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旧精神科医療は思想警察なのか?

摂食障害はなぜ発症するのか?哲学的発想)自尊心が高すぎるため発症する、他人の評価で生きる苦しみ

2018年05月16日 | 精神科看護

今回は、精神病のカテゴリーで、「摂食障害」について見ていきます。

上記の写真のようになってしまうのは何故でしょうか?


まずは、前置きを書いていきます。

・私達に人生で不要なものは、一体何でしょうか?

・私達の人生を苦しめているものは一体何なのでしょうか?

 

何だか解りますか?

答えられますか?

 

その答えを見ていきましょう!

答えは「自尊心」です。

自尊心がなぜ不要なのか?

「私は自尊心はいらない」「精神病の根本原因は、誇大な自尊心と精神薬だ」

と考えています。

この考えは現在の精神病治療とは真逆の考えです。

日本における自尊心とは「プライド」の持つ意味と近い、というかほぼ同義語となります。

「プライド(英語: pride)は誇り、自尊心、自負心を意味する言葉。」

であるため、自尊心=プライドと置き換えてよさそうですね。

ですから、「プライド」はいらないと言えます。


その理由を見ていきましょう。

まずは、プライド(自尊心)の定義です。

・・・・・・・・・・・(自尊心とは)

自尊心(じそんしん)とは、心理学的には自己に対して一般化された肯定的な態度である[注 1]。英語のままセルフ・エスティーム(英: self-esteem)とも呼ばれる。

ここでは社会心理学における自己の概念に関して、育み維持される自己評価や、あるいは「ありのままの自己を尊重し受け入れる」態度とする。


多くの研究者によって自己肯定感は人格形成や情緒の安定のために重要であると考えられており、自尊心はそのためには必要な感情であるとも言える。

自尊心とは、他人からの評価ではなく、自分が自分をどう思うか、感じるかである[1]。

つまり、一時的に快感を与える、知識、技術、財産、結婚、慈善行為や性的な征服、容姿から生まれるものではなく、言い換えれば、外に求めることでも、人に与える印象でもない[1]。競争でも比較でもなく、自尊心の重要な原因は自分とも他人とも戦っていない状態である[1]。

その起源には、幼いころに大人から尊重され、価値を認められたか、励まされたかといったことがある[2]。しかし、最も重要な影響があるのは、自分自身で選択したということである[1]。言い換えれば、自分の可能性を実現したいという気持ちから、生き方を変えるということから自尊心が育まれていく[1]。

自尊心は、自分が有能であるといういわゆる自信と、自分に価値があるという自尊の2つの要素から成り立っている[3]。研究者によれば、自尊心の欠如は、不安、憂鬱、恐れ、アルコールなどの乱用、成績不振、暴力や虐待、自殺などにかかわっている[3]。

自尊心の欠如及び過剰
自尊心の欠如は、しばしばセルフコントロールを失い、依存症や摂食障害などの精神障害や自殺を引き起こすことがある。また、自尊心には、みずからが過ちを犯したり勝負において敗れたりすることへの恐怖を打ち消す効果もある。そのため自己愛性パーソナリティ障害や双極性障害における躁・軽躁状態のように自尊心が過剰になると、みずからが過ちを犯したり勝負において敗れたりしてもそれを認めることがなかなかできなかったり、この結果を相手方の不当性に求めたりする。

世界保健機構と自殺防止
世界保健機構は2000年に、青少年層に多発する自殺を防止するため教員や学校医、スクールカウンセラーを対象とした、「自殺の予防に向けた教職員のための資料」[4]を発表し、家庭内暴力、家族の頻繁な喧嘩、離婚等による離別、頻繁な引っ越し、先住民族であること、性自認や性的指向の問題などの自殺を引き起こす要因を指摘し、不寛容からの解放によるいじめや校内暴力の防止と共に、就学者の自尊心の強化を挙げ、それが青少年を精神的苦悩や依存心から保護し、生活上の困難やストレスに対処できる力を与えることを明記している。

・・・・・・・・・(転載ここまで)

少し話題はそれますが、私達は無意識に「言葉」の中で生活していますね?

