室内楽の愉しみ

ピアニストで作曲・編曲家の中山育美の音楽活動&ジャンルを超えた音楽フォーラム

新宿トラッド・ジャズ・フェスティバル 2007

2007-11-21 15:54:10 | Weblog
新宿トラッド・ジャズ・フェスティバルは、17日18日の両日、新宿三丁目界隈をにぎやかに震わして、(あまり無事ではなく)終わりました。

17日の方は、やや肌寒かったけれど、まあまあお天気に恵まれ、本部前のお祭り広場をはじめ、あちこちの通りから音が溢れ、自然とお祭りらしい興奮につつまれました。

全26会場で、プロ、アマ大勢演奏し、かなりのお客様を導引してのイベントです。
今年は、先日の予告のとおり、タンゴのアストロノーツと、田部フレンズ、それに角田孝生誕百年記念セッションに出演しました。この記念セッションは出演人数が多く、全員で譜面を見て演奏する曲が2曲あるために、譜面台を確保する事が大きな使命でありました。ミッション・インポッシブル!

17日の12時から、家路というシャンソニエで先ずはアストロノーツからやる事になっていましたが、かなり早くからお客様が集まり、15分前に客席の方がスタンバイ状態となり、結局10分前から始めました。12時には、立ち見の方でぎゅうぎゅうになってしまい、申し訳ない状況の中、びっしりとタンゴを聴いて頂きました。この時はバンドネオンとベース用、譜面台2本。

次の田部フレンズも結構大所帯で、田部さんが何処からか、譜面台を4本持って来るという離れ業をやって下さり、今度は演奏者スペースの方がぎゅうぎゅうでしたが、無事終わりました。

それからいよいよ”角田百年記念”となりました。譜面台は充分でしたが、2トランペット、クラリネット、ギター、ベース、シロフォンにピアノの7人ですから、セッティングが大変。ベースが奧に入り、シロフォンを入れて組み立てて、譜面台を並べて、リーダーでギターの阿部さんも、立って弾くしかありません。おでこには、天井からぶら下がったマイクのコードがかかり、よける事も出来ませんが、とにかく始まりました。大変な熱気の中、やる側の方が興奮状態だったかもしれません。みんなで協力しあって、協調しあって、日本のジャズ界の草分けで活躍された角田孝さんと、戦前、戦後直後の時代の日米両方のジャズの雰囲気を、私たちなりに再現し、トリビュートしてみました。終わり近くでは、角田さんのご息女の、中西美樹子さんが父君の思い出を語り、思い出の歌”街の噂”を歌われ、じ~んとなりました。最後に、角田さんのお弟子さんであった、バンジョーのチャーリー田川さんを招き入れ、益々人数が増えて、皆で”チャイナタウン・マイ・チャイナタウン”を演奏して終わりました。

興奮冷めやらぬ中、片づけを済ませて、私はパーティの仕事にトン面しました。たまたま新宿の西口方面だったので、仕事を終えると、再び三丁目に戻り、初日の打ち上げをしている仲間に合流しました。そこで待っていたのは、訃報でした。このトラッド・ジャズの中心地、銅鑼のライブではドラムだけでなく、司会も買って出て周囲をいつも湧かせていた鵜沢緑郎さんが、帰り際に道で倒れ、亡くなったらしい・・という話でした。

私が銅鑼に顔を出すようになった頃は、鵜沢さんは大変お元気で、ダジャレや色んな外国語(英語は本物)を駆使し、演奏者にチャチャを入れたり、プロのお株を取ったり・・と悪ふざけ一歩手前のエンターテイナーぶりを発揮され、文字通り、銅鑼の”名物オジさん”でした。目が合えば、優しく品の良い微笑みを返して下さり、私が飛び入りで演奏した後などは、よく腕を組んでエスコートして下さるなど、とにかく目立つ、誰からも愛されるお人柄でした。最近も、火曜日の練習に時々現れ、ドラムを叩いて「うるさくない?お邪魔してない?」と気を遣っていらっしゃいました。先日は”千の風になって”を録音させて、と頼まれてトランペットの菅野くんと弾いてさしあげたりもしました。

