私たちの脳は本当に未知なる世界であるといえます。
その脳を担当するのが、脳外科、神経内科、精神科が存在します。
●脳外科の場合、実際脳を触ったり、アンギオ検査を行い、脳血管の状態がどうなっているのか?ヘッドCTをとって脳室の状態などを検査し、実際、器質的に脳にどのような影響があって、神経障害、筋力障害、言語障害といったものが出現しているのか?の原因を探索して治療のアプローチをしていきます。
●神経内科はというと、上記の内容と連動して、神経反射テストや筋力テストといった脳神経に関する検査を行い、脳神経が正常に作動しているか?を調べ、リハビリや薬物療法によって、神経障害を治療していくことが目的となってきます。
●精神科は?というと、「近所のおばさんがいつも悪口を言ってくる」と言い始め、隣の家のおばさんに文句を言いに行く。
事実無根であるが、そういった状態が続き、ある時、金属バットを持って、隣の家に行き、ガラス窓を割ってしまう。
上記3つ、脳外科、神経内科、精神科についての治療対象について簡単にですが、書いてみました。
この中で1つだけ嘘をついている、客観的事実が存在しない科があります。
お判りでしょうか?
それは、「精神科のエピソード」です。
エピソード①
「突然、近所のおばさんが悪口を言ってくると被害妄想的発言がでて、金属バットを持って、隣の家の敷地内に入り、バットでガラスを割る」
こんなことはあり得ません。
エピソード②
「引きこもり生活が1年ほどたったころ、突然、俺は神だ。神から選ばれた人だ、と言い始め、二ビル星人が襲ってくるから何とかしろ!?と発狂し母親に暴力を振るい始めた」
こういったエピソードが精神科ではよく聞かれます。
しかし、これらには実は嘘が混じっています。
というか、こういった非現実的なことや、事実と違うような、被害妄想的な考えが出てくるのにはちゃんとした「理由」があります。
しかし、精神科病院を受診するのは「本人ではない」ですよね?
ご近所トラブルで困った身内が精神科病院に連れてくるのです。
これが、先ほど挙げた三つの脳外科、神経内科、精神科の脳外科、神経内科と違うところなのです。
つまり、本人が自身の希望で受診していませんから、症状が第三者からの供述に依拠しているのです。
「本人の言い分が実は含まれていない」それが精神科の特徴なのです。
確かに、隣の家に金属バットを持って殴り込みにいったAさんは、その理由を聞くと、
「隣のおばさんが、俺の悪口を言っているから腹が立って、文句言いに行った」
と言います。
診察はここで終わりです。
本人の同意が得られれば、任意入院、同意が難しいようであれば、家族の同意で医療保護入院になるだけです。
Aさんは納得いきません。
「え?なんで?早く退院させてよ」
精神科医:「気分が落ち着いたら退院も考えていきましょう。今はゆっくり休んでください」
なんだか辻褄があっていませんね。
そして、本当に隣のおばさんは、悪口を言っていないのでしょうか?
いえいえ、違います。
実際よくあるケースについて少し説明します。
殴り込みに行ったAさん、実は母親がご近所さんと不仲でした。
というか一方的にAさんの母親がお隣さんに恨みを抱いていたのです。
ご近所づきあいがあるため表面的には取り繕っていたのですが、子供のAさんには隣の人の悪口をこぼしていたのです。
そして、自宅では、隣に住む家族の子供とわが子を比較するような発言や隣の主人の年収や仕事の話を自分の夫と比較するような話をAさんの前でしているのです。
つまり、当事者のAさんでなく、母親がお隣さんの事が気に食わなかったのです。
そのきっかけが、ゴミ出しの方法で注意されたことでした。
そんな些細なことを、当事者の母親は根に持ち始め、事あるごとに自分の子供Aさんの前で、お隣さんの悪口や小言を言い始めました。
そして、「隣の子は勉強やスポーツが良くできる」「公務員や大企業に就職が決まったらしい」などいちち情報を嗅ぎまわり、自宅で悪口、陰口をたたいている様子を子供Aさんに聴かせていたのです。
そんな話を聞かされ続けている子供Aさんはどうなるでしょうか?
