( 「宗教改革記念碑」。左から2人目の長身がカルヴィン )
第2日。5月24日(日)晴れ。
今日は、まだフランスには入らない。
せっかくスイスにやってきたのだから、一日、レマン湖畔を散策し、今夜は、レマン湖の北岸の都市ローザンヌに泊まる。ローザンヌは、ブルゴーニュ地方の中心都市・ディジョン行きのTGBの出発駅である。
本日の予定。ジュネーブは20年前に観光しているので、見学は午前中に切り上げて、鈍行列車で50分のローザンヌへ向かう。ホテルに荷物を預けて、ローザンヌ旧市街を見学。
その後、遊覧船で30分のQullyという村に行って、世界遺産のラヴォー地区を散策する。ラヴォー地区はスイスを代表する質の良いブドウの産地で、その段々畑が世界遺産に認定された。世界遺産になったから、美しいレマン湖を見下ろすブドウ畑の散策を楽しむツアーでにぎわうようになった。
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スイスは、日本の四国に似た形をした小国である。国土の東側の3分の2を占める周囲には、北にドイツ、東にオーストリア、南にイタリアがある。
西側の3分の1は、フランス領に突っ込んだ形になっていて、三方をフランスに囲まれている。
スイスアルプスのローヌ氷河から流れ出た水はローヌ川となり、レマン湖の東端に流れ込む。レマン湖は東西に細長い三日月形の湖で、氷河の水は湖の西端から、再びローヌ川となってに流れ出る。流れ出てすぐにフランス国となり、リヨンで折れて南下。最後は地中海に流れ込んでいる。
そのレマン湖の西端にあるジュネーブは、町の北、西、南をフランスに取り囲まれた、スイス国の最西端の国境の町だ。
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20年前の研修旅行の折には、ドイツのフランクフルトから飛行機でジュネーブに入った。
初めに観光バスの中からジュネーブ市内を見学した。町のはずれの巨木の森に囲まれた国際連合ヨーロッパ本部や、国際赤十字の本部は、「瀟洒」という言葉がぴったりの雰囲気があり、ここにヨーロッパがある、と感じた。
バスで一巡したあと、ジュネーブ在住の日本人ガイドの女性に案内され、旧市街を歩いた。見るほどのものはないこじんまりした街だが、「清楚」な町という印象が残った。
そのあと、自由時間に、ファッション店「ボン・ジェニ」に入った。エスカレータで階上へと上がっていたとき、はっとするほどの美女とすれ違った。マネキン人形のように美しく、繊細で、絵に描いたような「西洋の美女」であった。そういう人が現実にいることに感心した。
ジュネーブの街並みからも、道行く人々からも、それまで1週間滞在したドイツとの違いをはっきりと感じた。
ドイツの街並みや田園風景は、一言で言い表せばメルヘンチック。
赤い屋根に白い壁、出窓のある家々は、童話の世界に迷い込んだようだ。観光バスの車窓から見る秋の森はすっかり黄色になり、落ち葉がうず高く散り積もっていた。人々は男も女も大柄で、がっしりしていて、土の香りがするようだった。
ディズニーはドイツ系の人で、世界のどこよりもドイツにディズニーランドをつくりたかったが、市場調査をしてあきらめたらしい。ドイツの高校生や大学生は長期休暇になると、大きなリュックを担いでワンダーフォーゲル (放浪の旅) に出かける。ビジネスマンは休暇になると、アウトバーンをブッ飛ばして田舎に行き、森の中を散策し、キノコ狩りを楽しむ。ドイツ人は人ごみの遊園地に行かないし、部長や重役になっても、ゴルフのような遊びはしない。
( ローテンブルグの街並み )
( 車窓から。ドイツの田園の小さな教会 )
それに比べてスイスのジュネーブは、空気はあくまで透明で、木々も野の花も輪郭がくっきりしていて、高原の町の透き通ったような清潔感があった。街並みは瀟洒で、清楚だが、ドイツのような野趣はなく、どこか人工的な美しさを感じさせた。道行く人々、特に女性は、相対的に小柄で、ほっそりしていて、都会的に洗練されていて、ここがフランス文化圏であることを実感させた。
島国・日本に育った私には、それらの全てが面白く、感動的で、旅の興趣は尽きなかった。
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だが、スイスを語るのに触れないわけにはいかないことが、もう一つある。スイスが永世中立国であるということ。あの大戦を経験した戦後の日本人にとって、それは、高原らしいロマンチックな風景とともに、夢のように美しい憧憬であった。
しかし …… 以前、あるミッション系の大学の女性教員と親しく雑談していたとき、たまたま話題が日本の小・中・高校における国旗掲揚・国歌演奏 (斉唱) の「強制」に及んだ。彼女は言った、「スイスのような国の国旗や国歌なら、自然に掲揚し、喜んで歌うことができるんでしょうけどね…」。議論はしたくなかったが、「スイスの歴史と文化とそれを育んできた人々を素晴らしいと思うのと同じくらいに、私は日本の歴史と文化とそれを育んできた人々の暮らしを素晴らしいと思っています。ですから、日本の国旗・国歌を大切にしようと思っています。それに、スイスが永世中立国であるということについて、その中身を知らず、少女のようにロマンチックな思い込みをしているのではありませんか?」と言った。
「永世中立国・スイス」については、この連載の中で、稿を新たにして書きたい。
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さて、旅の記録に戻る。
朝の7時半(早い!!)に、駅前のホテルを出て、市バスで旧市街の入り口、パスティオン公園まで行った。
( 駅のそばのホテルの界隈 )
日曜日の朝の公園の中は、時折、樹木の中の道をランニングする人がいるぐらいで、静かであった。20年前にも見た宗教改革記念碑の写真を撮った。
ジュネーブは、カルヴィンの宗教改革の拠点になった町だ。
そこから坂道をゆっくりと上がって行くと、丘の上に旧市街があり、その中心にサン・ピエール大聖堂がある。
( サン・ピエール大聖堂 )
今日は日曜日なので中には入らないが、カルヴィンが25年間、プロテスタンティズムの説教を行い、運動の拠点とした大聖堂である。
ジュネーブの歴史はローマ時代に遡るが、歴史の教科書に登場するのは遅く、宗教改革の町として名を残し、今は国連や赤十字の本部を置くコスモポリタンの都市として、「世界のジュネーブ」になっている。
大聖堂から旧市街のなかをぶらぶらと下って行くと、やがてレマン湖畔に着いた。視界は開け、湖は東に向かって広がり、南岸のフランス領はすぐ近くに見えた。山国の空気はあくまで透明である。
( 朝のレマン湖 )
こうして、2時間足らずジュネーブを散策し、駅に戻って、レマン湖を車窓から楽しもうと、わざわざ鈍行を選び、ローザンヌへ向かった。
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