昨日は、千葉県の印西へ東京室内管弦楽団ストリングスで行った。
依頼書に書いてあった最寄りの駅、”木下”。電車のアナウンスで”キオロシ”と読むことが分かり、ビックリ!タクシーに分乗して、印西文化ホールへ。
新しめの綺麗なホールで、響きも良く、ピアノも良いスタインウェイが入っていた。弦楽オーケストラと、司会を兼ねたソプラノ歌手。それに私がピアノとチェンバロ。
前半は、バロック音楽。ヴィヴァルディの”四季”と日本の”四季”をミックスした”四季&四季”をやった。若手のヴァイオリニスト井戸柄里さんが、初めてソリストになった。にこにこしているのは、いつも通りだけれど、綺麗でリッチな音色で、意外なほど謙虚で、本番では、よりのびのびと素敵な演奏をした。
後半は、チェンバロとピアノの違いの説明と聴き比べなどを入れて、この日のために私が編曲した”ふるさと”と”千の風”や、ディズニー・メドレーなど、ポップスも含めて名曲を演奏した。夏休み始めのファミリーコンサートで、満席とはいかなかったけれど、大きな拍手に包まれて終わった。
終演後、昔の生徒で、印西に越していった母娘が、楽屋をたずねて来てくれた。何年か前にも、お母さんの方は、タンゴのコンサートに来て頂いていたけれど、その時は、直接は会っていなかったと思う。だとすると、本当に久しぶりの再会ということに・・。元生徒本人も、小学校の低学年だったのに、すっかりキレイな二十代。おそろしい~こっちゃ・・。
知らぬ間に、時間は、時代となって・・つながっているけれど、過ぎてゆく。
実は、4日前に、母のすぐ上の伯父が亡くなった。3日前がお通夜。2日前がお葬式。
福山という遠方で、昨日の為の準備もあり、私は行かれない状況だった。両親が新幹線に乗って駆けつけるための、交通手段や、親戚の分も含めて宿泊先の手配をインターネットで手伝うくらいしか出来なかった。
伯父は、家族思いの、心温かな人だった。小学校5年の時に、弟と、弟と同い年の従兄弟とで夏休みに1週間も泊まりに行ったことがあった。今思えば、そのために伯父は休暇を取ってくれたのかもしれない。毎日、色んな所へ連れて行ってくれた。有名な瀬戸内海の”鞆の浦”へも連れて行ってくれた。男の伯父が洗濯機に私たちの洗濯物を入れて洗濯してくれた場面を、なぜか鮮明に覚えている。あの時に、すでにグランドピアノがあったなあ。その1週間の間だけ、弟は私を「お姉ちゃま」と呼ばされ、帰って来てからは、すぐに愛称に戻った・・なんて事もあった。
10年ほど前に胃ガンが発病して、完治したと思っていたのに、2~3年前から再び入退院をし出し、今年になってからは「秋頃か・・」と医者に告知された、と聞いていた。伯父から貰ったフクロウのクリスタル時計の電池が切れて止まっていたので、「これは、いけない。電池を入れて動かすから、元気になって!」と願っていたのに・・。一切治療は受けず、痛み止めだけしてもらいに病院へ行っていたそうで、病院で容態が急変し、家族も間に合わなかったらしい。自分の運命を受け入れる潔さは、どこから来たものなのか、生きているうちに聞きに行きたいと思っていたのに、聞けずじまいになった。
クラシック音楽好きだった伯父。もう会えなくなってしまった。”風”になったのだろうか・・?
依頼書に書いてあった最寄りの駅、”木下”。電車のアナウンスで”キオロシ”と読むことが分かり、ビックリ!タクシーに分乗して、印西文化ホールへ。
新しめの綺麗なホールで、響きも良く、ピアノも良いスタインウェイが入っていた。弦楽オーケストラと、司会を兼ねたソプラノ歌手。それに私がピアノとチェンバロ。
前半は、バロック音楽。ヴィヴァルディの”四季”と日本の”四季”をミックスした”四季&四季”をやった。若手のヴァイオリニスト井戸柄里さんが、初めてソリストになった。にこにこしているのは、いつも通りだけれど、綺麗でリッチな音色で、意外なほど謙虚で、本番では、よりのびのびと素敵な演奏をした。
後半は、チェンバロとピアノの違いの説明と聴き比べなどを入れて、この日のために私が編曲した”ふるさと”と”千の風”や、ディズニー・メドレーなど、ポップスも含めて名曲を演奏した。夏休み始めのファミリーコンサートで、満席とはいかなかったけれど、大きな拍手に包まれて終わった。
終演後、昔の生徒で、印西に越していった母娘が、楽屋をたずねて来てくれた。何年か前にも、お母さんの方は、タンゴのコンサートに来て頂いていたけれど、その時は、直接は会っていなかったと思う。だとすると、本当に久しぶりの再会ということに・・。元生徒本人も、小学校の低学年だったのに、すっかりキレイな二十代。おそろしい~こっちゃ・・。
知らぬ間に、時間は、時代となって・・つながっているけれど、過ぎてゆく。
実は、4日前に、母のすぐ上の伯父が亡くなった。3日前がお通夜。2日前がお葬式。
福山という遠方で、昨日の為の準備もあり、私は行かれない状況だった。両親が新幹線に乗って駆けつけるための、交通手段や、親戚の分も含めて宿泊先の手配をインターネットで手伝うくらいしか出来なかった。
伯父は、家族思いの、心温かな人だった。小学校5年の時に、弟と、弟と同い年の従兄弟とで夏休みに1週間も泊まりに行ったことがあった。今思えば、そのために伯父は休暇を取ってくれたのかもしれない。毎日、色んな所へ連れて行ってくれた。有名な瀬戸内海の”鞆の浦”へも連れて行ってくれた。男の伯父が洗濯機に私たちの洗濯物を入れて洗濯してくれた場面を、なぜか鮮明に覚えている。あの時に、すでにグランドピアノがあったなあ。その1週間の間だけ、弟は私を「お姉ちゃま」と呼ばされ、帰って来てからは、すぐに愛称に戻った・・なんて事もあった。
10年ほど前に胃ガンが発病して、完治したと思っていたのに、2~3年前から再び入退院をし出し、今年になってからは「秋頃か・・」と医者に告知された、と聞いていた。伯父から貰ったフクロウのクリスタル時計の電池が切れて止まっていたので、「これは、いけない。電池を入れて動かすから、元気になって!」と願っていたのに・・。一切治療は受けず、痛み止めだけしてもらいに病院へ行っていたそうで、病院で容態が急変し、家族も間に合わなかったらしい。自分の運命を受け入れる潔さは、どこから来たものなのか、生きているうちに聞きに行きたいと思っていたのに、聞けずじまいになった。
クラシック音楽好きだった伯父。もう会えなくなってしまった。”風”になったのだろうか・・?