この世の中は、「言葉」でできています。

そして、私達は「言葉」喜び、「言葉」で苦しめられ、一喜一憂しています。

・・・・・(『新約聖書』「ヨハネによる福音書」(冒頭部分)

はじめに言葉があった。

言葉は神と共にあった。

言葉は神であった。

この言葉は、初めに神と共にあった。

万物は言葉によって成った。

成ったもので言葉によらずに成ったものは何一つなかった。

言葉のうちに命があった。

命は人間を照らす光であった。

光は暗闇の中で輝いている。

暗闇は光を理解しなかった。

・・・・・・・・(転載ここまで)

この意味が解りますか?

私達は、言葉の集合体の中で生活しています。

頭の中の「感情」、自分の名前、恋人の名前、食べ物、天候、出来事まで「全ての物質、現象」が

「言葉」でできています。

私達は「思考」を「言葉」でしています。

「言葉」の繋ぎ合わせ方や、そもそも「使う言葉」「好きな言葉」

を「考え方」という集合体であらわすことができます。

では、その「言葉」そして「考え方」を管理しているのは、一体どこなのでしょうか?

『脳』ですね。

では、「脳を管理しているのは?」どこでしょうか?

私達の「発想の出所」のことです。

脳は発想された「言葉」を蓄積したり、組み合わせたりする

「処理工場」コンピューターでいえば「CPU」と表現できます。

CPU自身には十分なコンピューター言語はありませんから、「HDハードディスク」にアクセスして

コンピューター言語を持ってこなくてはなりません。

私達人間に置き換えてみると、どこから私達は「発想や閃き、インスピレーションを受けるのか?」

ということになります。

私達は、「人体以外の場所」から「発想や閃き、構想を持ってきている」と考えることができます。

携帯電話、スマホは目に見えない電磁波を受信して、膨大な情報を送受信しています。

つまり、私達は『目に見えないもの=電磁波』の恩恵をスマホなどの通信機器を使って恩恵を受けています。

では、スマホなどの通信機器は、一体どうやって、電磁波を正確にキャッチしているのでしょうか?

私達は「SIMカード」というもので明確に識別された通信チップを元に膨大な情報を送受信しています。

・・・・・・(SIMカード)

概要
SIMカードには、IMSI(International Mobile Subscriber Identity)と呼ばれる固有の番号が付与されており、これと電話番号を結びつけることにより通信を可能とする。SIMカードを抜き差しすることで、電話番号を他の携帯電話機に移したり、ひとつの携帯電話端末で複数の電話番号を切替えて使用したりすることができる。

ただし、SIMカードは頻繁に抜き差しすることを想定したものではなく、抜き差しの前に確実にSIMカードの電源を切るようにするため、多くの電池交換可能な電話端末では、電池を取り外さないとSIMカードの抜き差しができないような構造になっている。電池交換不可能な端末では、電池を外す制約がないため、SIMの抜き差しによりリブート、機内モードでSIM差し替え可能等、端末により対応が異なる。

日本国内で入手できるSIMカードは通常、キャリア(通信会社)からの貸与であり、解約の際には返却する必要がある[1]。ただし、プリペイドSIMカードの場合は、最終使用時から一定期間の後に失効して発信も着信も出来なくなるため、解約手続きは不要である。失効する期限は、最終使用から半年程度が多い。ソフトバンクモバイルのプリモバイルの場合は、残高有効期限切れから360日以内にリチャージを行わないと自動解約扱いとなる。

SIMカードは、他の一般的なICカードと同じく、クレジットカードサイズで提供される。これは、昔の自動車電話などのSIMカードソケットだったことの名残である。現在は小型化され、ICチップの部分だけを切り離して使うようになっている。

・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

『日本国内で入手できるSIMカードは通常、キャリア(通信会社)からの貸与であり、解約の際には返却する必要がある[1]。ただし、プリペイドSIMカードの場合は、最終使用時から一定期間の後に失効して発信も着信も出来なくなるため、解約手続きは不要である。』

とあるように、通信機器メーカーから貸し出してもらって、スマホのサービスを受けているのです。

SIMカードはメーカーが管理していてくれますから、契約してお金を支払えばデータ通信は可能になります。

しかし、私達人間のSIMカードは、一体誰が管理しているのでしょうか?

私達自身が生まれたときにSIMカードを持って生まれてきているのではないでしょうか?


