ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

閑話 …… EUはどこへ行くのか

2017年04月27日 | エッセイ

         ( マドリッドでフラメンコを見る )

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 今回は、カテゴリー 「西欧旅行 … 陽春のスペイン紀行」の8編のうち、後半の次の4編の写真を全部入れ替えて、更新しました。

5 うきうきセビーリャ 

6 西ゴード王国の都トレド            

7 マドリッドでフラメンコを見る         

8 圧巻のローマ水道橋・セゴビア 

 アンダルシアから首都マドリッドへ、5月の爽やかな気候に恵まれ、楽しい旅でした。

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< 閑話 >

 最近、エマニュエル・トッド 『 問題は英国ではない、EUなのだ 』 (文春新書) を読みました。

 私は、ずっとヨーロッパにこだわり、ヨーロッパを歩き、その歴史や文化に関心を寄せてきました。ヨーロッパは斜陽の国々だと言われますが、それでも、第二次世界大戦のあと、志を抱いてEUという壮大な実験を始めたヨーロッパに、期待をかけてきました。中国は言うまでもなく、アメリカも新興国です。日本と同じように歴史ある西ヨーロッパが、このまま衰退していくのか、古い文化や伝統を大切にしつつ、さらに成熟した魅力ある未来を切り開いていくのか、その姿を見たかったのです。もちろん、日本の未来を重ね合わせつつ。

 そのEUは、今、どこに行こうとしているのでしょうか??

   トッド氏が言うように、( EUの当初の理念が次第に失われ )、レーガン・サッチャーの時代から起こってきた「グローバリズム」に変質・同化してきているのではないかと心配になります。EUのなかが、「勝ち組のドイツ」と「負け組のギリシャ」に分断されたのでは、第二次世界大戦の反省から生まれたEUの意味がありません。EUとは、「市民共同体」のはずです。

 「100万人の難民を受け入れる」とメルケルが言ったとき、私は即座に、無茶だと思いました。難民を受け入れるとは、市民共同体が、包み込むようにして1家族ずつを受け入れていくことであって、目標は市民共同体の1員になってもらうことです。郊外に難民用のマンションを建て、あとはボランティアが入って面倒を見る、というようなやり方で、宗教も文化も価値観も違う人々を受け入れたら、必ず将来に禍根を残すでしょう。すでに、その禍根は顕在化しています。

 統計学者のトッド氏は、ドイツの出生率は日本と同じ1.4で、若年労働者が決定的に足りなくなっている、と言います。人格を持ち、異なる宗教や文化をもった人々を受け入れようとしているのではなく、ドイツは移民・難民を「労働力」としてしか見ていないのだ、と言います。( グローバル化とは、資本、技術、労働力の国境を越えた侵出のことです )。 こんなことをしていたら、今一人勝ちしているドイツも、いずれ破滅的な混乱に陥るだろうと。

 歴史とか、文化とか言いますが、それらは文化遺産や本の中にあるのではなく、市民の暮らしの中に、DNAのように実現しているものだと思います。例えば、今、ヨーロッパの人々のなかに、純粋なキリスト教徒は少なくなっていますが、キリスト教的なものの見方、感じ方、考え方は生活の隅々まで浸透しているはずです。それがヨーロッパというものです。

 キリスト教的なものの見方、感じ方のことだけではありません。公立学校の非宗教化 (非キリスト教化) は、フランス革命以後、市民社会が長い年月をかけて勝ち取ったものです。そこへ、ベールをつけて登校し、これが私たちだと、宗教をふりまわされたら、ヨーロッパ的市民社会は、理念からゆらいでしまいます。

 中東諸国ではイスラム教が人々の暮らしの隅々を支配していますが、ヨーロッパではイスラム教は言うまでもなく、キリスト教も、人々の暮らしを支配することはありません。それはただ、内面の問題としてあるのみです。

 

 

 

 

 


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