけではない。
浮気されたり、他の異性のところに行ってしまうかもしれない。
時に友人や家族を優先するかもしれない。
そうしたら、また恋人を探さなくてはなりません。
いつになったら理想の恋人がみつかるのでしょうか?
私たちが最終的に喜びを感じているのは「脳」です。
詳しく知りたい方はこちらの記事をご覧ください。↓
(RAPT有料記事205(2017年9月9日)人間の脳は体を動かすエンジンだから、脳の回転を高めてこそ価値ある人間と見なされる。)
では、「脳」が一番喜ぶこと、ドーパミンやセロトニンがいつも充満させくれるものを手に入れれば、人間は幸せだということになりますね。
それは一体何でしょうか?
一番簡単なのは「麻薬・覚醒剤」といった向精神薬の類です。
しかし、これらの薬物は脳に後遺症をもたらし、激しい幻覚や幻聴、妄想が副作用で襲ってきて、精神崩壊=廃人となってしまいます。
精神崩壊とは、現実感がなくなり、日常生活ができなくなってしまうことです。
いつも「麻薬や覚醒剤のようなドラッグのことばかり考える」のが習慣化して、それらのドラッグにより、食事もまともに取らず、風呂も入らず、糞便も垂れ流し、最後は憔悴して、野垂れ死にしてしまうのです。
上記のリンクでの薬物乱用対策の漫画を読むと、本当に恐ろしく感じますね。
色んな意味で恐ろしいのですが、精神病院に入院している人たち向精神薬を内服しているので、同じ体験しているのかな?と思ってしまいます。
私たち人間は、姿かたちは公平に作られておりません。
しかし、脳だけは、使えば使うほど賢くなるし、機能がどんどん上がっていきます。
良心に従って生きれば、隠し事なく、後ろめたさなく生きられるため、脳の機能は正常に維持されます。
しかし、一旦欲望にまみれ、自尊心やプライドを守りたいという考えが産まれると、人間は「嘘をつく」ことになります。
「嘘をつく」と嘘をつき続けなければならないため、脳の中が常に「隠し事をし続けること」になるのです。
隠し事をし続けるのは辛いですから、人間は「一時的な快楽や享楽を求めることに走る」のです。
「こんな仕事したくない。でもお金がないと生活できないから、、、我慢して続けるか。でもいつまで続ける必要があるのだろうか?」
これでは、奴隷ですね。そして絶望がいつも頭の中に渦巻いています。
そいうった感情を押し殺すために、刺激の強い、酒やタバコ、不倫やギャンブルなどに走るのでしょうか?
看護師、医療専門職とはいいかえれば常に嘘をついていなくてはならない仕事です。
「病気で苦しむ人を助けたい、力になりたい」と考えるなら、「病気を撲滅させる活動をしなくてはならない」という考えには至りませんか?
「そもそも、老いや老化を病気としている現代医療に不自然さを感じませんか?」
外科や循環器に行っても、治療を受けているのは後期高齢者ばかりです。
人の不幸を飯のタネにしているのが医療従事者であるという根本的な考えがなければ、医療職は務まりません。
「看護師」という仕事は、他人が不幸にならないと仕事がなくなってしまうのです。
白衣の天使?
誰がそんな言葉を言い始めたのでしょうか?
日本は国民皆保険といって、健康保険料を強制徴収して保険税として、医療費を賄っています。
つまり、税金で医療を行っています。
税金を導入するとろくなことがない。
税金=無駄遣い。
どのように無駄遣いするかというと、必要な人には使われない偏りが産まれるのです。
それが、厚労省を管轄する政治家や官僚、後ろに控える医療機器メーカー、製薬会社であったり、土建屋に流れるのです。
看護師以外に道はないのか?
安易に選択すれば、それはいばらの道になるかもしれません。
看護師の道を選ぶ人は慎重に考えるべきです。
国家資格を取るということは、その道しかなくなるということ。
人生の可能性をなくすことに繋がっていきます。
時間とお金を考えてみてください。
個性と才能を必要としないのが、国家資格だとすれば、何か他にやりたいことがあるなら、バイトしながら、夢を追いかける。
質素な生活をしながらも希望を持って生きるほうがよっぽど幸せだと思います。
どうやって人間は生きればいいのでしょうか?
安易に看護師になろうとするのでなく、一度考えてみてください。
RAPT×読者対談86 人生の取扱説明書の値段はいくらが適正か?
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