「母親のお隣さんに対する憎しみ、そして隣の家族に対する劣等感を感じ、それを自分が努力することで払しょくしてやろう」と思い始めるのが子供心ではないでしょうか?
はたまた、母親から「隣の子は、偏差値の高い大学に合格したから、あなたも受験頑張ってね」と言われ続ければ、Aさんにとって暗に「お隣さんの存在」がうっとおしい、目の上のたんこぶのような存在にしか思えてこないのではないでしょうか?
それは何故か?というと、子供は、「母親の恨みを晴らすための道具」として使われているに過ぎないと感じてしまうからです。
常にお隣さんと比較され、勝ち続けないといけない、母親の恨み、コンプレックスを解消させることでしか、子供は母親からの愛(歪んだ愛)を得る事ができないからです。
実は、このような背景のもと、
「突然、近所のおばさんが悪口を言ってくると被害妄想的発言がでて、金属バットを持って、隣の家の敷地内に入り、バットでガラスを割る」
という暴挙に出ているのです。
お判りでしょうか?
精神科医療はここまで原因探索をしません。
そして、結局、当事者は医療保護入院して、向精神薬を飲まされ、安静治療させられ、鎮静化します。
入院長期化を避けるため、3か月後、母親と外食するために、院外外出する許可が主治医からおります。
母親は車で迎えに来た、そのついでに忘れ物をしたため、当事者を連れて自宅に寄ります。
当事者を車に乗せ、自宅に忘れ物を取りに行っている間に、トラブルが再発してしまいました。
トラブルのあった、お隣さんが偶然帰宅したのです。
Aさんはお隣さんを見つけるや否や、車のドアを開け、暴言を吐きます。
お隣さんは、慌てて自宅に逃げ込み、恐怖のあまり、110番通報します。
大声に気付き、警察が駆け付ける前に、母親が戻ってきて、精神病院にAさんを連れ戻すことになります。
病院に連れ戻されたAさんは母親に「なんで戻ってこなければならないの?早く退院させてよ?悪いのはお隣さんでしょ?」
と言い続け、退院要求が止まりません。(結果的に退院はズルズル先延ばしされ、5年、10年と月日が経っていきます)
さらに、近所でも悪い噂が立ち、Aさん家族は引っ越すことになります。めでたしめでたし
それはそのはずですよね?
Aさんは母親のお隣さんへの恨みの「代理行為をしていたに過ぎないから」です。
お隣さんへの、積年の恨みを子供のAさんに語り続け、暗示をかけ、それを実行したのがAさんだとしたら、この病気?の原因は一体どこにあるのでしょうか?
今回の場合、
「母親のコンプレックス」「母親の自尊心」
ではないでしょうか?
