代々木上原にあるムジカーサで、舘野泉さんプロデュース”坂の上のコンサート”があり、聴きに行った。
いつも以上に盛り沢山のプログラム。メイン・テーマは”セヴラックへのオマージュ” セヴラックは、ドビュッシーの時代のフランスの作曲家で、ラングドック地方の貴族の出身で、広いお城のような館で作曲し、友人達とサロン風の楽しみを享受する生活だったようだ。作品にも、そういったサロンでのお楽しみに書かれたような雰囲気のものが見られる一方、大地と密接な生活から生まれたと思われる、大自然、人生、哲学への深い想いを表した作品もある。
コンサートはいつものように舘野さんの短い解説から始まる。お顔の色つやが麗しく、足取りも軽く、3月にお目にかかった時より3歳は若返られたようだ。平原あゆみさんとの三手連弾でのセヴラックの”鉛の兵隊” アンデルセンの物語やカルメンのドン・ホセと似た物語のようだが、ハッピーエンドのかわいらしい、サロン風の作品。左手だけでなく、ところどころ、右手も弾いていらしたようだ・・。
続いてメインゲストの登場となる。先ずは、クバイネさんのお嬢さん、メゾ・ソプラノのマリーさんの歌で、セヴラックの歌曲。伴奏は末吉先生。末吉先生の音はあいかわらず芯があって、明るい輝きがあるなあ。マリー・クバイネさんは、知的な美人で、暖かく清らかな美声の持ち主だ。4つの歌曲を、それぞれの持ち味に合わせた表情も美しい”女優”だ。プログラム後半で歌われたファリャの”7つのスペインの歌”では、艶っぽい顔、悪戯っぽい顔も見せ、さすがにカルメンをレパートリーとしているだけのことはある、と思った。いつまでも聴いていて飽きない、嫌みのない美声だ。
それからバス・バリトンのジャン・ジャック・クバイネさん。前半ではイベールの”ドン・キホーテの4つの歌” 後半でセヴラックの歌曲を4曲歌われた。圧倒的な声量と存在感だ。お顔がそっくりな訳ではないが、一瞬の目を細めた表情の中に、加賀丈史を思わせる。背の高い立派な体格から連想させる部分もあるかもしれないが、いずれにしても立派な”俳優さん”だ。その声の響きは、バッグの陰に持つプログラムの紙を揺らした。
そして前半最後は、平原あゆみさんのピアノ独奏でセヴラックの組曲「ラングドック地方にて」の中の”春の墓地の一陽”が演奏された。あゆみさんは、よく歌わせ、とく響かせ、よく弾く素晴らしいテクニックの持ち主で、こういうシリアスな内容の演奏で本領を発揮する。チラシ、チケット、プログラム等の印刷のデザインも益々磨きがかかってきている。
後半は、舘野師弟の演奏で、末吉先生編曲なさったセヴラックの曲集の三手版を4曲。バイオリニストのヤンネ舘野さん独奏、平原あゆみさん伴奏のセヴラックのバイオリン曲を3曲演奏された。3曲目の”セレの思い出”は、3月に私もヤンネの伴奏をした曲だ。平原あゆみさんは、本当によく弾ける、と感心した。ヤンネの楽器はあいかわらずリッチな音がしている。二人とも、もう少しニコニコすればいいのに・・。まじめで純粋なんだなあ・・。
その後は、クバイネさんのセヴラックと、マリー・クバイネさんのファリャで、盛り沢山コンサートが終わると、9時半を過ぎていた。フランス人なんだから当たり前だけど、フランス語の発音が美しかった。セヴラックはラングドック弁がかなり混じるので、フランス語から離れる部分もあるのだが、ヴェルレーヌの詩は流石に標準語だから、私でも多少わかる、その”美しさ”を聴くことが出来て嬉しかった。
帰り道、神宮前=原宿での乗り換えの時に、どうも倖田來未のコンサート帰りらしい一団と一緒になった。何人もの女の子が”倖田來未”と書いてあるバッグを持っている。ん~、そういうのも青春の音楽として、良いかも分かんないけどさあー、世の中には、長年に渡って磨かれた精神力と技術と美学で表現される、純粋な音楽も存在するのよ、知らないでしょうけど・・。キミたちの媒体でもある、世間のブログに、そういうキミたちの知らない充実感の持てる世界がこの世に存在してるのよ、と言いたくなって、このブログを書きました、ってワケよ。わかる? わかんないだろーな~。って、これもかなり古いか・・。
