5月28日 (木) 快晴
< オーセールの二つ星ホテル >
今日は、オーセールヘ行く。
3泊したディジョンのホテルは、駅から遠かったが、それでも駅前ホテルを除けば一番駅に近い。駅前ホテルは、旧市街から遠いから、原則、避ける。近代的なホテルではないが、旧市街の入り口にあって落ち着ける宿だった。ディジョンではそれなりに評判のレストランを兼ねていて、結構、忙しそうだったから、3日も泊まって、その間、朝出て、夕方、帰ってくるだけの静かな客は、ありがたい存在だったかもしれない。
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ディジョン発8時29分。途中、乗り換えなしで、オーセールには10時23分に着く。同じブルゴーニュ地方の移動なのに、各駅停車の旅だから、結構、時間がかかる。
それでも、天気が良く、ブルゴーニュの車窓風景を楽しんだ。
( ブルゴーニュの車窓風景 )
オーセールの駅前からタクシーに乗る。
( オーセール駅 )
途中、若い運転手に、ヴェズレーまでの料金を聞き、明朝、ホテルに迎えに来てくれるよう頼んだ。明日は、奮発して、ヴェズレーまでタクシーで行く。
今日の宿は、二つ星だ。ふだんは四つ星クラスに泊まっている。かなり格下だ。旧市街の、ヨンヌ川に近い旧市街のホテルの中から、落ち着けそうなこの宿を選んだ。
この町で近代的な規模と設備をもつホテルは1軒だけで、旧市街のはずれまで行かねばならない。
こうした小さな町の旧市街 (保存地区) のホテルは、個々の建物も小さく、古ぼけて、設備も劣るが、何といっても観光に便利だし、それに、こういう古びた小さいホテルは、ヨーロッパらしい味わいがあっていい。
( ホテルの入り口 )
「ヨーロッパを旅するとき、… 私は基本的に宿については決して大きな期待をもたない。休み、眠ることができれば十分なのである。…… 旅の宿というのは、時の流れにいて時から切り離されたような、孤独で自由で、内省的な空間である」(饗庭孝男『ヨーロッパの四季』から)。
客の乗って来たバイクの向こう、右手の出っ張りの庇がフロントである。英語は全く通じなかった。正面の青いパラソルの先は、ホテルの経営するレストラン。その左手の建物の階段を上がれば客室である。奥まっていて、なかなかいい感じだ。
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< 美しいヨンヌ川の青い空と白い雲 >
チェックインして、まっ先に向かったのは、ヨンヌ川に架かるポール・ベール橋。事前調査では、ここがこの街の最高のビューポイントである。
今、フランスが一番輝く季節。青空と、ヨンヌ川の上の白い雲の群れ。川の水に空が映える。
見た瞬間に、フランス印象派が描いた空がある、と思った。光を愛し、光にこだわった印象派の画家たちが見た空は、こういう空だったに違いない。
日本は湿潤な国だ。梅雨の時期の、雨に煙る緑はしっとりとして、同じ緑でもやわらかなグラデーションに富む。
ヨーロッパの空気は、突き抜けるような透明感があり、ものの輪郭は鮮明で、光と陰の二元論の世界である。
橋から川下を見ている。ヨンヌ川は、ブルゴーニュの平野を北へ向かって流れ、やがてセーヌ川となり、パリを経て、大西洋に注ぐ。
左岸にある大きな建物がサン・テティエンヌ大聖堂。その向こうに小さく見えるのは、サン・ジェルマン修道院。教会が多く、それがオーセールの景観を豊かにしている。
人口は4万2千人。ブルゴーニュ地方の中では、北の方、パリ寄りに位置している。
古来からヨンヌ川を利用した水上交通の町。中世には、サン・ジェルマン修道院や、サン・テティエンヌ大聖堂に参詣する巡礼者でにぎわった。近世になり、パリが大きくなると、不足する暖房用の木材をパリへ運ぶ、水運の拠点の一つになった。
景色を堪能して、右岸を川下の方へ、のんびりと歩いていく。
今日の旅の目的は、素晴らしいこの景色!! 目的は果たした。あとは、付録に過ぎない。
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< 大聖堂のクリプトに残るフレスコ画 >
聖テティエンヌはフランスでの呼び方で、聖ステパノのこと。「使徒行伝」に登場するキリスト教の最初の殉教者である。頑固な性格で、ユダヤ教を批判したため、石打の刑に処せられた。
聖テティエンヌを冠した大聖堂は各地にあるが、オーセールの大聖堂は、13世紀~15世紀にゴシック様式で建てられた。
今まで見学してきたロマネスク様式の大聖堂 (その後、ゴシック様式に改修されていても) と比べると、圧倒的に天井が高く、高い窓にはステンドグラスがきらめいている。
( ゴシック様式の大聖堂 )
( ステンドグラス )
この大聖堂にも、ロマネスク時代のクリプト(地下祭室)があり、その天井に描かれているフレスコ画が有名である。
「白い馬に乗るキリスト」の像。不思議な感覚の絵だった。
( 大聖堂のクリプト )
( 天井のフレスコ画 )
< サン・ジェルマン修道院とリセの生徒たち >
サン・ジェルマン修道院に向かう。