その”訃報”を聞いて、私は泣きました。でも、周りにいた方に「泣かれちゃあな~」と言われ、気持ちを強く持たなければいけない、と思って、頑張って涙をこらえ、私の思い出を語ったりしました。少し、そこでしんみりと語らった後、銅鑼に戻ってもう少し、詳しい状況を、銅鑼の大将に伺う事にしました。そうしたら、「鵜沢さんは、まだ亡くなってはおりません」

さすが鵜沢さん! 今までにも心筋梗塞を何度か乗り越え、その度に復活し「ドラムを叩くのが、一番のリハビリになるの」とおっしゃっていた鵜沢さん。ご家族は延命措置を希望していらっしゃらない、という事で、どうなるのかは神のみぞ知る状況なのは変わらないけれど、何とか、奇跡が再び起こらないだろうか・・。

18日は、以前、鵜沢さんに頂いたネックレスをお守り代わりに付けて出掛けました。この写真がそれです。

この日も、5コマ目の”角田百年記念”に向けてのミッション・インポッシブルは続きます。
1コマ目の”新宿アコギの会”のネコバーで、譜面台を3本ゲット! これをずっとキープしながら、2コマ目の田部フレンズで演奏し、3コマ目は、5コマ目の会場の楽Quiというお店を下見しに行き、4コマ目も木村Yoトリオを途中で失礼して楽Quiの外で待機。10分しかない入れ替え時間に、ドラムセットを全部外に運び出し、セッティング。力仕事もピアノの蓋の開閉も、何でもやりますミッション・インポッシブル!

・・という訳で、バタバタしましたが、無事に始まりました。
1)Opening Theme from "The King of Jazz" ポール・ホワイトマン楽団による世界初のカラー映画”キング・オブ・ジャズ”を見て、角田さんはギブソンのギターを買う決心をしたというエピソードから。演奏は、Cl.清水万紀夫、Cor.下間哲、Ts.渡辺恭一、Gt.阿部寛、B.小林真人、Xylo.加藤亜依、Pf.中山育美(前日のTp.菅野淳史は、この日の出演叶わず、ノーリハでTs.渡辺恭一が参加。よく出来ました!
2)Suez グローフェ作曲のこの曲を、18歳当時の角田さんがバイオリンを弾いて録音に参加したエピソードから、当時の雰囲気を再現。演奏は1)と同じ。
3)イッチング・フィンガーズ 28歳当時の角田さんが、ピアニストの上田仁とDuo録音している珍しいラグタイム風の曲。演奏はGt.阿部寛、Pf.中山育美
4)Dinah コロンビア・ジャズ・バンドで演奏された録音があり、当時の雰囲気が偲ばれる。演奏は1)と同じ。
5)It's The Talk Of The Town 角田さんが唯一、ご息女の美樹子さんにギター伴奏をした事がある、中西さんにとって思い出の曲。演奏はVo.中西美樹子、Cor.下間哲、Cl.清水万紀夫、Gt.阿部寛、B.小林真人、Pf.中山育美
6)It I Had My Way 今年亡くなったナンシー梅木さんを角田さんが育てたエピソードから、ナンシー梅木さんの好きだった曲。演奏は5)と同じ。
7)China Town My China Town ”あなたの為に”とい邦題でコロンビア・ナカノ・リズム・ボーイズとコロンビア・ジャズ・バンドの演奏が残っており、にぎやかにデキシーをして終わり。

お客様もタイムスリップに付き合って下さいましたが、恐らく、演奏してる側の方が興奮していたのではないでしょうか・・。「角田孝さんほどの人なのに、何もやらないんですか?」という阿部さんへの、突然のメールから始まった企画でしたが、なかなか面白かったと思います。やってる側が楽しんでしまったのではないでしょうか。

例年になく”気合い”の入ったフェスティバルとなりましたが、終わると”あとの祭り”か、”祭りのあと”か・・、宿題もたまっているし、練習もしなくちゃいけないし、土曜日は辻堂でアストロノーツの初ライブもあるし、また”気合い”を入れ直しです。

とにかく、鵜沢さんはまだ”風”になっていない・・。