(青函連絡船と「津軽海峡」の歌碑)
カラオケと言えば 「銀座の恋の物語」 と 「ふたりの大阪」。 デュエットでごまかし、独唱は避ける。歌える歌はごくわずか、それも前世紀の歌ばかりだ。
だからと言って、好きな歌がないわけではない。
例えば、石原裕次郎の 「北の旅人」。 なにしろ 「旅」 と 「北」 とは男のロマン。歌もさることながら、この歌を作曲した弦哲也が弾く前奏と間奏が素晴らしい。前奏と間奏の間に、歌があると言ってもいいくらいだ。
美空ひばりの 「みだれ髪」 については、このブログで書いた ( 「美空ひばり考・みだれ髪」… 随想・文化 )。 美空ひばりの高音は美しい。
「みだれ髪」 もそうだが、世間で大ヒットした曲は、聞くともなく耳に入り、体に沁み込んで、5年も10年も20年もたって、世間が忘れたころに、ふと、これはいい歌だな、名曲だなと、改めて思うことがある。
例えば、…… これも相当に古い歌で恐縮だが、都はるみの「涙の連絡船」。…… 私はカラオケはしないが、この歌をカラオケで歌うなら、都はるみに負けじとコブシを効かせて熱唱するより、品よく、譜面どおりに、さらっと歌えば、歌そのものがいい歌だから、十分に情感は出る。
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今はもう遠い昔のことである。…… たぶん、日曜日だ。寝そべって、見るともなくテレビを見ていた。
画面は、「日本チョモランマ (エベレスト) 登山隊」の日々を追っていた。すでにチベット側からは何度も登頂され、中国側からのアプローチである。まだ、極地法が取られていた時代だから、参加する隊員も多く、運び上げなければならない物資も厖大で、カメラは、物資運搬の帰りだろうか、荒涼と果てしない荒野を走る1台のトラックを映していた。荷台には、10人ほどの山男たちが乗っている。
そのとき、トラックの荷台の上で、1人の隊員が歌を歌い始めた。すると、その歌はみるみるうちに伝播して、全員の大合唱になった。石川さゆりの「津軽海峡冬景色」だった。
私は思わず身を起こして、テレビの画面に、見入った。
歌の内容は、むくつけき山男たちに似合わなかった。
この荒涼として果てしなく続く異国の荒野にもそぐわなかった。
だが、今、男たちのこころは一つになって、声の限りに歌う。
そう …… 「津軽海峡冬景色」は、何事かを成し遂げようと異郷の地にあって日々活動している男たちが、その厳しい活動と活動の合間に、ふと遠い 「日本」 を思ったとき、思わず口をついて出てくる歌なのだ。
国歌は「君が代」だが、国歌とは別に、日本人の心のひだに沁み込んで、異郷にあって思わず口をついて出てくる歌もある。日本人の感性に寄り添い、なぜかこころを揺さぶられる歌である。
テレビを見ながら、「津軽海峡冬景色」は、そういう歌の一つだと思った。
よし、そこへ行ってみよう。本州の最北端、竜飛岬に立って、津軽海峡の潮の流れを見下ろしながら、この歌を歌いたい。
…… それから歳月が流れ、…… 竜飛岬には、「津軽海峡冬景色」の歌詞を彫った石碑が建ち、ボタンを押せば石川さゆりの歌が強風にちぎれながら流れること、そして、ここを訪れた人は一様に、風の中で、石川さゆりとともにこの歌を熱唱するということを知って、ますますそこへ行きたくなった。
これが、この旅の動機の一つである。笑われても仕方ないような動機だが、わが人生、残りの歳月の方が多いとはとても言えない。やりたくてもできないことはあきらめて、できることは、できるうちに、やっておこう。
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それにしても、旅に出るのは男の子とばかり思っていたら、いつのころからか、カラマツの林の美しい高原や古い城下の街並みに、若い女性たちがあふれだした。