残念ながら、私達にSIMカードをプレゼントしてくれた人を知らず、私達は人生をスタートしていきます。


私達は、不完全な価値感を持つ、親の元で生まれ、地域で生活し、学校、友人、部活、進学、就職を通して

「不完全な価値感」「不安定な価値感」の中で生活していきます。

私たちの情報源は、テレビや本、雑誌、周囲の大人や友人、職場の先輩などであり、

「人間が発するもの」しかありません。

そこでは、不完全なものを理想として、目標として追い求めます。

例えば、他人の評価、社会の評価について見てみましょう。

他人も社会も「コロコロ意見や主張が変わる」「流行にながされやすい」「感情に流されやすい」

のではないでしょうか?

更に、「自己中心的」「利己的」で打算的、「最終的に損得計算しかできない」仕組みではないでしょうか?

ですから、私達は、人生にそして生きることに「意味」を見出すことができません。

その理由は

「生きる目的を持たず生まれてきてしまったから」

以外にありません。

哲学書やら、文学を読んでも答えはみつかりません。

「自分ひとりで道を切り開いていくしかない」

と孤独な戦いが始まるのです。

「勝っても負けても自己責任」

こんな虚しい生き方はありません。

例えば、冬季五輪で2連覇した羽生選手。

彼はインタビューで「このタイトルを獲るために、全て捨ててきた」

と語っていますね。

・・・・・・・(羽生結弦、多くのものを代償にして手に入れた五輪2連覇 2018年2月22日 7時0分 NEWSポストセブン 早くも五輪3連覇に期待がかかる)

 今や日本で最も知名度のあるスポーツ選手になったのは間違いないだろう。

「連覇した直後から羽生選手にはCMオファーが殺到しています。五輪のスポンサー企業を中心に、その数は20社を上回る勢いだとか。もともとトップクラスの契約料の選手ですが五輪連覇でさらに市場価値がハネ上がり、1社につき1億円以上の契約料になると見込まれます」(広告代理店関係者)

 昨年11月、NHK杯(東京)の公式練習で右足関節外側靭帯を損傷し、シーズンの残り試合をすべて欠場した羽生結弦(23才)。痛み止めをのんでぶっつけ本番で臨んだ平昌五輪にもかかわらず、神がかった演技を見せ、金メダルに輝いた。

 そして、絶対王者となった羽生が語り出した言葉は、意外なものだった。たとえば、松岡修造(50才)によるインタビューでは、羽生はこう語った。

「連覇のためだけに幸せを全部捨てようと思いました。普段のこととか、考え方です。“あ、今この幸せいらない”とか。身近にあるものをすべて捨て去ってきた感じです」

 また別のインタビューではこう話した。

「(金メダルは)いろんなものを犠牲にして、がんばってきたごほうび」

 羽生といえばストイックなことで知られ、「究極の負けず嫌い」とも称される。「圧倒的に勝ちたい」、「絶対王者になりたい」が口癖で、公言するのは前向きで力強い言葉ばかりだ。昨年12月のインタビューでもこう述べた。

「たくさんのことを費やしても全くかまわないくらい、ぼくはスケートをできていることが幸せなんですよ」

 つい最近まで、“スケートさえできれば幸せ”と語っていたはずなのに、連覇の重圧から解き放たれた今、羽生の口からは「捨てた幸せ」や「犠牲にしたもの」があると、素直な言葉が溢れだしている。

◆自宅とリンクを往復する毎日

 ソチ五輪で金メダルをとったときは19才。それからの4年間といえば、多くの日本の若者が大学生としてキャンパスライフを謳歌する、ちょうどそんな頃だろう。友達と遊んだりバイトしたり恋愛したりという、楽しい時間。だが、王者の羽生は違った。

「日本に帰国した際、地元の仙台でも外出を避け、友達と遊ぶこともありませんでした。外に出る時は常にマスクで顔を隠していました。練習拠点でもあるカナダ・トロントでも同じです。どこにいても注目されるので一切気が抜けず、“芸能人やアイドルじゃない。アスリートとしてスケートがしたいだけなのに…”とこぼすこともありました。人目についてしまうためか、コンサートやスポーツ観戦にも行ったことはありません。

 趣味はゲームやアニメというインドア派なので、カナダでの生活も自宅マンションとリンクを往復するだけ。友人とも会う機会はなく、連絡はメールやLINEのみといいます。そんな生活に、少なからず寂しさはあったと思います」(スポーツ紙記者)

