ギリシャ人の建てた神殿の遺跡群を堪能して、古代エリアから中世、近世の街へと、向かうことにする。好天に恵まれているが、恵まれ過ぎなくらいで、だいぶ消耗されているように見えるオジ様だが、「バスのチケットを買って来ます」とおっしゃるので「どこで売ってるんですか?」とたずねると「シチリアに来て何日になるんですか?」と言われる・・。観光計画から移動手段まで、すべてオンブにダッコの私である。バスのチケットはTの字が書いてあるタバコ屋さんなどで買うんですよ、皆さん。
さて、市街行きのバスはいっこうに来ないので、結局そこにいたタクシーに乗った。この運転手は商売っ気たっぷりで、「日本人のこんな人を乗せた」と名刺を出してみせたり、頼まないのに観光ガイドを言ったり。先ずは、翌日のカターニア行きのバスの情報を得るために、バスターミナルでタクシーを降りた。SAIS社のインフォーメーションへ行くと、若い愛想のないあんちゃんがいる。
11時発カターニア行きのバスがある事が分かった。チケットは「明日でいい」と言う。オジ様は「えっ 大丈夫かなあ? 混んでて買えないなんて事になると大変だからなあ・・」と心配顔。今日は売らないと言うので仕方ない。 そこでこの街のシンボルでもあるドゥオーモへの行き方をそのあんちゃんにたずねると「そこのターミナルから小さい赤いバスが行く」との返事。
歩くと約千メートル、登り坂道だという。今日はすでに充分2万歩を越えている私たち。これは徒歩はキツそうだ。ターミナルでバスを待つ若い女の子に「ドゥオーモ行きのバスはどこから?」と聞くと、親切に友達に電話して聞いてくれたりするのだが、結局地元の人は行かないので分からないらしいのだ。「小さい緑のバスだって」と教えてくれたが緑色のバスも一向に来ない。バス探しで30分位経ってしまい、タクシーで行くことにした。
石畳の坂をガタガタと登っていくタクシー。その時、坂を下ってくるクリーム色のミニバスとすれ違う。「なんだ、赤でも緑でもないじゃない・・」
そしてタクシーはドゥオーモ前広場に到着。丘のてっぺんの、更に高い階段の上に、ノルマン様式のクリーム色の大きな教会が建っている。カップルが階段に座っているが、失礼して階段の上まで上がって行った。大きな扉が閉まっていて、何だか開いていない。そこへ人が工事用の手押し車を押して出て来た。「入れますか?」「いや、工事中だ、ほら」その一瞬だけ、中を覗けたが、灰色の大きな長~い柱が左側に何本か見えた他は、がら~んと何もない。わざわざ人にバス乗り場探しを手伝ってもらって、見つからなくてやっとタクシーで来たのに、これだ!・・という状態だったが、振り返ると丘からの景色はすばらしく、海は見えるし、街や谷が見下ろせる。そろそろ夕方が近い午後の空はこのシチュエーションにふさわしい。
さて気を取り直して、広場に面したホテルやアパートメントの外観をながめて、下の街へ下り始める。ちょうど帰宅するらしいサラリーマン風の若い男性が上の階の窓に投げキッスをして、足取りも軽やかに階段を登り、ドアが開いて、少しだけ中が見えた。はっきり言って、ドゥオーモ前広場にしては小汚い外観のアパートメントだが、中は驚くほど素敵なインテリアがあるようだった。
その印象は、ひとつの先触れだった。下界への道は、幅の狭いゆったりとした階段で、両側に思い思いの建て方をした家々が隣接して連なっている思いの外オシャレな通りだった。玄関口へのステップも様々。小さいデッキチェアを置いたバルコニーがあったり、レースのカーテンが綺麗に掛けられていたり。分厚く古いドアはそのまま使われているようだが、壁はそれぞれバニラアイス色で揃えられ、所々新たに塗り替えられて、扉や雨戸の焦げ茶やオレンジ色がアクセントになっている。歩いていて楽しい家並みだ。所々に藤の花が咲き、人が生活している暖かみの彩りとなっていた。小学生くらいの女の子たちを見つけた。一人は丸顔で、カーラーでくりくりに巻いたウイッグかと思うようなお姉さんヘアだ。
やがて街の中に出た。街全体が大きな丘の上の方なので、見下ろすと海が見え、まだまだ高い所にいるのが分かる。近くの大きめの教会に入ってオルガンの写真を撮ったりした。それから旧市街のブティック通りを散策した。角を曲がった所にゲーテが泊まった宿が有り、角の所に看板が出ていた。オジ様は看板の前で記念撮影。目的を果たす。その角の焼き物のお店で、マヨルカ焼きのお皿を買った。レモンが2個描かれている。カルタジローネ作という事になっている。ホンマか~?
