ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

ザッケローニを超えて … FIFAワールドカップ・ブラジル大会から

2014年07月08日 | 随想…スポーツ

 決勝トーナメントのアルゼンチン戦で、延長戦の激闘の末、1対0で敗れたスイスのヒッツフェルト監督の言葉。

  「監督としてこれ以上ない経験ができた。もう十分。これからは静かに暮らしたい」。

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 わがザッケローニ監督のインタビュー : 

 (監督自身の今後について聞かれて、「未定」と答えたあと)、「サッカーへの情熱が尽きることはない。だが、引退という選択もある」。

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 自分がそこにあることを誇りとし、自分のこれまでの人生の大半をかけてきた舞台から去るという決断は、サッカー以上に難しい。

 心の隅を、敗れて消えていく無念の思いもよぎる。

 しかし、引退して初めて、自分に別の生きがいもあったことに気付かされることもある。

 限りなく、日本人に体型の似たザッケローニの、第二の人生が心豊かなものであらんことを祈る。

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 日本が予選で敗退したことについて、非難や怒りの声がある。

 非難、怒りではないが、多くのファンも、それに、選手たちや監督さえも、落胆した。もっとやれると思っていたからだ。

 しかし、グループCのこの5月の世界ランキングは、コロンビア5位、ギリシャ10位、コードボアジール16位に対して、日本は46位。ダントツの最下位である。

 1位のスペインが予選リーグを敗退したのだから、逆に46位の日本が勝ち上がる可能性もなかったわけではない。

 しかし、まずは、順当な結果であって、残念であるが、非難や怒りをぶつけるのは、おかしい。

 自分勝手にふくらませた「過剰な期待」の裏返しが、非難や怒りである。

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 そもそも、「過剰な期待」は、2010年の南アフリカ大会予選リーグで、カメルーンとデンマークに勝ち、オランダには負けたが2勝1敗で、予選リーグを突破したことにある。

 それで、今度はもっと上へ、ベスト4を目指して、いや優勝を目指して、となった。

 ベスト4とか優勝というのは一部の選手の思い上がった目標であって、もちろん日本サッカー協会や監督の「公約」ではない。

 サッカーファンなら、思い出してみよう。4年前、南アフリカ大会の予選リーグ3試合で、日本は4得点を挙げた。本田が2点、遠藤が1点、岡崎が1点である。

 今大会では、本田と岡崎が1点ずつ。

 その差の2点は ……?

 その2点は、本田と遠藤の目の覚めるような鮮やかなフリーキックの競演による2点だ。

 今大会でも、同じような距離からのフリーキックの場面があった。が、本田も、遠藤も失敗した。

 彼らを責めているのではない。 2010年大会のあのフリーキックは、再現するのが難しい、奇跡のキックだったということである。

 主力選手のキックが2本も神業のように決まったから、勢いに乗って、日本は予選リーグを突破した。

 今大会、確かに日本チームは不甲斐なかったが、奇跡を実力と勘違いして、期待過多になってはいけない。

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 話は変わる。

 外国のラグビーチームと戦えば、大人と子供のような点差で負けていた日本のラグビーが、少しずつ強くなってきている。ニュージーランドから、エディー・ジョーンズヘッドコーチを迎えてからだ。

 並大抵の人ではない。ラグビーのワールドカップで、ニュージーランド代表監督として準優勝し、さらに、南アフリカを率いて、優勝した。ラグビー界の超大物。世界の名将である。

 彼は言う。「ラグビーとは、こうこうである」と、自分のラグビー観を振りかざして乗り込んでくるような監督を私は否定する。そういう監督は、うまくいかないとき、その原因を選手の質のせいにする。だいたい、これがラグビーだ、などというものは、ない。日本が強くなるためには、日本人に合った日本のラグビーを新しく創造していくしかないのだ。

 彼は、日本にやってくると、3人の監督を訪問して、話を聞いた。

 1人目は、女子バレーボール全日本監督の真鍋氏。オリンピックで一度も勝ったことのない、いや1セットも取ったことのない中国チームを初めて破って、日本女子を3位に押し上げた。

 高さとパワーの中国に勝つには、素早さ(俊敏さ)とチームプレーで勝負するしかない。レシーブ→トス→アタックの時間を、コンマ何秒か短縮したフォーメーションをつくって、大柄で鈍重な中国チームの態勢がわずかに整わない前にアタックをかける。

 心を一つにした激しいフォーメーションづくりの練習があったが、本番では中国と死闘を繰り広げ、フルセット戦って、ついに勝った。

 2人目は、プロ野球の原監督。

 言うまでもなく、ワールド・ベースボール・クラッシックで「スモール・ベースボール」を掲げて、世界の強豪国を倒し優勝した。

 ホームランバッターは不要。単打、バント、犠打、盗塁 … の細かい野球を展開して、勝つ。高校野球でやっている、あれだ。 日本の野球文化はここにある。根底には、フォア・ザ・チームの精神。

 3人目は、サッカー女子の日本代表監督、佐々木氏。なにしろ、ワールドカップで優勝して日本も世界もあっと言わせ、さらにオリンピックでも銀メダルに輝いた。

 佐々木監督が目指すサッカーは、スピードとパワーの外国チームに対して、俊敏性とチームの連動性で勝つサッカーである。

 それは日本女子の代表チームの目指すサッカーであるばかりでなく、U17女子チームの目指すサッカーであり、ワールドカップ男子日本代表の目指すサッカーでもある。すなわち、日本サッカー協会の基本的な方向なのである。

