(ライトアップされたポポロ広場)
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<ローマのミニバス>
サン・ピエトロ大聖堂の見学の後、広場の横のバス停からミニバスに乗って、ホテルの近くのサン・シルヴェストロ広場まで帰った。ローマ3日目にして、やっとミニバスを乗りこなせた。
ローマの初日にローマのタクシーに驚かされたが、ミニバスはもっとすごかった。ミニとはいえバスだから、タクシーより図体は大きい。それが、ショップやレストランが並び、人通りの多い路地から路地を走り抜けた。
今回のイタリア旅行で驚いたことの第1位は路地を疾走するローマのミニバス。第2位は同じくローマのタクシー。
ホテルに戻ってひと休みした。疲れた。
(ローマのショーウィンドウ)
ホテルの部屋の窓から、下の路地の商店街を見下ろせる。一番近くの店は女性用下着の店だった。イタリアはセクシーなのだ。今シーズンは紫いろが流行らしい。
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<ポポロ広場へ >
午後遅くホテルを出て、コルソ通りで軽い昼食をとり、ローマの初日にデモで埋まって見学できなかったポポロ広場へ向かった。サン・シルヴェストロ広場からミニバスに乗る。
ヴェネト通りの北でバスを降りて、ローマ帝国時代の城壁門のピンチアーナ門の辺りをちょっと歩いてみた。
AD3世紀の後半に、蛮族の侵入に備えて19㎞に及ぶアウレリアヌスの城壁が巡らされた。ピンチアーナ門はその城門の一つで、1700年以上を経た今も、古びてはいるが堂々とそびえていた。
門の北はボルゲーゼ公園。ボルゲーゼ家はローマの名門貴族だった。公園を奥まで行けばボルゲーゼ美術館がある。だが、今回は無視。手が回らない。
再びミニバスに乗り、ポポロ広場へ向かった。
やって来たミニバスは混んでいた。
満員の車内の前に立つおじさんの手が上着のポケットの辺りに触れてきた。人の好さそうなおじさんだが。どうも仲間らしい男もいる。
次のバス停で素早く下車し、バス停一駅だから歩いて広場へ向かった。
ローマはふつうの古都ではない。世界中から観光客を集める世界のローマだ。結果として、両腕を広げ、スリたちも迎えて抱擁する。
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<永遠の都ローマ>
デモで埋まっていた一昨日と違い、今日のポポロ広場はいかにもローマの広場らしいたたずまい。敷きつめられた石畳も周囲の建物もすでに日陰になっていたが、見上げる空はなお明るい。ヨーロッパの夕刻の空の色は本当に美しい。
広場の北側のポポロ門はローマ市の北の入口。ここを出れば古代ローマ時代、フラミニア街道が始まった。
広場の南側にはやや小ぶりの双子のような教会がある。オシャレで、絵のようだ。
(双子の教会)
この双子の教会の間から、フラミニア街道を引き継ぐコルソ通りが、ローマ市の中を南へと延びている。
北側のポポロ門に隣接して、サンタ・マリア・デル・ポポロ教会がある。映画『天使と悪魔』の舞台の1つになった。
サン・ピエトロ大聖堂などと比べると小さな教会だが、中へ入ってみた。
「ポポロ」は市民の意。11世紀にこの聖堂を建てるとき、この辺りの住民が建設費を出し合ったそうだ。
(主祭壇の絵)
主祭壇の絵はイコン風で、「マドンナ・デル・ポポロ」(市民のマドンナ)。名前がいい。
聖堂を出ると、夕日はローマの西に沈んでいた。広場の横のピンチョの丘の途中まで上がってみる。急いで上ったので、息が切れた。旅の疲れがたまっている。
丘の中腹からライトアップされたポポロ広場を見下ろすことができた。
その向こうにサン・ピエトロ大聖堂の青いクーポラも見える。ちょっと遠いが、良く見えた。
(遠くにミケランジェロのクーポラ)
今回のローマで、幾つかの高所からローマ市街を眺望した。
ここもその一つだが、その中では、サンタンジェロ城からの眺望が一番良かったように思う。
「花の都」はパリ。「音楽の都」はウイーン。ローマは、「永遠の都ローマ」と形容されるそうだ。
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<モンテチトーリオ広場のホテル>
ミニバスでコルソ通りのコロンナ広場まで帰り、旅の終わりに一昨日の賑やかなレストランでよく冷えたワインを飲んだ。生ハムをはさんだメロンが美味しい。口髭の陽気なウエイターは、生きていることを楽しんでいるという感じだった。
(モンテチトーリオ広場の下院)
ホテルの前のモンテチトーリオ広場も、地味だが風情のある広場だ。広場に面してイタリア議会の下院の建物があるので、ホテルの前の治安は誠に良い。ただし、そのためにタクシーは入れない。ホテルのフロントのお兄さんもお姉さんも、明るくて感じが良かった。
ユーラシア大陸の東の果てから遥々とやって来た異国の旅人にとって、ホテルの良し悪しの半分はフロント係の態度・雰囲気で決まる。冷たい感じの人、イライラして怒りっぽい人が、たまにいる。そういうフロント係がいると、ホテルのオーナーの能力を疑いたくなる。
明るい雰囲気の人、優しく丁寧な人、何といっても笑顔のステキな人、てきぱきして良い意味でビジネスライクな人に出会うとうれしい。
