ライトアップされたトレヴィの泉
夜、宮殿を抜け出し、この泉の前のベンチで眠ってしまった王女を、通りかかったアメリカ人の新聞記者が助ける。オードリー・ヘップバーンとグレゴリー・ペックの出会いのシーンはここ。
映画『ローマの休日』では、夜のトレヴィの泉のあたりは人通りがほとんどなく、うら若い女性をほおっておけなかった。
今は、夜でも観光客で大変な賑わいだ。
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<スペイン階段と『ローマの休日』>
地下鉄で、ポポロ広場からスペイン広場へやって来た。
スペイン階段は、世界からやってきた若者たちで占領されている。みんな心から楽しそうだ。
アイスクリームを片手に映画の中の王女のように階段を降りてみたい、そう思ってやってきたオシャレな若い女性も、これだけ人で埋まっていたらちょっとムリ。それに、ここでは、その類の飲食は禁じられてしまった。
映画『ローマの休日』は1953年の作品。70年近くも前の白黒映画。
実は今回のイタリア旅行の前に、ヴェネツィアを舞台にした『旅情』と、ローマを舞台にした『ローマの休日』をもう一度観た。
オードリー・ヘップバーンは映像の中で今も輝き、新鮮で美しい。相手役のグレゴリー・ペックはずっと「大根役者」の評が付いて回ったが、『ローマの休日』のヘップバーンの相手役は彼しかいないと改めて思った。
ふと、ここにいる若者たちは、あの映画を観て、感動して、ここにやって来たのだろうか?? と思った。もしかしたら私の勝手な思いで、『ローマの休日』もまた歴史の彼方なのかもしれない。
(スペイン階段)
スペイン階段は18世紀の初めに造られたそうだ。それ以前は崖だった。階段が造られることによって、丘の上の2つの塔をもつトリニタ・ディ・モンテ教会とスペイン広場が一幅の絵になった。
写真に小さな噴水口が写っている。周囲に水が湛えられているが、「バルカッチャの泉」と呼ばれている。残念ながら泉の全体を撮影しなかった。
泉を制作したのはピエトロ・ベルニーニ。スペイン階段より1世紀ほど前、教皇ウルバヌス8世の依頼を受けて、制作した。
紅山雪夫さんの『イタリアものしり紀行』によると、「バルカッチャ」とは、破船のこと。石造りの水盤は船の形をしていて、舳(ヘサキ)と艫(トモ)の部分を出し、中心部が水没している。その水没した水の中に、この噴水口がある。まことに奇抜な構図である。
現代のローマは日本と同じように水道水が各家庭に送られている。ただし、慣れない日本人は生で飲まない方がいいらしい。水道水が各家庭に送られるようになったのは、近代になってからだ。それまでは日本でも井戸水や川の水が使われていた。
この泉の水は、BC1世紀、初代ローマ皇帝アウグストゥスのとき、ローマ市民の飲料として、野を越え川を越えて20㌔先から引いてきた。その水道は「乙女の水道」と呼ばれ、「バルカッチャの泉」だけでなく、「トレヴィの泉」も、ナヴォーナ広場の「四大河の泉」も、「乙女の水道」の水を引いた泉である。
その泉が17、8世紀に、このように飾られ、街の装飾となった。
だが、17、8世紀の時代にも、これらの泉は地域の人々の大切な飲み水であり、生活用水として使われていたのだ。ローマは滅亡しても、水道を残した。
いや、過去形ではない。塩野七生さんのエッセイを読んでいると、古代ローマの下水道は、今もローマの下水道として使われていると書いてあった。
ところで、この泉の制作者のピエトロは、教皇に制作を依頼されたときに困った。「乙女の水道」と、この場所との高低差がほとんどなく、モーターのない時代、高低差がないと噴水の形にならないからだ。
そこでピエトロは、広場の地面を掘り下げて少しでも落差が増えるようにし、舟がそこに半ば沈んでいるという奇抜な形の泉を考え出したのだ。
それにしても、バロックらしい奇抜な発想である。
以上は、紅山雪夫さんの『イタリアものしり紀行』からの要約である。紅山さんの文章は雑多な知識の断片の提供ではなく、また、奇を衒った話の紹介でもなく、ローマやイタリアの歴史を重層的に感じさせてくれる。本当のもの識りの書いた本だと感心する。
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<スリにねらわれる>
アメリカ大使館やブランド・ショップが並ぶ華やかなヴェネト通りの「カフェ・ド・パリ」のテラス席で休憩した。
このカフェは、イタリアの上流社会を描いた映画『甘い生活』の舞台(ロケ地)として使われた。テーブルクロスが本格的で、グラスワインも上等でよく冷え、歩き疲れた身体にしみとおった。もちろん席に着く前に値段は見た。
共和国広場まで1駅だが、地下鉄に乗った。
ホームに入ってきた車両は混んでいて、何とかドアの中に入り込んだ。そのとき、若い女たちが3人、走ってきて、後ろから強引に乗り込んできた。発車してしばらくすると、前に密着して立った3人組のうちの1人の女の指がコートの胸の辺りに触ってきた。その手をピシッと叩いたら、手を出さなくなった。乗客をはさんで向こう向きに立つ女は、肩からかけた白布で赤ちゃんに見立てた箱を抱いている。「赤ちゃん」の下から手を伸ばすのだ。「私はスリです」という制服のような格好だ。
