( 神殿の入口の門・テトラビロン )
第4日目 5月16日
昨日、バスの中で、ガイドのDさんが、明日の日中は35度を超える暑さになるようですよ、と言った。
今朝も晴れだ。それでも、白い雲を見るのは久しぶりのような気がする。
今日から、エーゲ海を離れて、東へ東へと走る。今夜のホテルは185キロ先のパムッカレだ。
< ファッションショーを見る >
バスに乗ってしばらく走り、出発してまだ何も観光していないのに、早くも革製品の高級品店でショッピング・タイムとなる。
お買い物の前に、まず全員でファッションショーを見学した。
音楽に乗って、姿の良いお兄さんやお姉さんが颯爽と歩く。なかなか楽しい。
途中、わがツアー一行の中から、男性モデルに指名された「美女」3人も舞台にあがり、レザージャケットを着て、男性モデルにエスコートされ花道をカッコよく歩いた。若いイケメンにサポートされて、関西のおばさまらしく、楽しんでいらっしゃった。
( ファッションショー )
昼食後は、昨年、世界遺産に登録されたばかりのアフロディシアス遺跡へと向かう。
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< トルコの土産屋のこと >
近年、ヨーロッパのどこを旅行しても、中国人観光客でいっぱいだ。
評判はあまり良くない。
ヨーロッパでは(トルコでも)、国のガイド試験をパスして正規のガイドと認められたプロでないと、その町の文化財(自然遺産も含む)について、団体旅行者に説明してはいけないことになっている。日本人の添乗員が、自分の一面的な知識ややり方で説明したり、ガイドをすることは許されないのだ。本当は、大勢の外国人観光客が来るようになった日本でも、早くこの制度を取り入れるべきだと思う。
2015年の秋、スロベニア、クロアチアなどアドリア海を巡るツアーに参加したとき、行く先々の町で、現地ガイドたちは一様に、「今日は日本人の案内でうれしい」と言った。最近増える一方の中国人観光客は、「傍若無人に大声でしゃべって、ガイドの説明を聞かない。注意したことを守ろうとしない。グループがすぐばらばらになって、自分勝手に行動し、点呼のとき探しに行かねばならない。気を付けていないと、貴重な文化遺産・自然遺産を傷つけたり、持って帰ろうとする」というのである。プロのガイド資格を持つ以上、責任も伴い、特に中国人観光客を相手にするときは神経をすり減らすようだ。
さて、話を今回のトルコツアーに戻して、以下は、ガイドのDさんのバスの中での話である。
近年、トルコは経済的に随分苦しい時期を過ごしてきた。私の父も、自分の半生のなかで、こんなに苦しい時期はなかったと言っている。トルコは200万人の難民を受入れようとした。ヨーロッパが受け入れているのは若い労働者だけだが、トルコは困っている人々を助けたいと思って取り組んだから、女性も老人も受け入れた。そこへ500万人が押し寄せた。経済は窮迫し、治安が悪くなった。テロ事件も起きた。これまでトルコに一番たくさん観光に来てくれたアメリカ人、その次のヨーロッパ人、その次の日本人も、パタッと来なくなってしまった。
苦しい歳月だったが、今、やっと、曙光が見えたと私たちは期待している。回復への第一歩を踏み出したと、感じている。
ただそういう苦しい時も、中国人だけは少しも減らなかった。来続けてくれた。
それはとてもありがたいのだが、中国人観光客は、行く先々で、買い物のときに値切る。高価な物だけでなく、わずか千円のお菓子も値切って半値にさせる。トルコの観光地の小さな店はどこも閑古鳥が鳴いて苦しかったから、半分に値を下げても売った。それでは儲からないから、品質を落とした。
例えばよくお土産にされるロクムというトルコの伝統的な菓子がある。日本の柚餅子(ユベシ)に似た菓子で、蜂蜜が使われている。ところが、今は、品質を下げ、砂糖や甘味料で甘くしている。それはもうトルコの伝統的な菓子のロクムではない。似て非なる菓子だ。中国人は、それをお土産に買って帰る。私たちが行く、行く先々の土産店や露店の多くは、哀しいことに、今、そういう商品を売っている。