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3月16日。
ホテルのフロントに頼んでおいたタクシーで、朝、フィウミチーノ空港へ。感じの良い運転手だった。ローマの3日間で、ローマのタクシーのイメージが少し変わった。ガイドブックの記述がいつも正しいとは限らない。国も、都市も、世界から観光客を迎えることができるよう、それぞれに日々努力をし、変化していく。
ルフトハンザ航空でヨーロッパ・アルプスを越えて、フランクフルトへ。
フランクフルト空港で、乗り継ぎのために関空行の搭乗ホールに行くと、急に日本人ばかりになった。
ここはほとんど日本だ。帰って来たなという気がした。
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<スタンダール症候群>
帰国してずっと後のことだが、ウイキペディアの「サン・ピエトロ大聖堂」の項を読んでいたら、こんな文章に出くわして、思わず笑ってしまった。わかるぅ。
「サン・ピエトロ大聖堂を含むイタリアを訪れた観光客がかかる『スタンダール症候群』という病気を、1979年にフィレンツェの精神科医師ガジェッラ・マゲリーニが指摘した。
これは、膨大な芸術作品群をできる限り多く見て回ろうとする強迫観念が、観光を楽しむ余裕を奪い、頭痛などの症状を発するものである。(以下略)」
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イタリア旅行に出かけようとガイドブックを見ていると、各地に、歴史も、見どころも、魅力もある、ローカルな小都市がいくらでもある。今回の旅ではアッシジを訪ねただけだった。
中都市のヴェネツィアやフィレンツェはイタリア旅行の華だが、3日や4日ではとても見て回れないほど多くの見どころがある。街そのものの雰囲気がいい。
饗庭孝男氏が「短くとも長くとも一つの町の滞在は、『見る』という可視的な行為であるとともに、その町の歴史や過去を、可視的なものを通して想像することでもある。そしてつまるところそれは自分に戻ってくる」(『ヨーロッパの四季1』)と書いているが、「その町の歴史や過去を、可視的なものを通して想像する」には、ヴェネツィアもフィレンツェも、しばらくの間暮らすように過ごしてみるのが一番なのだろう。或いは、何度も訪問する。
ヨーロッパ旅行をはじめた頃、思い入れがあり、何度かヴェネツィアを訪ねた。今回のブログの初めの数回は、そういうヴェネツィアの旅の思い出を書くのに費やしてしまった。今、思えば、ヴェネツィアだけで1まとまりのブログにしても良かった。
大都市ローマはルネッサンスからバロックの時代に再生した街だ。だが、その下には古代ローマという分厚い古層がある。さらに、その少し上には、初期キリスト教の歴史を残す古い聖堂が残る。
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そういうわけで、真面目な性格の人が本気でイタリア旅行に出発して、スタンダール症候群にかかるのはよくわかる。
しかしながら、思うに自分はどうもスタンダール症候群にはかかりそうにない。
旅の計画を立てるとき、例えばフィレンツェを日程に組み入れるとすると、これが見たい!! というフィレンツェの目標を1つに絞る。それに、プラスアルファとして2つか3つを加える。
目標である1つを見学することができたら、フィレンツェ見学はもう60点を獲得だ。60点は合格点である。あとはカフェでコーヒーを飲んでいてもいい。プラスアルファも見学できたら100点満点だ。さらにプラスして、何かを見たり経験できたら100点越えである。
だから、たいてい100点越えする。
減点方式ではなく、加点式である。
旅は本来、加点式である。私のような人間にとって、旅に出ること自体が、人生の幸せである。
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<終わりに>
この旅は、2010年3月の旅で、出発してから帰国するまで10日間の旅だった。それでも雪のヴェネツィアから始まり、春めいたローマへと季節も変化した。
コロナ禍のもと、昔の旅を記録に残しておこうと思い、軽い気持ちで第1回を投稿したのが2020年10月4日。今回の最終回が19回目で、2021年のもう6月である。
自分でも、よくもまあ延々と書いたものだとあきれる。
読んで(眺めて)いただいた皆様、本当にありがとうございました。
しかし、このブログは ── ちょっとひと息入れた後 ── テーマを改めてまだまだ続きます。
とりあえずワクチンを2回接種する日までは、コロナを上手にかいくぐり、笑顔で生きて行きましょう。
コロナは風邪ではありませんが、ペストでもありません。
お昼のワイドショウやネットの世界は、人々の不安感、怒りの感情に火を付け、煽っていますね。その方が視聴率が増え、それが広告収入につながるからでしょう。人々はだんだんとネクラになり、怒りっぽくなり、鬱になっていきます。
どうかコロナ及びコロナ症候群にならないよう、心の健康にも気を付けてください。笑顔で乗り切りましょう。
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