今回の記事は、「情で生きるのではなく、愛で生きる」について書いていきたいと思います。
このブログの読者の皆さんは、様々な人生経験をされていると思いますが、やはり社会人になって大きな経験となるのは、「結婚よりも離婚」
「就職よりも退職」のほうがインパクトに残ります。
出典:ストレスの強さを測るものさし ――社会的再適応評定尺度(SRRS)
こういったライフイベントで、どうして強い心理的負荷がかかるのか?というと、そこには「強い情」があるからです。
人生は「情」が深ければ深いほど、「情」に捉われて、感情的になり、苦しみ続けるのです。
実際に、暴力団・やくざ、詐欺師などは「人間心理」を熟知しており、そういった心理を逆手に「情」をうまく利用して、対人コントロールをします。
これは人間の本質的にもっている「弱さ」の部分で、実際に人生で乗り越えるべき課題は、「人間の生まれ持った弱さ」を乗り越えること、これが「堕落からの回復」にあたるかもしれません。
具体的に話をすると、私たちは「可哀想」「気の毒」「嫌な人だと思われたくない=嫌われたくない」「良い人に思われたい=人間関係で苦労したくない、不利な立場になりたくない」「他人から賞賛されたい」「尊敬されたい」などという気持ちから
「嘘」をついたり
時に他人を見下したり、
他人を道具のように使ったり、
誹謗中傷し集団でイジメたりなど
「高慢」になって高ぶるようなことをします。
まるで、自分がその業界で、その集団で力を持ち、発言権を持つことで、「神にでもなったつもりになる」のでしょうか?
私たちは「高慢」になりプライド、自尊心が肥大していって、心がどんどん汚れていきます。
つまり「情」に支配された生き方により、「プライド・自尊心」への執着が出てくるのです。
そういった自尊心プライドに漬け込んだビジネスがありますのでご紹介いたします。
・・・・・・・・・・・・・・・(アメリカで日本の退職代行業が話題に。それは何故?2018年9月11日 20時0分 ライフハッカー[日本版])
正社員や契約社員、バイトやパート---どんな雇用形態であれ、みなさん仕事を辞めた経験はあると思います。
会社に退職を告げてくれる代行サービスがある
問題なく辞められるならいいのですが、辞めると言い出しにくい状況もあります。
NPRの記事で、日本に退職代行サービスがあるのを知りました。同記事によると、設立1年という退職代行サービス「EXIT」の利用者は20~30代が多く、需要はあるとのこと。
このサービスが日本的だということでアメリカのメディアに取り上げられていました。
たしかに、日本的なしがらみや職場環境によっては辞めにくいこともあるのはわかりつつも、日本でもアメリカでも仕事を辞めてきた私は、退職手続きをアウトソースするという考えにちょっと驚かされました。
人事側の意見は? 日米でどう違う?
では、このような代行サービスを通して退職を告げられる側の意見はどうなのでしょうか。
日本のある大企業に勤めるAさんにお話を伺いました。
Aさんは人事畑30年のベテランですが、このような退職代行サービスを通じて退職届を受けとったことがあるそうです。最近の例では、介護を理由に辞めたがっていたのに上司の引き留めにあっていた社員とのこと。
私が思っていたよりも、退職代行サービスはすでに浸透しつつあるのかもしれません。
日本では雇用形態にかかわらず、ハラスメントなどがあって、辞めにくい状況で利用する人が多いのではと話してくれました。
アメリカなら「面倒くさいから」退職代行を利用する
では、アメリカ人はこのサービスについてどう思うのでしょうか。まわりの人に聞いてみました。
「アメリカでもそういうサービスがあればいい。面倒くさいと思う人が使うだろう」
「アプリがあれば、若い世代は使うんじゃないかな」
「状況によっては自分も利用するかも」
近年よく耳にするようになったのは、「ghosting(ゴースティング)」。
これは、採用されても初日になんの連絡もせず出勤してこない、つまり退職するというケース。雇用側にはその理由はわかりません。ただ日本ではこんな荒技をする人は少なそうです。
まわりのアメリカ人に聞いたところでは、代行サービスを使うとしたら自分でやるのが面倒くさいからという理由がメインでした。
辞めるのにもスキルが必要?
長年人事を担当してきたAさんが近年痛感しているのは、はっきり断るなどマイナスに思われることをうまく交渉できないという、とくに若い世代のコミュニケーション力の低下なのだそう。
アメリカでは「面倒くさいから」、日本では「はっきり言えない」「抵抗にあう」などいろいろ理由はあるようですが、コミュニケーション力低下の傾向はどちらの国にもあるという印象を持ちました。
いまや、スキルのひとつとして「辞める能力」も問われる時代になっているのでしょうか。いえ、従業員側だけではなく、雇用主側も変化しつつあります。
Aさんが、「労働基準法や就業規則の上には職業選択の自由を認める日本憲法があるので、双方がそれを理解していれば、それほど揉めることも少なくなるのでは」とおっしゃっていたのが印象に残りました。
・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)
日本では未だに、一つの職場に固着する傾向があります。
その仕事が向いているかどうかは3年やってみないとわからないなどと言う人がいますが、果たしてそうでしょうか?