ブティック街を抜けてガリバルディ広場(また出た将軍の名前)のカフェで休憩。植物が上手く配置されて、街の中心として手頃な広場だ。ここのトイレは、カフェの店内の店員さんにカギを借りて通りに面したドアを開ける。さすがに便座付き。 7時頃か・・だいぶん夕方になって来たので、ホテルに戻って夕食を取ることにした。前夜のマルサーラではデリバリーだったので、ホテルに電話をして予約を入れた。
せっかくバス・チケットがあるので、ホテルまでバスで帰る事にする。また、あのターミナルだ。ホテルのある海の方へ行くバスを、屯しているバスの運転手に教えてもらう。写真は、ちょうどその頃の、夕方の気配のターミナル付近。時刻を赤い電光で表示した塔がある。この時刻はほぼ合っているのだが、バスの運行状況は正確ではない。というか、日本のような時間表が・・ない。運転手は「7時40分に来る」というので周辺を一巡りして時間を潰すが、来ない。結局、バスは8時頃に来て、とりあえず乗ったが、発車しない。運転手は携帯でしゃべっている。でも、ホテルの名前を言ったら「大丈夫だ」と言われたので、これに乗って行けば着くだろう・・。
バスはやっと発車。夕闇が降りて来た。坂をどんどん下って市街から離れると、昼間見た神殿(テンプリ)のライトアップが車窓に見える。ヤッタ~ なかなか幻想的な風景だ。その間、バス内では、運転手に向かって、オヤジがグダグダ文句を云っていた。言いがかりかと思ったら、むしろ愚痴を聞いてもらっているようだった。海岸通りに出たようだったので、そろそろホテルは近いかと思ったが、運転手は「まだだ」と言う。仕方なく乗っていたら、気がつくと町はずれ。乗客は私たちだけ。運転手は「待っていろ」と言って、愚痴オヤジと一緒に”パニーネ”の看板の前で降りてしまった。何だこりゃ?
オジ様が降りて、”パニーネ”の中を覗くと、運転手はパンを食べている。「じきに行く」と言っているという。どうやら、運転手は”ご親切に”ホテルまで連れて行ってくれる気だが、その前に腹ごしらえを先にしているようなのだ。「これがイタリアなんです!」とオジ様。
それでも10分ほどだったか、運転手が出て来て運転再開。場末っぽい、街はずれの何もない景色から、少しは洒落た別荘のような建物が見え始め、家が増えて、やがてバス停に停まった。バス停はホテルの真ん前だった。すでに9時近かったが、ホテルに入り、荷物を置いただけでまだ部屋に入っていなかったので、部屋に入り着替えて食堂へ。
食堂には、いっぱい食事客がいた。イタリア語、英語、ドイツ語などが聞こえたようだ。「ウェウカムドリンクと、あとワインを1本プレゼント致しますが、どうされますか?」英語が話せて細やかな気遣いもできるサルバトーレさんを中心に、サービスが感じ良い。ウェルカムドリンクのブドウで作られた甘いリキュールをアペリティフに頂き、プレゼントのワインは、まあ後で・・と思っていたら翌日チェックアウトの時にちゃんと覚えていて持たせてくれた。
料理は正式なコース料理をきちんと用意してあって、アンティパスタ、第1の皿、第2の皿、デザート、コーヒー・・と説明をしながら注文を取っていく。揚げたイワシのマリネ、トマトサラダ、レモン添え茹でたほうれん草、茹でたレタス、蝶々型パスタ、ペンネ・トマトソースを取って分け合いながら食べた他に、メインディッシュの牛ソテー。お肉は頂いたが、ほうれん草は食べきれなかった。どれもやや甘めの味付けだが美味しかった。デザートに黄色い小リンゴを自分で剥いて食べた。これは美味しかった。気がつくとスタートが遅かった私たちの他に、あと1テーブル残っているだけだった。食堂の人も帰りたいだろう、と思ったら、「コーヒーはあちらでどうぞ」とロビーのソファに運んでくれた。この旅行中で最も心のこもったサービスをするホテルだった。
ピカソ風の抽象画で飾られた食堂。アラブ系の血がゼロではないだろうな~と思われる肌の色の従業員たち。外国人観光客を意識したサービス。昼間見て歩いたギリシャ様式の遺跡、アグリジェントの旧市街・・。う~ん、異国だなあ。異国を訪れている異邦人なんだなあ・・と、アフリカ風味の(ような気がする)コーヒーをすすりながら、しみじみ想った。