コツコツと母親が子供を洗脳し続けたのです。
そして、母親からの愛をもらうために、子供は母親を喜ばせる必要がある。
そのためには、お隣さんに勝ち続け、母親を満足させ、母親から褒めてもらい、お隣さんと比較され自分に対しての愚痴、悪口を聞かなくて良い状況にしなくてはいけない。
こういった強いストレス下でAさんは過ごし、生きていく必要があったのです。
ですから、悪口を言っているのが「お隣さん」ではなく、実は「母親がお隣さんの悪口を言っていた」のが事実なのです。
しかし、隣に侵入して金属バットでガラス窓を割ったのは、Aさん本人ですから、Aさんの母親はその「悪口を言われていると思い込んで、起こってガラス窓を割った」ということだけを精神科医に告げるのです。
物事にはちゃんと、原因があるのです。
原因があって、結果が生じます。
人間は自分の都合の悪い事は言いません、つまり隠すのです。
そして、善人を装い生きている人ばかりです。
しかし、そういった嘘偽りは、Aさんのように、身内の誰かが「行動化」することによってばれてしまうのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(エピソード②)
「引きこもり生活が1年ほどたったころ、突然、俺は神だ。神から選ばれた人だ、と言い始め、二ビル星人が襲ってくるから何とかしろ!?と発狂し、母親に暴力を振るい始めた」
実はこのケースBさんも、なぜ引きこもりになったのか?という原因探索されず、騙されて精神病院に連れてこられて、外来で暴れて入院となったケースです。
精神科医から強制入院(非自発的入院)を言い渡され、怒り狂ったところを屈強な看護人に取り押さえられ、セレネースを正中に静注されて、そのまま隔離室に入院となったのです。
実は、Bさんは代々東大卒の家系でした。
これはよくあるケースです。
母親の言う通り、受験勉強を頑張って、有名私立中に入学するも、高校入試で失敗、当然大学入試も失敗、引きこもりしながら、浪人生として生活している間に、奇異行動が出始めたのです。
こればかりは、母親だけのプレッシャーではありませんね。
一家総動員でBさんにプレッシャーを与え続けていたのかもしれません。
2例目は簡単に説明しましたが、1例目のAさんと同じような状況です。
要するに、歪んだ家族愛が精神病を生み出しているのかもしれません。
歪んだ家族愛とは一体何でしょうか?
「自尊心」「プライド」「コンプレックス」
から生まれてくるものです。
「愛」を知らずに男女が出会い、異性的な愛で結ばれ、結婚して、子供を産む。
そして家族を作る。
しかし、そこには異性的な愛しか存在せず、子供を育てるために、父親は経済的に働く、母親は家事や世話をする、あくまでも「義務的な愛」しか存在しなくなる。
その中で何も軸がない夫婦、両親が子供の人生の指南役にならなくてはいけない状況で、「勉強かスポーツ」はたまた「学歴、資格」そして、「安定した収入、大企業か公務員になれ」と、子供=本人不在の人生設計がスタートしてしまうのです。
たまたま、暗記力が高かったり、運動能力が高い、身体能力が高い、社会性、対人スキルが高い性格の子供であれば、「親の期待」というストレスに押し潰されることなく自分の力も使いながら、成人までなれそうですが、そんな子供ばかりではありませんね。
ですから、道半ばでストレスにより、「脳がおかしくなってしまう」つまり現実適応できなくなってしまうのです。
人生の道しるべも持たず、見切り発車してしまうと、右往左往するだけでなく、「人生という旅路」で憔悴し旅をすることをやめてしまうのおそれがあるのです。
こういった「人間とは一体何なのか?」「人生はどう生きれば良いのか?」が分かっていない現代社会において、欲望ばかり駆り立てられて生きていると、欲望を満たすことができない状況が続けば、「気がくるってしまう」のは当然です。
また反対に、欲望ばかり満たしていると、最後は欲望の虜になってしまい、薬物やアルコール、不倫など反社会的な行動に走ってしまうのかもしれません。
精神を病む=脳を病むということは、「人間はどうやって生きていけばよいのか?」という問題を解決しないことには、解決方法が見いだせません。
嘘で取り繕うような考え方、誤魔化す生き方をしていれば、いずれ精神が破壊されてしまうのです。
昨今の精神科医療では「薬物療法」が主体となっています。
「人生をどう生きればいいのか?」という答えが、精神科医自体分かっていないため、「麻薬」を内服させ、頭をぼーっとさせ、「問題行動が出ないように鎮静化する」のが精神科医療の実態なのです。
どれだけ勉強しても医学部を卒業しても「人生をどうやって生きればいいのか?」はわかりません。
それは現代の精神科医療の実態を見れば明らかです。
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答えを知りたい方は、こちらの記事を読んでみてください。
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