私はかつて、警察官、看護師、サラリーマン(小売り)をしてきましたが、「仕事があっていない」というよりは「働き方があっていない」ということが分かりました。
例えば、「月に2,3回、休日に呼び出しがある」「夜勤がある」「時間外で勉強会や研究発表を強制される」「パートの穴をサービス残業で埋めさせれる」「勤務中にシフト作成できない」「目標管理ばかりされる」「配置転換が早く、勤務地が定まらない」
などがありました。
仕事自体は嫌ではなかったのですが「社員」という立場が嫌だったのです。
社員になると、話題は
「同期の〇〇は出世したぞ」
「俺は〇〇さんを知っている」
など人脈や出世の話しかしなくなります。
まるで、会社という小さな社会が、全てのような人生になるのです。
「会社で偉い人=世の中でも偉い」
という小さな枠組みにはまってしまっているようで窮屈でした。
ですから「社員」という身分保障やボーナス制度などよりも、「フリーランス」という自分の時間、自分の考えを守り続けられる生き方のほうが、自分にはあっていると考えたのです。
退職が大変なのは経験された方ならだれでもご存知かと思います。
就職よりも、退職のほうが実際大変なのです。
全ての情を断ち切らなければならないからです。
お世話になった人も大勢いますし、嫌だった人も沢山います。
ですから、退職は「しがらみ」や「遺留」という工作によってなかなか進まない人もいるかもしれません。
そのために「退職代行サービス業」が存在するのかもしれません。
私は、例によって転職を5社ほどしてきました。
退職はいつも直属の上司に「すいません、5分ほどお話いいですか?」
と切り出し、
「今年度いっぱいで退職します」
と伝えます。
理由を聞かれたら、正直に答えていました。
次の仕事は決まっているのか?などと聞かれても正直に答えています。
そうすると上司は決まって
「決意も堅いし、次の仕事でも頑張ってくれ」
と言い、「うらやましいなぁ。」「俺はこの仕事しかできないからなぁ、違う人生があるのかもなぁ」
と必ず言います。
「退職」は本当は儀式的なもので、「情」を断ち切る儀式です。
退職に踏み切れないのは「情」に足を捕まれているからです。
「同僚・仲間のために」働いて何の意味があるのでしょうか?
職場は「部活ではない」のです。
なぜ仕事をするのか?「生活するために」お金が必要だからです。
「所属意識が欲しい」「社会人として」
という考え方では狂ってきています。
本当は「お金のため」なんかに自分の貴重な時間を使いたくありませんし、自分の考えを支配されたくありません。
もっと、「価値あることのために時間を使いたい」「自分の好きなこと、得意なことのために、没頭する時間を使いたい」のが本音ではないでしょうか?
私たちは「お金を稼ぐ」ために「時間」を企業に提供しています。
その時間は「金稼ぎのこと」を考えなくてはいけませんから実は辛い時間なのです。
しかし、世の中の風潮が、「学校卒業したら、会社に行って、働くのが当たり前」という風潮になってきてしまっているのです。
そして「大企業や公務員のような安定した仕事についたり、弁護士や医者になることが”幸せな生き方”だ」とイメージ操作されているに過ぎません。
贅沢こそできませんが、フリーターでも幸せそうに生きている人は沢山います。
私たちは一体何を基準に生きていけばいいのでしょうか?
一体なにに「価値がある」と考えて生きていけば幸せになれるのでしょうか?
「幸せの価値はそれぞれ違う」
「幸せの価値基準」
などという言葉が飛び交っています。
・幸せになるために絶対に必要な考え方 - 人生奥義
・お金では絶対に買えない「8つの幸せ」 | TABI LABO
・自分の価値基準を持つと、他人と自分を比べなくなる。|持たない幸福
このような記事を読んでも、「欲を捨てろ」や「他人と比較するな」「幸せは自分でみつけろ」と最終的な結論に至ってしまいます。
修行僧のような価値観だらけです。
はっきり言って、このようなものを読んでいても、幸せになる方法はわかりません。
なぜならば「人生の目的」について何も書かれていないからです!
私たちの肉体がある100年間だけに「人生の価値」があるならば、「より沢山の欲望を満たした人だけが幸せになる」ということになってしまいます。
しかし、実際どうでしょうか?
<安倍晋三とゾゾタウン前澤>
「より贅沢をし、より沢山の名声を得た人たち」が道足りた表情をしているでしょうか?
年収で私たち庶民の生涯賃金を稼ぐような人達を見て、普通なら「早く引退すればいいのに」と私たちは思います。
しかし、彼らはそれでは満たされないのです。
大金を手にしたり、地位や名声を手に入れても実際に、満たされないのです。
「心の中に、不安やむなしさ、寂しさ」が充満しているのです。
お金、異性、権力、名声だけでは幸せになれないという証拠です。
離婚再婚を繰り返したり、異性のパートナーをとっかえひっかえしているのは、盛りの付いた野良猫や野良犬と同等レベルです。
123億円の有名画家の描いた絵を買っても虚しいだけです。
私たちは「情欲」「友情」「愛情」「同情」「根性」のような「情」という曖昧でコロコロ変わっていく、風が吹けば向きが変わるものに支配されていると思いませんか?
「目に見えるもの」しか信じない人が、実際は「目に見えない死後の世界や他人からの評価」ばかり気にしているのです。
私たちは「愛」がなければ生きていくことはできません。
そして、私たちは「純粋な愛」を知らずに生きてきました。
ですから、会社を退職するにも「情」に支配されて、切り出せないのです。
「情=愛」と歪んだ価値観を埋め込まれてきたからです。
「情≠愛」です。
「愛を知らない」のにどうやって他人を愛するのでしょうか?
どうか「情」で生きる生き方から「愛」で生きる人生に切り替えてください。
もっと「愛」について知り、「愛」で満ち合溢れた生き方をすれば
日々、喜びと平穏と感謝で満ち溢れた人生になることでしょう。
愛について学びたい、そして愛を実践したいかたは「こちら」からどうぞ。
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