さて、市街行きのバスはいっこうに来ないので、結局そこにいたタクシーに乗った。この運転手は商売っ気たっぷりで、「日本人のこんな人を乗せた」と名刺を出してみせたり、頼まないのに観光ガイドを言ったり。先ずは、翌日のカターニア行きのバスの情報を得るために、バスターミナルでタクシーを降りた。SAIS社のインフォーメーションへ行くと、若い愛想のないあんちゃんがいる。
11時発カターニア行きのバスがある事が分かった。チケットは「明日でいい」と言う。オジ様は「えっ 大丈夫かなあ? 混んでて買えないなんて事になると大変だからなあ・・」と心配顔。今日は売らないと言うので仕方ない。 そこでこの街のシンボルでもあるドゥオーモへの行き方をそのあんちゃんにたずねると「そこのターミナルから小さい赤いバスが行く」との返事。
歩くと約千メートル、登り坂道だという。今日はすでに充分2万歩を越えている私たち。これは徒歩はキツそうだ。ターミナルでバスを待つ若い女の子に「ドゥオーモ行きのバスはどこから?」と聞くと、親切に友達に電話して聞いてくれたりするのだが、結局地元の人は行かないので分からないらしいのだ。「小さい緑のバスだって」と教えてくれたが緑色のバスも一向に来ない。バス探しで30分位経ってしまい、タクシーで行くことにした。
石畳の坂をガタガタと登っていくタクシー。その時、坂を下ってくるクリーム色のミニバスとすれ違う。「なんだ、赤でも緑でもないじゃない・・」
そしてタクシーはドゥオーモ前広場に到着。丘のてっぺんの、更に高い階段の上に、ノルマン様式のクリーム色の大きな教会が建っている。カップルが階段に座っているが、失礼して階段の上まで上がって行った。大きな扉が閉まっていて、何だか開いていない。そこへ人が工事用の手押し車を押して出て来た。「入れますか?」「いや、工事中だ、ほら」その一瞬だけ、中を覗けたが、灰色の大きな長~い柱が左側に何本か見えた他は、がら~んと何もない。わざわざ人にバス乗り場探しを手伝ってもらって、見つからなくてやっとタクシーで来たのに、これだ!・・という状態だったが、振り返ると丘からの景色はすばらしく、海は見えるし、街や谷が見下ろせる。そろそろ夕方が近い午後の空はこのシチュエーションにふさわしい。
さて気を取り直して、広場に面したホテルやアパートメントの外観をながめて、下の街へ下り始める。ちょうど帰宅するらしいサラリーマン風の若い男性が上の階の窓に投げキッスをして、足取りも軽やかに階段を登り、ドアが開いて、少しだけ中が見えた。はっきり言って、ドゥオーモ前広場にしては小汚い外観のアパートメントだが、中は驚くほど素敵なインテリアがあるようだった。
その印象は、ひとつの先触れだった。下界への道は、幅の狭いゆったりとした階段で、両側に思い思いの建て方をした家々が隣接して連なっている思いの外オシャレな通りだった。玄関口へのステップも様々。小さいデッキチェアを置いたバルコニーがあったり、レースのカーテンが綺麗に掛けられていたり。分厚く古いドアはそのまま使われているようだが、壁はそれぞれバニラアイス色で揃えられ、所々新たに塗り替えられて、扉や雨戸の焦げ茶やオレンジ色がアクセントになっている。歩いていて楽しい家並みだ。所々に藤の花が咲き、人が生活している暖かみの彩りとなっていた。小学生くらいの女の子たちを見つけた。一人は丸顔で、カーラーでくりくりに巻いたウイッグかと思うようなお姉さんヘアだ。
やがて街の中に出た。街全体が大きな丘の上の方なので、見下ろすと海が見え、まだまだ高い所にいるのが分かる。近くの大きめの教会に入ってオルガンの写真を撮ったりした。それから旧市街のブティック通りを散策した。角を曲がった所にゲーテが泊まった宿が有り、角の所に看板が出ていた。オジ様は看板の前で記念撮影。目的を果たす。その角の焼き物のお店で、マヨルカ焼きのお皿を買った。レモンが2個描かれている。カルタジローネ作という事になっている。ホンマか~?
