私は、とっくに第一線をリタイアし、社会の片隅でひっそりて生きている人間である。それでも、一寸の虫にも五分の魂という。主権者の一人として、世の中に向かって、ストレートに (つまり、紀行文の形など取らずに) ものを言いたくなることもある。
ただ、私は政治家でも、エコノミストでも、企業経営者でも、労働組合や農協の役員でもない。故に、難しいことはわからない。それに、私が何を言っても、世の中が1センチでも動くわけではない。
ですから、安心して、読み捨てていただきたい。
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「首相がヤジをとばすなど初めて見た 」と、テレビで悲憤慷慨する複数の政治評論家たちを見た。「… 大平首相は偉かった。反対意見にも耳を傾け、受け入れていた」… そうだ。
大平さんについて思い出すことは一つ。国会での答弁や記者会見での質問で、「あーあー。うーうー」の連発。長々と時間をかけて、結局、ショート・センテンス一つだけということもしばしばあった。
憎めないし、老獪だとは思ったが、あれを見て、心に決めた。自分がいつか「一隅のリーダー」になったときには、物事を明快、かつ簡潔に話す、自分の言葉をもったリーダーになりたいと。
もちろん、一隅であろうとトップに立てば、言えないこと、言ってはいけないこともある。言えないことは、「それは言えません」と言い切ればいいのである。そうすれば、聞いた方も、大概、こういうことは聞いてはいけないことなんだな、と気づく。それを、誤魔化そうとするから、執拗に追及される。
国際社会で、「もみ手外交の日本人」「いつもあいまいな日本人」「何を考えているのかわからない日本人」と言われていた時代だ。日本的老獪さが、世界に通用するわけではない。
だが、ヤジや、「あーあー。うーうー」 ぐらいで驚いてはいけない。今では政治評論家諸氏から名宰相であったと評価の高い吉田茂首相は、記者会見のとき、「馬鹿野郎」と言って記者席にお茶をぶっかけた。プライドが高く、短気で、傲慢、孤高の政治家であった。
でもまあ、それもこれも……、もともと政治や経済は、現実的でなまぐさいもの。道徳の時間ではありませぬ。要は、国民のため、国益のため、現実にどういう利益をもたらしてくれるのか、です。いかにお人柄や風貌が聖人・大夫然としていても、無能であっては困るのです。
1年ごとにコロコロ代わって機能しなかった日本の政治が、やっと落ち着き、戦略をもって行動し始めたところである。つまらん非難で足を引っ張るポピュリズムはご免、3年や5年は、気長に待ちましょう、と一人で思っている。
と思っていたら、新聞報道によると、「われ、未だ木鶏たりえず」と、安倍さん、神妙に反省されたとか。吉田茂などより、かなりお上品です。
でも、時に、ヤジをとばす首相、良いと思いますよ。ただし、正確に的を射て、ね。
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