満員の車両に強引に後ろから乗り込んできたのは、日本人と見たからだろう。 カモと思ったのだ。だが、ローマの地下鉄で、内ポケットに財布を入れたりしない。
日が暮れてきた。ホテルに帰ってひと休みしようと、共和国広場からタクシーに乗った。タクシーはモンテチトーリオ広場に入れないから、手前で降ろされる。
気軽に降りたが、自分が広場の東西南北のどこにいるのかわからなかった。この界隈は賑やかな路地が錯綜して、どこも同じように見える。
カンで歩き始めたが迷いに迷い、テヴェレ川に出て、やっと自分の位置がわかった。異郷の旅は、誠に疲れる。
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<バロック様式のトレヴィの泉>
ホテルでひと休みしたあと、夕食を食べるためにホテルを出た。
途中、ライトアップされたトレヴィの泉に寄る。
夜になっても観光客で賑わって、泉に近づけないほどだった。
(トレヴィの泉)
上の写真の、泉の後ろは宮殿。その壁面も利用した、巨大で劇的なバロック様式の彫刻だ。
海神ネプチューン(ポセイドン)が、海馬の引く貝殻の戦車に乗って、今、建物から走り出ようというシーン。左右に立つのは豊穣の女神と健康の女神。左の海馬は横向きに狂奔。右の海馬は前に向かって駆け、クツワを取るトリトーネ(ネプチューンの息子)はほら貝を吹き鳴らしている。
全てがばらばらだ。噴水の形も、円とか四角ではなく、湾曲し、のたうっている。
ローマ帝国の滅亡後、「蛮族の侵入」によってローマの街は破壊され、千年の時が流れた。
今、私たちが見るローマの街並みは、中世の荒廃の後、ルネッサンスの時代からバロックの時代に再開発され、飾られていった街並である。その意味で、ローマの街はヴェネツィアやフィレンツェよりもやや新しい。
この泉は、バロックの大家ベルニーニが残したデザインに基づき、18世紀になって、コンクールで抜擢された無名の新人が完成させた。
バロックとは何だろう?? というときは、紅山雪夫さんの『ヨーロッパものしり紀行』の『建築・美術工芸編』を見る。
「バロックの語源はポルトガル語のbarroca(歪んだ真珠)だろうと考えられている。ルネッサンス式の『整然と調和のとれた美しさ』が飽きられたとき、『わざと調和を乱し、激しい動きを表し、見る者に動的な訴えかけをしよう』として出現したのがバロック式だ」。
確かに、ルネッサンスの建築物は整然として幾何学的で、我々日本人の目にももの足りなさを感じることがある。ただ、日本人がルネッサンス建築にもの足りなさを感じる感性は、バロックの美術家とは相当に違うと思う。
たぶん、西洋人は幾何学的な図形に「創造主の意志」を感じる。しかし、日本人はそれを「人工的」と感じる。草や木や山や川に幾何学があるだろうか?? 神々は「自然」の中に存し、日本人はほのかにでも自然や四季を感じさせるものに美を感じる。
バロック式は、ルネッサンス様式以上に「人工的」だ。私には、バロックは、ルネッサンスのある面を強調していった結果に思える。
ともかく、バロック式はルネッサンスに続いてイタリアに現れ、17世紀に本格的に開花した。そのあと西ヨーロッパ全域に広がる。ドイツの教会を訪ねると、バロック様式が多い。
だが、「18世紀の後半になると……『バロック式は余りに仰々しく、悪趣味で、品がない。もっと典雅な、古典的な美しさに返るべきだ』という考え方が、フランスで主流を占めるようになり、クラッシック式が起こったのである。クラッシック式は、ある意味ではルネッサンス式の復活であった」。
紅山さんの説明は本当によくわかる
さて、前回の旅でトレヴィの泉で後ろ向きにコインを投げたお陰で、今回、またローマにやってくることができた。
今回もコインを投げたが、大勢の人々の後ろから人に当たらないように投げるのは難しい。後ろ向きに投げるのはムリだった。ローマ訪問は今回で終わりかもしれない??
しかし、私は神社仏閣には参詣するが、この種の縁起はかつがない。ヨーロッパを旅していると、ヨーロッパ人は至る所にこういう縁起かつぎの場所がある。一神教の世界と思えない。日本人のおみくじ好きにどこか通じて面白い。
すでに9時になった。路地を歩いて、入りやすそうなレストランを探した。
(ホテル近くの路地)
上の写真の通りの左側は、レストランのテラス席。夜になり冷え込むので、ストーブ(バーナー)を焚いて暖をとっている。みんな、暖房のきいた室内より、少々冷えてもテラス席を好む。それは私も同じだ。
まだ宵の口という感じで賑わっているテラス席で食事をとった。陽気なお兄さんが注文を聞き、料理を運んできた。
生ハムをはさんだメロンとワインが、美味しかった。パスタも最高に旨かった。
(ホテルの前のモンテチトーリ広場)
明日は、「古代ローマ」の面影を求めてローマの街を歩く予定だ。
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