 コーチであるブライアン・オーサー氏(56才)はそんな羽生を見かねて、雑誌のインタビューでこう語っている。

「劇場に行くのもいいし、もっと人生を楽しんでほしいと思うんです。休みらしい休みを取ったこともないかなと思うので、もっと冒険を追求するかたちで人生を生きてほしい」

 前出のスポーツ紙記者が補足する。

「オーサーコーチは、“ユヅルは五輪に集中しすぎている。結果も大事だが、たまには楽しんでほしい”とも発言しています。世界の名選手を育てた彼としては、スケートの表現力を高めるためにも友人と思い切り遊んだり、恋愛を経験して成長することも必要だと考えているんです」

 2015年7月のテレビ番組のインタビューで羽生は「ぼくは結婚したいです。25、26才で結婚したい」と語っていた。しかし、そんな「幸せ」も捨て去ってきたのかもしれない。

「かつて一流アスリートの女性とつきあっていましたが、選手として大事な時期だったため、周囲の反対もあり破局したこともありました」(羽生の知人)

 羽生には“フィアンセ”と噂された同級生・A子さんの存在もあった。

「高校の同級生で羽生のことを“ゆづる”と呼んでいたのは彼女だけでした。高校卒業後も連絡を取り合い、カナダにいる羽生からA子さんにLINEで弱音を吐くメッセージも入りました。羽生はA子さんのことをお母さんに何度も真剣に話したことがあるそうですが、結局はうまくいかなかった。連覇に集中するため、仕方のないことだったんでしょう」(前出・羽生の知人)

 多くのものを代償にして手に入れた「絶対王者」の称号。優勝した当日の会見で4年後の北京五輪について問われた羽生は明言を避けつつ、こうつぶやいた。

「3連覇は史上初になるのかな」

 北京五輪では、幸せを捨てずに成し遂げた「史上初」に喜ぶ羽生の姿が見たい。

撮影/雑誌協会代表取材

※女性セブン2018年3月8日号

・・・・・・・(転載ここまで)

もし、金メダルが取れなかったら、彼の人生はどうなっていたのでしょうか?

不慮の事故で足を無くしたら彼の人生はどうなるのでしょうか?

その後の人生は、絶望しかありません。

「まさか、世論からの袋叩きでしょうか?」

これは、人生において、成功しなければ「何の意味もない人生となってしまう」という表れではないでしょうか?


彼が自分の存在価値を示すのは、3連覇するしかないのです。

インタビューで

「たくさんのことを費やしても全くかまわないくらい、ぼくはスケートをできていることが幸せなんですよ」

と話しています。

「スケートをできている=勝利できる、結果が出せること」

と言い換えられるでしょう。

彼はスケートを通して、何がしたいのか?私には解りません。

フィギュアスケートを通して「ひたすら、プレッシャーと戦って、勝利を収め、喜んでいるだけ」

にしか見えないのです。

凄く、辛そうなのです。

それを、メディアが「神業」「ハートが強い」ともてはやし、英雄視しているだけです。

彼を見て、スケートをしたいと思う人が何人いるのでしょうか?

もっと、スケートは楽しいはずなのです。

上達するには厳しい練習は確かに必要です。

しかし、退路を断ってまでスケートをする姿勢は、何故か日本人に共通する「背水の陣のような生き方」に見えてしまいます。

うつ病になる人、分裂病になる人は、人生が「背水の陣」的な思考の人が多い。


 

私達は「頑張れば報われる」「努力は嘘をつかない」

と洗脳されて生きてきています。

しかし、私達は一人として、羽生選手にはなれません。


そして、実際の勝負の世界は全く持って公平ではありません。

現実的に、この世で成功できる人はそうそういませんし、成功している人は、天皇家の親戚や昔から財閥などと関係のある日人ばかりです?

ですから、大多数の庶民は「辛いだけの人生」「何も良いことがなかった人生」を送ってしまうのではないでしょうか?