いつも以上に盛り沢山のプログラム。メイン・テーマは”セヴラックへのオマージュ” セヴラックは、ドビュッシーの時代のフランスの作曲家で、ラングドック地方の貴族の出身で、広いお城のような館で作曲し、友人達とサロン風の楽しみを享受する生活だったようだ。作品にも、そういったサロンでのお楽しみに書かれたような雰囲気のものが見られる一方、大地と密接な生活から生まれたと思われる、大自然、人生、哲学への深い想いを表した作品もある。
コンサートはいつものように舘野さんの短い解説から始まる。お顔の色つやが麗しく、足取りも軽く、3月にお目にかかった時より3歳は若返られたようだ。平原あゆみさんとの三手連弾でのセヴラックの”鉛の兵隊” アンデルセンの物語やカルメンのドン・ホセと似た物語のようだが、ハッピーエンドのかわいらしい、サロン風の作品。左手だけでなく、ところどころ、右手も弾いていらしたようだ・・。
続いてメインゲストの登場となる。先ずは、クバイネさんのお嬢さん、メゾ・ソプラノのマリーさんの歌で、セヴラックの歌曲。伴奏は末吉先生。末吉先生の音はあいかわらず芯があって、明るい輝きがあるなあ。マリー・クバイネさんは、知的な美人で、暖かく清らかな美声の持ち主だ。4つの歌曲を、それぞれの持ち味に合わせた表情も美しい”女優”だ。プログラム後半で歌われたファリャの”7つのスペインの歌”では、艶っぽい顔、悪戯っぽい顔も見せ、さすがにカルメンをレパートリーとしているだけのことはある、と思った。いつまでも聴いていて飽きない、嫌みのない美声だ。
それからバス・バリトンのジャン・ジャック・クバイネさん。前半ではイベールの”ドン・キホーテの4つの歌” 後半でセヴラックの歌曲を4曲歌われた。圧倒的な声量と存在感だ。お顔がそっくりな訳ではないが、一瞬の目を細めた表情の中に、加賀丈史を思わせる。背の高い立派な体格から連想させる部分もあるかもしれないが、いずれにしても立派な”俳優さん”だ。その声の響きは、バッグの陰に持つプログラムの紙を揺らした。
そして前半最後は、平原あゆみさんのピアノ独奏でセヴラックの組曲「ラングドック地方にて」の中の”春の墓地の一陽”が演奏された。あゆみさんは、よく歌わせ、とく響かせ、よく弾く素晴らしいテクニックの持ち主で、こういうシリアスな内容の演奏で本領を発揮する。チラシ、チケット、プログラム等の印刷のデザインも益々磨きがかかってきている。
後半は、舘野師弟の演奏で、末吉先生編曲なさったセヴラックの曲集の三手版を4曲。バイオリニストのヤンネ舘野さん独奏、平原あゆみさん伴奏のセヴラックのバイオリン曲を3曲演奏された。3曲目の”セレの思い出”は、3月に私もヤンネの伴奏をした曲だ。平原あゆみさんは、本当によく弾ける、と感心した。ヤンネの楽器はあいかわらずリッチな音がしている。二人とも、もう少しニコニコすればいいのに・・。まじめで純粋なんだなあ・・。
その後は、クバイネさんのセヴラックと、マリー・クバイネさんのファリャで、盛り沢山コンサートが終わると、9時半を過ぎていた。フランス人なんだから当たり前だけど、フランス語の発音が美しかった。セヴラックはラングドック弁がかなり混じるので、フランス語から離れる部分もあるのだが、ヴェルレーヌの詩は流石に標準語だから、私でも多少わかる、その”美しさ”を聴くことが出来て嬉しかった。
帰り道、神宮前=原宿での乗り換えの時に、どうも倖田來未のコンサート帰りらしい一団と一緒になった。何人もの女の子が”倖田來未”と書いてあるバッグを持っている。ん~、そういうのも青春の音楽として、良いかも分かんないけどさあー、世の中には、長年に渡って磨かれた精神力と技術と美学で表現される、純粋な音楽も存在するのよ、知らないでしょうけど・・。キミたちの媒体でもある、世間のブログに、そういうキミたちの知らない充実感の持てる世界がこの世に存在してるのよ、と言いたくなって、このブログを書きました、ってワケよ。わかる? わかんないだろーな~。って、これもかなり古いか・・。