この町も丘の上の町である。紀元前の昔から、ヨーロッパで町は丘の上に造られた。敵の攻撃に絶えず備えていなければならなかったのだろう。町を歩くと、上り道か、下り道かのどちらかになる。しかも、石畳の道はウォーキングシューズでも歩きにくく、こういう街で生活する人は、よほど足腰がたくましい。
聖ジェルマンは、ご当地・オーセールの出身だそう。448年にラヴェンナで没し、ローマ皇帝の命で、遺骸は故郷に運ばれた。そして、小さなクリプトが造られて葬られた。
その場所に、6世紀、ベネディクト会の修道院がつくられ、9世紀にはサンジェルマン修道院になった。
パリにも、サン・ジェルマン・デ・プレ教会がある。今はロマネスクの風貌を残す瀟洒な教会が一つあるだけだが、昔はパリを代表する大きな修道院で、広大な敷地をもっていたらしい。
こちらのサン・ジェルマン聖堂は、今は観光用のためだけに整えられた聖堂で、受付には公務員のような女性がいて、聖堂の中はただ明るく、ガランとして、何百年に渡る人々の生きた証しである信仰のにおいは全く感じられなかった。
聖堂の地下には、小さなクリプトとフレスコ画があるそうだが、ガイドツアーでしか見学できず、予約の必要があるというのでやめた。
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修道院の前の広場の隅に座って、一休みする。心地よいフランスの春だ。歩き疲れ、今日の旅の「目的」も既に成し遂げた。
広場の一角に門があり、奥に美しい建物が見えた。表札を見ると、「リセ・サン・ジェルマン」とある。
( リセ・サン・ジェルマン )
「リセ」は、日本で言えば、旧制中学校(女学校)に相当する。もちろん、男女共学。今の日本の学制で言えば、中学校と高校を併せた中高一貫校に近い。
美しい校舎は、元サン・ジェルマン修道院の敷地と建物の一角を利用したものであろう。日本にも、城址に建つ高校がある。たいてい、名門校だ。
( リセの生徒たち )
ぼんやり座っていると、突然、「こんにちわ」と、遠くから日本語で呼びかけられた。見ると、広場の向こうに、女性の先生2人に引率された20人ほどの男女の生徒たちがいて、皆、こちらを見ている。そういえば、さっきから、あれこれと呼びかけられていたのだ。英語で挨拶を返すと、「こんにちわ」と日本語で声をかけて成功した生徒が、皆の歓声と拍手に囲まれ、うれしそうだった。
英語で二言、三言、生徒たちに向かって話しかけたが、どうも通じない。授業中だから、あまり邪魔しては先生に悪いと思って、立ち上がって、先生に挨拶して、別れた。先生は、綺麗な英語を話した。
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< ニヴェルネ運河 のクルージング >
殉教者の話や聖人の遺骸には、いささか食傷した。
川べりを歩いていたとき見かけた、ヨンヌ川の遊覧船に乗ろう。その方が、開放感があって、何より楽だ。
修道院のある丘から川の方へ下りていった。
川べりは、あちこちに置かれたベンチで、旅人たちが美しい風景を楽しんでいる。本当に美しい町だ。
( ヨンヌ川の川べり )
( 遊覧船の乗り場付近 )
遊覧船に乗って、ガイドの説明を聞くともなく聞いているうちに、気付いた。
川から見る美しい景色をしばらく堪能しようと遊覧船に乗ったのだが、どうやらこの船は「ニヴェルネ運河」を遊覧・見学するための遊覧船のようだ。
キャビンには国籍がばらばらの10名少々の乗客。女性ガイドが、フランス語と英語で説明し、フランス人以外の乗客のテーブルには時々足を運んで、本の写真などを示して、一生懸命説明してくれる。
もらったリーフレットを参考にして、ほとんどわからないが、少しは分かった。
こういうことだ。
ニヴェルネ運河は全長174キロ。ロワール渓谷とセーヌ川を結ぶ。
18、19世紀に、パリの人口が増え、冬、暖炉で焚く薪に不足した。そのため、ロワール渓谷のモルヴァンの森から木材を切り出し、筏に組んで、20日かけてパリへ運んだ。ところが、ヨンヌ川は暴れ川で、筏を流すのに困難があったので、ニヴェルネ運河が切り開かれた。
今はそういう役目も終わったが、森の静寂の中を行くこの運河は、フランスに数ある運河の中でも屈指の美しさを誇り、河川・運河クルーズ愛好家の人気No1のコースになっている。
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遊覧船は、オーセールの街中を抜けるとすぐにヨンヌ川と別れ、水門のあるドックで水位の調整をし、森の中へ入っていった。
昔は曳船用の道だったのか、運河に沿う道を、ウォーキングしたり、ランニングしたり、サイクリングしたり。いかにもヨーロッパらしい人生の楽しみ方をする人たちがいる。森の中には芸術村などもあるようだ。
船は、徒歩でも付いて行けるぐらいのゆったりした速度で進み、時が止まったような1時間半だった。
( ニヴェルネ運河遊覧船から )
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