倉敷は、私の故郷の隣町である。西洋美術に関心を持つようになり、もう一度、大原美術館の絵を見たいと思って出かけたことがあった。ところが、美術館も、そのまわりの柳の堀も、オシャレな喫茶店も、どこもかしこも、「ノンノン」や「アンアン」を手にした若い女性ばかりで、中年男の私は身の置き場がないほどであった。
「日本のどこかに、私を待っている人がいる」 という山口百恵の歌も、女性たちのロマンと冒険心をくすぐった。その旅で目にする 「風景」 の一コマは、「岬のはずれに少年は魚釣り / 青いすすきの小径を帰るのか」 と歌われ、…… 人の心をとらえるのは具象の確かな形象化であり、谷村新司の詩はなかなかの出来といっていい。
だが、旅に出るのはロマンばかりではない。女たちもまた、傷心の心を抱いて、「みちのく一人旅」の旅に出る。
例えば、それは、「津軽海峡冬景色」。
そして、もう一つ、今回の旅の動機となった歌がある。
もう歌謡曲が大ヒットしなくなったころ、遅れてやって来た演歌歌手、ご当地ソングの水森かおり。といっても、私は水森かおりのファンというわけではない。申し訳ないが、ご当地ソングの数々も、ピンとこなかった。
ただ一つの例外が、「五能線」。
その歌詞の一番は、こんな風だ。
「どこへ行ったら あなたから / 旅立つことが できるでしょうか
残りの夢を 詰め込んだ / 鞄を膝に 列車旅
女 みちのく 五能線
窓いっぱいに 日本海」
作曲は 「北の旅人」 の弦哲也だが、私の心がときめいたのは、メロディよりも歌詞であり、それもその中のたった1行である。
「窓いっぱいに 日本海」。
この歌をいつ、どこで、聞いたのかは、全く覚えていない。聞こうと思って聞いたのでないことは確かだ。ただ、あるとき、「窓いっぱいに 日本海」 というフレーズが耳に入ってきて、言葉がイメージとして広がった。
昔、仕事で、大阪と青森を結ぶ 「白鳥」 という列車に乗って、冬の秋田へ行ったことがある。
朝、所用があって飛行機に乗れず、たぶん午前11時ごろに大阪駅を出発する「白鳥」に乗ったのだ。
車窓から見る冬の景色は、琵琶湖の北岸で、早くもすっぽりと雪におおわれ、やがて日本海側に出て、凍えるような暗い日本海の波濤や、雪のかたまりの残る漁村や、深々と雪に埋まった山の中を走り続け、夜の8時ごろに雪の秋田駅に着いた。
退屈し、腰が痛くなるだろうと覚悟して乗ったが、暖房の効いたコンパートメントに1人座り、琵琶湖北岸から、ただただ雪の日本列島の美しさに見とれて過ごした。
翌春、もう一度、秋田へ行く機会があった。飛行機で行っても良かったが、あえて、「白鳥」に乗った。
琵琶湖の北岸から秋田まで、山や谷のあちこちに5月の草花が咲き、水田が一面に広がり、日本海の荒磯があり、そして、全行程を通じて、やわらかく芽吹いた木々の緑の美しさに目が染まった。
私の「日本」という国の原風景ができあがるような旅であった。
とっぷりと日の暮れた秋田で降りたが、終着駅の青森へ向かう「白鳥」の赤い尾灯に心を残した。
五能線は、秋田と青森を結ぶ。その列車の窓枠いっぱいに、真っ青な日本海が広がる、と歌っている。新幹線の窓からは、絶対に味わえない景色である。
五能線に乗って、窓いっぱいに広がる日本海を見たい。これが、私のもう一つの旅の目的となった。
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そして、この5月、「東能代」駅から「五所川原」駅まで五能線に乗り、レンタカーで本州の最果ての地、竜飛岬、大間崎を巡るという旅に出た。
今回の旅に理屈はない。五能線に乗ることと、竜飛岬に立って歌を歌うことが目的である。あいにく天候に恵まれなかったが、それもまた、旅。また、人生だ。
珍しい写真ではないが、文章は少なく、旅で撮った風景写真ばかりのブログである。