フランス文学者の鹿島茂氏が歴史小説作家の山田風太郎氏について語る番組を見た。
以前、「パリの王様たち」というバルザック、デュマ、ユーゴーの比較に関する著作を読んで以来、鹿島茂に時々注目していたので、山田風太郎の小説は昔、一冊くらい読んだ事がある程度だが、見てみた。山田風太郎の歴史小説は、史実と史実の”間”を「そんな事もあったかもしれない」フィクションで繋げるという、世界的に見ても珍しい手法で書かれており、”プロレス史観的”な”イイモン”と”ワルモン”ではくくれない、同一人物の中の様々な面を描いている、と評価していた。鹿島氏自身、「パリの王様たち」の中でも、三人の文豪の様々な面を引き合いに出していて、一人の人間が持つ多面性を、立場の違う人が別の角度から見ると、それぞれ違ったように見える事の面白さ、難しさを語る見地から、山田風太郎に共通点を見出していたのだろう、と思った。 私自身の興味もそこにある。世の中、完璧な人間などいないし、百ゼロ、白黒はっきりした解りやすさばかり求めるのは危険だ。人間の複雑さをお互いに理解しあおうとする事で、大概のトラブルは解決できる。でも、あまり「解るわぁ~」と面と向かって云われるのも「そんな簡単に解らないでよ!」と反発したくなっちゃうけど・・。それくらい、複雑なものなのだ。
以前、「パリの王様たち」というバルザック、デュマ、ユーゴーの比較に関する著作を読んで以来、鹿島茂に時々注目していたので、山田風太郎の小説は昔、一冊くらい読んだ事がある程度だが、見てみた。山田風太郎の歴史小説は、史実と史実の”間”を「そんな事もあったかもしれない」フィクションで繋げるという、世界的に見ても珍しい手法で書かれており、”プロレス史観的”な”イイモン”と”ワルモン”ではくくれない、同一人物の中の様々な面を描いている、と評価していた。鹿島氏自身、「パリの王様たち」の中でも、三人の文豪の様々な面を引き合いに出していて、一人の人間が持つ多面性を、立場の違う人が別の角度から見ると、それぞれ違ったように見える事の面白さ、難しさを語る見地から、山田風太郎に共通点を見出していたのだろう、と思った。 私自身の興味もそこにある。世の中、完璧な人間などいないし、百ゼロ、白黒はっきりした解りやすさばかり求めるのは危険だ。人間の複雑さをお互いに理解しあおうとする事で、大概のトラブルは解決できる。でも、あまり「解るわぁ~」と面と向かって云われるのも「そんな簡単に解らないでよ!」と反発したくなっちゃうけど・・。それくらい、複雑なものなのだ。