( カルタジローネのスカーラ )
小雨降る中をバスは走る。
車窓の緑は生き生きと潤い、ブドウ畑が続くかと思えば、オリーブ畑になり、或いはアーモンド畑となって、あちらこちらに赤、黄、白の野の花が咲き、マロニエの木が白い花を付けて小雨に濡れている。
( シチリア内陸部の車窓風景 )
ピアッツァ・アルメリーナは、シチリア島の真ん中あたり、南海岸寄りの内陸部に位置する。そこからさらに西へ6キロのカザーレという小さな集落に、ローマ帝国時代のヴィラ (宏大な農園を伴った別荘) の遺跡がある。世界文化遺産である。
ヴィラが発見されたとき、建造物は埋もれ、ほとんど朽ち果てていたが、大小合わせて40室もある部屋の床面が健在だった。その床の全面に、さまざまなモザイク画が施されていたのである。
ヴィラができたのは帝政晩期の4世紀の初めごろ。ヴィラの主人はマクシミアヌス。
皇帝ディオクレティアヌスは、AD293年、帝国を4つの区域に分け、東西それぞれに正帝と副帝を置いて、侵入する蛮族に即応しようとした。そのとき、西の副帝に任じられたのがマクシミアヌスである。アフリカ出身の軍人皇帝だった。
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見学者は、床よりずっと高い所に張り渡された通路から、床のモザイク画を見下ろしながら見学する。人気の観光スポットだから、狭い見学通路は数珠つなぎだ。 立ち止まって写真を撮っているうちに追いつけなくなったりして、ツアーの一行もばらばらになってしまった。
( 賓客を迎える天蓋の広間 )
( ガレー船 )
( 子供部屋の2頭立て戦車 )
床のモザイク画は人が踏むから、ガラスなど壊れやすい材料は使えない。ゆえに、すべて石の粒であるが、高価な赤や緑の石もふんだんに使われていて、主人の権勢を示しているそうだ。
このヴィラのモザイク画が現代人にこれほどに人気があるのは、下のビキニ姿で運動する娘たちの絵のゆえであろう。
こういう絵を見ると、まるで現代の若い女性を描いているようで、或いは21世紀の人間の感性はローマ時代に戻っていっているのかもしれない。
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再びバスに乗って移動する。
時代はローマ帝国晩期から一気に進んで1693年。シチリアに大地震が起こり、島の南東部の多くの町が壊滅した。
そのとき、折しもバロックの時代で、一人のバロックの建築家が復興の声をあげ、後期バロック様式で統一した町づくりが進められた。
こうして生まれ変わった町々が、これから見学するカルタジローネ、今夜宿泊するラグーザ、パレルモとともに空港のある東部の中心都市カターニアである。大地震からバロック様式で復興した町として、一括して世界遺産に認定されている。
これから行くカルタジローネは、バロックの街並みとともに、イスラム時代に伝えられ、町の産業となっている陶器づくりでも有名である。
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( カルタジローネの町 )
ここもまた丘の上の町だった。
バスを降り、最近、ヨーロッパの観光で、どこの町でもよく見かけるようになったミニ・トレインに乗って、ざっと町を巡る。
公園の塀が陶器で飾られていたり、バロックらしい装飾的な建物もある。
しかし、バロックの町と言えば、やはりローマ。
例えば、古代の戦車競技場の跡を派手なバロック様式の建物で囲み、豪華な噴水などを配したナヴォーナ広場や、背景の壁の全面を劇的なギリシャ神話の彫刻で飾ったトレヴィの泉などと比べると、申し訳ないが、こちらは貧弱である。
この町の見どころはスカーラである。
市庁舎広場からサンタ・マリア・デル・モンテ教会まで、一直線に伸びる142段の大階段。広場から花で飾られたこの階段を見上げたときは、だれしもが 「綺麗!」と絶句する。ローマのスペイン階段の劇的な趣とは違って、しかし、美しい。
( スカーラ )
階段に置かれているゼラニウムの赤い花も、階段に彩を添えるマヨルカ焼の装飾も美しい。
階段の途中には、両サイドにオシャレなショップが並ぶ。
( 階段の途中のショップ )
そして、階段を登りきると、サンタ・マリア・デル・モンテ教会があり、その中も洗練されているが、それよりも階段の上からの町の眺めが好かった。
( 階段の上からの眺め )
もう一度階段を下りて、市庁舎のカフェでコーヒーを飲む。
そして、再びバスに乗って、今夜の宿泊地ラグーサへ向かった。( 続く )
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