そして、たまたま成功しても、一過性のものであるという事実。

一時的に周囲は近づいてきてチヤホヤしてくれます。

しかし落ち目になれば、結局一人になってしまう、私達は、「孤独な人生」を生きていると思います。


ですから、私達は「欲に従っていき、欲が強く、たまたま成功した人を見てうらやんでいる」のです。


実は、私達はSIMカードが与えられていることに気付いていませんし、誰も教えてくれません。

それは「直感や閃き、インスピレーションをくれるもの」の存在です。


孤独な人生を、一緒に歩んでくれる人と連絡が取れる方法があるのです。

そして、どうすれば、SIMカードが使えるようになるのか?

誰も

「オフライン(ネットに繋がっていない)の人生」から

「オンライン(ネット、Wifiに繋がっている人生」への転換の仕方をしりません。

 

SIMカードの存在を認識するには、「脳」を変えていくしかありません。

SIMカード=脳なのです。

SIMカードがインスピレーション(霊)と肉体を繋いでくれています。「脳」がその役目を果たしています。

私達は、目や耳などの五感を通して、「言葉」や「音声」という情報を脳にインプットしています。

そして、膨大な情報を元に言動という形でアウトプットしています。

つまり「悪なる言葉」「悪なる言動」を五感を使って脳に取り入れると

私達は「脳 SIMカード」を使って「悪なるチャンネル、悪なる通信会社に繋いでしまう」

ます。

私達が五感を使って、脳に取り入れている「情報」「言葉」がもし「悪なるものからの情報源」だとしたらどうなるでしょうか?

私達は、「悪なる言語を頭の中に取り入れて、悪なる思考、考え方で肉体を使うこと」になります。

そして、欲望の赴くままに生きる、「不安、恐怖、絶望、恨み、嫉妬、怒り」を死ぬまで抱えながら生きていくことになります。

しかし、私達が「完全なる言葉、善なる言葉」を脳に蓄えて、実践していったらどうなるでしょうか?

心は「喜びと平和と感謝の気持ちで満たさよる」と思いませんか?

私達は、幼少の頃から「結果」しか評価してもらえない仕組みの中で生きてきました。

「過程」や「心の中」まで評価されない仕組みだったのです。

ですから、表面的な「要領のいいだけ」「ごますりの上手い人だけ」が得する人生だったのではないでしょうか?

オリンピック、スポーツ、大学受験などが最たる例です。

「勝利した人しか、評価されない仕組み」

つまり「勝利すれば、何をしても良い」という悪の原理が働く仕組みだということです。

失敗すれば馬鹿にされる。笑われる。誰も評価してくれない。

本来のスポーツはそういったものではありません。

切磋琢磨して、技術を競い合い、勝敗が分かれる。しかし、試合が終われば、良き対戦相手=同じ競技をする仲間ではないでしょうか?

ですから、勝者だけをちやほやし、金持ちにさせるのは

結果だけを優先させる助長につながり、

「悪を行わせるために、自尊心、プライドばかりを強調する仕組み」なのです。


前置きはこれくらいにします。

私達の世の中は、心の中やプロセス(過程)を大切にしてくれません。

努力した分、結果が出る人と出ない人がどうしても出てきます。

そうすると、「どうせ、ダメなら努力しない人」や「とりあえず、結果だけ出せばいいから何でも手段を選ばずやる人」で別れてしまいます。

その両方ともダメだったら、その人の生きている価値はあるのでしょうか?

その人を評価できる人はいるのでしょうか?

運悪く、結果が出せない社会に生まれてしまったら、

その人は一生、世間からさげすまれて、他人から馬鹿にされて生きていけるのでしょうか?

おそらく無理でしょう。

社会の周囲の価値感にあわせていき続けることは無理なのです。

期待に応え続けることはできません。

「摂食障害」とは、そういった「世の中の嘘の価値感に気付いてしまった人」がなる病気なのです。

全て信じられなくなってしまった人が、何もする気が起こらなくなる病気なのです。

ですから、うつ病に近いです。

人間は頑張っても世の中が求める水準まで結果が出せないことの方が多いです。

しかし、それは世の中が間違っているのです。

私達は、そんな間違った世の中でも生活していかなくてはなりません。

ですから、「正しい道、正しい生き方を貫き通すこと」でSIMカードを復活させて、「孤独な世の中から脱出すること」が必要になってきます。

摂食障害になった人は、「世の中がいかにうつろい易く、虚しいものか」よく理解していると思います。

その虚しさから抜け出せる道は医療やカウンセリングではなく、「SIMカードの存在に気付くこと」であると私は思うのです。


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