皆さんは、長生きしたいですか?
多くの人は、答えに困ると思います。
その理由は、「死後の世界が分からない」ため、
「肉体の死」によって、永遠に自分という存在が消えてしまうのが寂しいと感じたり、「今まで育ててきたものを一瞬でなくすのなら、今、頑張っていること自体意味があるのか?」という努力への無力感、虚無感を感じるからではないでしょうか?
「どうせ、死んだら無になるとしたら、今を一生懸命生きる意味なんてあるのか?」
そう感じたら、何事に対しても頑張ることが馬鹿らしく思えて来てしまいます。
だから、「そういったことは死んでから考えよう」と大人が見て見ぬふりをするのが、日本社会ではないでしょうか?
そして、「死んだあと、自分はどう思われるのか?」という体裁ばかり気にして、「芸能人や政治家のように派手な葬式をしてもらうことで惨めな気持ちにならないだろう」と、終活をする人たちもいます。
どれだけ無駄なことをしているのかと思わざるを得ません。
この世とあの世は地続きです。
ただ、「あの世を見に行く方法」について誰も知らないのです。
人間は、①この世とあの世を行き来できる意識(魂、脳の情報)をもとに、
この世(肉体の世界)、あの世(霊体の世界)で生活しています。
これは私たちが、「そう思うか思わないか?」は置いておいて、事実です。
(霊界の事について詳しく知りたい方はこちらの記事をご覧ください)
『「霊界」という奥義について。悪魔崇拝者たちは「霊界」の存在をひたすら我々一般庶民に隠してきました。https://rapt-neo.com/?p=18964』
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日本の医療は「延命」と「鎮痛」を軸に発展してきました。
鎮痛とは「痛みを感じる脳神経を遮断すること」です。
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日本では病名は増え続けています。
何か体調不良があると、「〇〇病かもしれない」「放置したら悪化して死ぬかもしれない」「自分が突然病気になってしまうのではないか?」という不安に晒されて生きています。
「今日、交通事故で〇人死亡した」
「有名人がガンで死亡した」
「有名人が持病が悪化して急死した」
という「死について」ネガティブに感じるニュースを見ない日はありません。
マスコミは
「死ぬことは不幸だ」「死ぬことは苦しい」「死んだ人は気の毒だ」「残された家族は不幸だ」
と感じるような情報ばかり流します。
しかし、これは真実なのでしょうか?
(自殺は「自分で自分の肉体を殺す」殺人罪ですから、到底許される行為ではありません!)
しかし「死を肯定する」内容が書かれている書物があります。
聖書です。
新約聖書の、1ピリピ人への手紙1章12-26節 には「死ぬことは益、生きることはキリスト」と使徒パウロが語っています。
死への憧れ、肯定すらしています。
パウロは、「人生をやりきった」のでしょう。
しかし、「もっと神を喜ばせたい」という思いから、1日でも長く生きて、神様のことを伝えていきたい、神様の存在を知らずに、苦しんで生きている人を救いたいという思いもあったのだと思います。
パウロは「愛する人と生きている時は、遠く感じたけど、肉体が無くなれば、愛する人といつも近くで生活できる喜び」を確信していたのです。
「なぜこのようなパウロの心境に辿り着いたのだろう?」と不思議に思えませんか
パウロの気持ちが理解できれば、人生を虚しいと感じることはなくなります。
毎日することがあり、必死に生きるようになれるでしょう。
「死」について、「愛」についても書かれているのが聖書です。
そして、聖書を紐解く完全な解説書が、ラプトブログの有料記事です。
「年を取る事」が悪いことではありません。
老化によって、生きる目的もなく、だらだら生きていることや延命行為によって生かされていることが問題なのです。
「老い」の先に、「肉体の死」がありますが、「死の先」にも「霊界」という世界があります。
そして、肉体の死後、霊界で生活し続けなければなりません。
自殺しても逃げられないのです。
生きるのが辛い、死ぬのが怖いと感じている人が、ラプトブログを読み、人生に意味を見いだせるようになると思います。
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