トルコ政府からガイドの資格を得、今もトルコ政府の研修を受けている私たちは、日本人にそういう物を買ってほしくない。本物の伝統的なロクムを買って帰ってほしいと思っている。ですから、私は本物のロクムを売る店に案内する。少し高いが、できたらそこで買ってください。
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< 古代都市アフロディシアスを見学する >
アフロディシアスはBC2世紀~AD6世紀に栄えた古代都市である。名前のとおり、愛と美の女神アフロディーテ(ヴィーナス)に捧げられた町だ。
近隣に大理石の採掘場があったため、アフロディーテを祀る神殿、浴場、競技場なども、大理石の彫刻やレリーフで飾られた。
ローマ時代も晩期になると、キリスト教が勢力を増し国教化して、アフロディーテ神殿はキリスト教の教会に変えられ、町の名も変えられた。
7世紀の2度の大地震で大きな被害を受け、12世紀のセルジュークトルコの侵略によって衰退した。
この都市遺跡の簡単な歴史である。
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遺跡は、広々とした野っ原の中にある。
昨日のエフェソス遺跡のように古代都市遺跡として凝縮しておらず、広々とのどかで、気持ちが良い。
ただし、今日もエーゲ海地方は晴天で、湿度は低いが、日差しは日本の真夏の日差しだ。さえぎる木陰も建物もない。
青空の下、かつてこの辺りにあった壮麗なアフロディーテ神殿は跡形もなく、神殿の庭の入口の門として行事の時に使われたというテトラビロンだけが残っていた。(冒頭の写真も)。
( テトラビロン )
テトラビロンから気持のよい野の中の小道をたどって行く。花の咲く草むらの中のそこここに、遺跡や遺構が残っていた。まだまだ発掘中で、いつまでかかるか、わからないという。
( 遺跡の小道 )
やがて、古代の競技場の遺跡に出た。
AD1~2世紀に造られたローマ式のスタジアムである。
長さ262m、幅59m、3万人の観客を収容する階段状の客席が残っている。
現代のローマにも、フォロ・ロマーノの向こうに広大な競技場が残っていて、映画『ベン・ハー』を思わせるが、この競技場のように客席まできちんと残っているのは珍しいそうだ。
競技場を飾っていた数々の彫像も付属の博物館にあり、整備し直せばローマ式スタジアムが再現できるほど、全体の保存状態は良い。
( 保存状態がいいローマ式競技場 )
ただし、再現するより、今のままの方がいい。再現したら、ディズニーランドか、ハリウッド映画のセットのようになってしまう。それは興覚めだ。
遺跡の入口近くに戻り、「アフロディスィアス博物館」に入館した。
アフロディスィアスで発掘された彫像やレリーフや石棺などが数多く陳列されていた。
残念ながら教養不足で、一つ一つの像の意味は分からない。下の写真は、人間に火を与えてゼウスの怒りを買い、山頂に鎖でつながれたプロメテウスの像だろう。
( アフロディスィアス博物館 )
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議事堂や劇場の遺跡の見学は割愛した。さらに、このあと、パムッカレに行き、ヒエラポリス遺跡と石灰棚を見学する予定であったが、それらの見学も明日に延期した。ツアー一行の一人の女性が熱中症で体調を崩したのだ。他人ごとではないと感じた人も多いに違いない。
バスはパムッカレのホテルに直行した。
( 車窓風景 : モスク )
ホテルの医者に診てもらい、病院に運ばれたが、翌日以後はまったく元気に観光された。
このホテルには石灰棚があり、温泉水が流れていて、水着を着て温泉に入ることができる。旅行の出発前に、温泉に入りたい人は水着を持ってくるようにと言われていたが、温泉なら日本の方が良いに決まっていると思って、要するに面倒くさいので、持ってこなかった。
それでも、久しぶりにホテルでゆっくりできて、良かった。