ブティック街を抜けてガリバルディ広場(また出た将軍の名前)のカフェで休憩。植物が上手く配置されて、街の中心として手頃な広場だ。ここのトイレは、カフェの店内の店員さんにカギを借りて通りに面したドアを開ける。さすがに便座付き。 7時頃か・・だいぶん夕方になって来たので、ホテルに戻って夕食を取ることにした。前夜のマルサーラではデリバリーだったので、ホテルに電話をして予約を入れた。
せっかくバス・チケットがあるので、ホテルまでバスで帰る事にする。また、あのターミナルだ。ホテルのある海の方へ行くバスを、屯しているバスの運転手に教えてもらう。写真は、ちょうどその頃の、夕方の気配のターミナル付近。時刻を赤い電光で表示した塔がある。この時刻はほぼ合っているのだが、バスの運行状況は正確ではない。というか、日本のような時間表が・・ない。運転手は「7時40分に来る」というので周辺を一巡りして時間を潰すが、来ない。結局、バスは8時頃に来て、とりあえず乗ったが、発車しない。運転手は携帯でしゃべっている。でも、ホテルの名前を言ったら「大丈夫だ」と言われたので、これに乗って行けば着くだろう・・。
バスはやっと発車。夕闇が降りて来た。坂をどんどん下って市街から離れると、昼間見た神殿(テンプリ)のライトアップが車窓に見える。ヤッタ~ なかなか幻想的な風景だ。その間、バス内では、運転手に向かって、オヤジがグダグダ文句を云っていた。言いがかりかと思ったら、むしろ愚痴を聞いてもらっているようだった。海岸通りに出たようだったので、そろそろホテルは近いかと思ったが、運転手は「まだだ」と言う。仕方なく乗っていたら、気がつくと町はずれ。乗客は私たちだけ。運転手は「待っていろ」と言って、愚痴オヤジと一緒に”パニーネ”の看板の前で降りてしまった。何だこりゃ?
オジ様が降りて、”パニーネ”の中を覗くと、運転手はパンを食べている。「じきに行く」と言っているという。どうやら、運転手は”ご親切に”ホテルまで連れて行ってくれる気だが、その前に腹ごしらえを先にしているようなのだ。「これがイタリアなんです!」とオジ様。
それでも10分ほどだったか、運転手が出て来て運転再開。場末っぽい、街はずれの何もない景色から、少しは洒落た別荘のような建物が見え始め、家が増えて、やがてバス停に停まった。バス停はホテルの真ん前だった。すでに9時近かったが、ホテルに入り、荷物を置いただけでまだ部屋に入っていなかったので、部屋に入り着替えて食堂へ。
食堂には、いっぱい食事客がいた。イタリア語、英語、ドイツ語などが聞こえたようだ。「ウェウカムドリンクと、あとワインを1本プレゼント致しますが、どうされますか?」英語が話せて細やかな気遣いもできるサルバトーレさんを中心に、サービスが感じ良い。ウェルカムドリンクのブドウで作られた甘いリキュールをアペリティフに頂き、プレゼントのワインは、まあ後で・・と思っていたら翌日チェックアウトの時にちゃんと覚えていて持たせてくれた。
料理は正式なコース料理をきちんと用意してあって、アンティパスタ、第1の皿、第2の皿、デザート、コーヒー・・と説明をしながら注文を取っていく。揚げたイワシのマリネ、トマトサラダ、レモン添え茹でたほうれん草、茹でたレタス、蝶々型パスタ、ペンネ・トマトソースを取って分け合いながら食べた他に、メインディッシュの牛ソテー。お肉は頂いたが、ほうれん草は食べきれなかった。どれもやや甘めの味付けだが美味しかった。デザートに黄色い小リンゴを自分で剥いて食べた。これは美味しかった。気がつくとスタートが遅かった私たちの他に、あと1テーブル残っているだけだった。食堂の人も帰りたいだろう、と思ったら、「コーヒーはあちらでどうぞ」とロビーのソファに運んでくれた。この旅行中で最も心のこもったサービスをするホテルだった。
ピカソ風の抽象画で飾られた食堂。アラブ系の血がゼロではないだろうな~と思われる肌の色の従業員たち。外国人観光客を意識したサービス。昼間見て歩いたギリシャ様式の遺跡、アグリジェントの旧市街・・。う~ん、異国だなあ。異国を訪れている異邦人なんだなあ・・と、アフリカ風味の(ような気がする)コーヒーをすすりながら、しみじみ想った。