シリーズ第5弾です。
映画「39 刑法第三十九条」劇場予告
今回は、『39 刑法第三十九条』を取り上げたいと思います。
映画のあらすじは、wikipediaから引用させていただきます。
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『39 刑法第三十九条』(さんじゅうきゅう けいほうだいさんじゅうきゅうじょう)は、1999年に製作された日本映画。主演は鈴木京香と堤真一の二人である。
概要
日本の刑法は39条において、心神喪失者を責任無能力として処罰せず、また、心神耗弱者を限定責任能力としてその刑を減軽することを定めている(詳細は責任能力を参照のこと)。
特に心神喪失と認定されると不起訴になるか、起訴されても無罪となるということに関しては、社会的に抵抗感を抱く向きもあり、本作もこの点に対し問題提起している。
「銀残し」による陰鬱な色彩や不安感を煽る構図、ベテラン俳優陣の抑制の効いたリアルな演技など、個性の強い演出が際立つ。
第49回ベルリン国際映画祭コンペ部門正式出品作品。
・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)
この映画は1回しか視聴していません。
精神看護学実習の講義で上映しました。
この作品を視聴したきっかけが、精神看護学実習に行った学生たちが、
「先生、精神疾患って存在するんですか?私は病気ではないと思います」と疑問を投げかけてきたからです。
教科書で学ぶことと実態が違うため素直にそのような意見が出たのだと思います。
私は精神疾患は存在すると思います。
教科書で学ぶような、精神医学が考える、MAO仮説やストレス脆弱性仮説といった原因で異常が起こるとは思いません。
ですから、これらの誤った仮説に対して薬物療法や精神療法、心理療法をしても治療や問題解決にならないと思います。
過去記事でも何度か触れていますが、精神科病院に入院している患者の9割が「社会不適合者」つまり、「社会ルールに従って労働しない行き場のない人」です。
そういった社会不適合者に適当に診断名をつけて病人として収容しているだけです。
残りの1割は、悪魔や悪霊によって思考や感覚が乗っ取られてしまっている人です。
後者の1割の方の入院患者を、私は「ホンモノ」と呼んでいます。
もともとは9割の「社会不適合者」だった人が、入院治療(向精神薬や隔離収容による拘禁症状)によって、悪霊から影響を受けるようになり幻覚や幻聴が現れる「ホンモノ」になってしまう人もいます。
日本はストレス社会だから、メンタルヘルスに不調を来す人が多いと言われます。
ストレスが直接の原因ではありません。
日本は悪魔崇拝の聖地であり、いたるところに悪霊や幽霊がウヨウヨしています。
悩みや問題を解決してもらおうと神社仏閣にお参りした時や、麻薬やタバコやお酒を飲んだ時、テレビやゲームなどの悪魔的な番組、情報に触れた瞬間に、幽霊や悪霊が、人間の考えの中に入ってしまうことが原因だと思います。
「目に見えない霊」が原因なのに、向精神薬を使ったり、カウンセリングや作業療法をして回復するはずありませんよね。
これが私の精神疾患に関する基本的な考え方です。
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5回目にして、初めての日本映画作品の紹介になります。
初めて見る方は、まず人物相関図が複雑であるため、頭がこんがらがってしまいます。
ですから、相関図を必死に追いかけるのではなく、何となくストーリーを理解しようと思いながら気楽な気持ちで鑑賞することをお勧めします。
【注意」ネタバレです】~~~~~~~~~~~
主人公(堤真一)はは少年時代に妹を殺されました。
しかし犯人が少年であったことと、あまりにも猟奇的な殺害方法であったため、心神喪失状態という理由で犯人は無罪放免になってしまったのです。
その事実を知った主人公は復讐を誓い、犯人を追って上京し、「犯人を殺害してやろう、そして狂人のふりをして無罪放免になってやろう」とします。
狂人、精神病患者を演じ切るために、劇団に入り演劇を学びそのタイミングを虎視眈々と狙っており、遂に実行します。
その精神鑑定の担当が、鈴木京香であり、鈴木京香が見破るという内容です。
そして狂ったふりを見破られた主人公(堤)は晴れやかな顔をするという話です。
~~~~~~~~~~~~~~~~【ネタバレここまで】
この映画で私が重要だと思うのは、「日本のルールが精神障害者への差別の原因を作っていること」です。
テレビニュースで「犯人の精神鑑定を進めています」という報道を目にすることがあります。
「狂ったふりしたらやったもん勝ち」
というのが日本の司法の限界だと言われても仕方ありません。
(北九州中3殺傷 容疑者を2カ月の鑑定留置 福岡地検小倉支部 2025/1/16(木) https://news.yahoo.co.jp/articles/0bd4b1eae06433b4a63b56096f5c7ceae9f3ec9c)
なぜなら、狂ったふりと狂った人との境界など、あってないようなものだからです。
犯行の動機など、千差万別ですが、最終的にモラル、道徳心が欲望に勝てなかったのが原因です。
その欲望が病的だ、常識から逸脱しているというだけで、「精神疾患が原因」と決めつけるのが間違っています。それならば、犯人全員が「欲望を制止できない」という脳機能異常者となり、精神疾患になってしまいます。
そして、精神科通院歴、治療歴を基に精神疾患が原因の犯行と鑑定されれば、刑事責任能力が問えないという刑法39条に問題があります。
動機の内容ではなく、結果に対して刑罰は決められるべきなのです。
故意なのか?過失なのか?という視点もありますが、結果責任は誰もが等しく取るべきなのです。
その大前提を覆してしまい、狂った人間の犯行は無罪にするという、法の暴挙に問題を投げかけた作品が、この作品のテーマだと思います。
この作品の他にも、似たようなテーマを描いている作品に「臨場 劇場版」があります。
この作品についても、次回以降書いていきたいと思います。
刑法39条のせいで、差別を受けるのは、実は、「精神障害者」として生活している人たちです。
一方、この刑法39条の恩恵を受けて、商売が成り立つ連中がいることも忘れてはいけません。
日本精神病院協会(日精協)です。
日精協の会長は
「何をしでかすか分からない、精神障害者を社会的入院させておく施設がなくなったら、困るのは保健所と警察なんじゃないの?」「精神病院は医療と治安を担っているのです」
と発言をしています。
この意味が分かりますか?
刑法39条が、「精神病院必要論」を展開するためのネタになってしまっているのです。
表向きは「精神障害者への差別や偏見をなくす活動をしている」とする日精協は、
「精神障害者への差別により存在意義を確立している」という矛盾を持っています。
これが日本の精神科医療の問題なのです。
この作品だけを見ても、これだけの事を想像することは難しいかもしれませんが、この映画の背景にはこれだけの深い意味、日本社会のいびつさを物がっていることを知っておいて欲しいと思います。
そしてこれからは「精神」という私たち人間の神秘的な脳機能について、「分からない」とうい仮説前提で議論が進むのではなく、「分かる」という真実が拡がることが大切だと思います。
霊的な視点から、人間の脳機能について分かるようになりたい方はこちらの記事をご覧ください。
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