 エディー・ジョーンズヘッドコーチが訪ねた相手はいずれもクール・ジャパンであり、競技種目は違うが、みんな基本的に同じ方向に向かって、結果を出していたのである。

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 この4月、U17女子サッカーワールドカップで、高倉麻子監督率いる日本チームが優勝した。

 大会を通じて、日本チームが取った得点は23点。失点はわずかに1点。イエローカードは3枚のみ。クリーンで清々しく、圧勝である。

 メンバーの半数が1m50台の小柄な選手。日本サッカー協会が追求してきた俊敏性とチームの連動性のサッカーが、ここでも花を開いた。

 高さやパワーがあっても、俊敏性のない選手は、日本代表チームでは使わない。チームの動きに付いてこれないからだ。

 女子ワールドカップで優勝したとき、アメリカの監督から、「日本の選手のパスは次の人を輝かせるパスだね」と褒められたそうだ。が、日本が目指しているチームプレーとは、ボールを持っている選手のプレー(この場合、パスを出す)のことではない。

 高倉監督は、試合形式の練習をしばしば止めて、ボールを持っていない選手1人1人の動きについて、なぜ、そちらに走ったのか? なぜ、敵のこの選手から離れたのか? などと選手に問い、指導する。

 1人1人の身体能力の高さ、また、幼いころから身に付いた技術の高さ、その点では、ヨーロッパの選手や南米の選手にかなわない。(それでも、追いつくよう努力するのは言うまでもない)。しかし、その技術は、「マイボールを扱う技術」である。あくまで「オレが、オレが」の世界である。日本では、ボールを持っていない選手が、次、自分はどう動いて、チームの連動性に貢献するかを常に考え、仲間とチームを生かす技術を学んでいるのだ。

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 男子でも女子でも、U17でも日本代表でも、日本のサッカーが追求し、目指している方向ははっきりしている。日本は日本のサッカーを創造する。

 低レベルの組織によくある、監督(社長、病院長、校長など)が変わるごとに、「新監督」に「丸投げ」し、組織の方向性が「新監督」の考えで一変するというようなことは、日本サッカー協会にはない。

 なぜなら、外国人監督を呼んできても、協会の体制がしっかりしているから、方向性がブレるようなことはない。この方向性だけはきっちり守ってもらう。そのうえで、プラスアルファを期待する。

         ★

 ドーハの悲劇が1993年。日本は連続9回も、アジア予選を勝ち抜けなかった。全盛期のカズもワールドカップに行くことができなかった。そのレベルだったのだ。

 そういう時代を経て、今日がある。今は、順当なら、アジア予選は勝ち抜ける。

 しかし、ワールドカップで、予選リーグを勝ち上がることが順当になるには、もう少し時間がかかる。しかし、日本が16チームに入るのは順当だと思われる時代も、いずれくるだろう。そのとき、日本のサッカーは世界からリスペクトされるようになっている。

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 ザッケローニ監督の引退インタビューから。

 「昨日のコロンビア戦に関して、データを見ると、ボール支配率やシュート、攻撃回数、CK、FK、パスの成功率のいずれも相手を上回っている。にもかかわらず、試合は4対1で負けている。すべての面で上回っているのに、4対1で負ける。何かが足りない。

 足りないものを新しい監督が埋めてくれる。このチームをさらに強くしてくれる。その時期(監督交代の時期)が来たのだ」。

 これだけは、確かだ。

 FIFAランク5位のコロンビアに、ワールドカップという場面で、ボール支配率も、シュート・攻撃回数も、CK、FKも、パスの成功率も、すべてで勝っているなどということは、前大会までは考えられなかったことだ。 (了)

 


 

[ ネイマール負傷事件について ]

 南米対決。ブラジル対コロンビア。

 90分間に渡って、終始、暴行が行われた。特に、コロンビアの反則はひどかった。

 レフェリーは、試合の開始直後から、勇気をもって、もっと厳しくファールを取るべきであった。特に、後ろからのアタックに対しては、「危険なプレー」として、全てに、断固として、イエローを出すべきだった。90分間に渡るレフェリーの甘さが、最後に、ネイマールの骨折事件という犠牲者を出した。

 コロンビアの選手は、最初から最後まで、明らかにネイマールをねらっていた。ボールの方向にではなく、小柄なネイマールに向かって、露骨にアタックする選手もいた。

 最も上手い選手は、サッカー界の宝であろう。その選手を、試合中に暴行でつぶす競技が、サッカーというスポーツなのか? コロンビアは、恥を知るべきだ。

 ワールドカップという最高の場である。世界最高の華麗なプレーを期待して観ているのであって、汚い格闘技の「技」を観戦しているのではない。

 事故の場面について言えば、加害者は「わざとではない。謝まりたい」と言っているようだが、わざとでない、というのは、ボールに向かっていて、ネイマールに気付かなかったとしうことか?あの場面で、ボールの下にいるネイマールに気付かなかったとしたら、素人以下である。それに、目はボールを見ていない。無防備なネイマールの背中を見て、突っ込んでいる。ネイマールの背中を目がけて、膝打ちで跳びこんだ。意図的に負傷させた。下手をしたら、再起不能だった。

 繰り返すが、ゲームの最初から、ネイマール事件のあった終盤まで、ネイマールに対してだけでなく、終始、後ろからアタックをかけ、蹴りを入れるという暴行が行われていた。それを許し続けたレフェリーの責任は大である。                           

  

 


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