( カテドラルの塔を飾るロマネスク様式の素朴な像 )
< 冬のサンチャゴ・デ・コンポステーラの旅へ >
2011年の陽春の5月、このブログの題となる「ドナウ川の旅」へ出かけた。その旅の満足度が高く、感動が緒を引いたせいか、以来、1年半もヨーロッパ旅行から遠ざかってしまった。
そして、急に旅心抑えがたくなり、2012年の師走の14日に関空を出発した。「冬のサンチャゴ・デ・コンポステーラの旅」である。
太陽の国・スペインとは言え、そこはユーラシア大陸の最西端、イベリア半島の北西部に半島のように突き出したガリシア州のローカルな町である。しかも、中世以来のキリスト教の巡礼の地となれば、いかにも寒々として陰鬱だ。にもかかわらず、秋が深まるにつれて、そぞろ心ひかれるのである。
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< サンチャゴ・デ・コンポステーラとは?? >
キリスト教に、三大巡礼地がある。遥々と旅をして参詣すれば、全ての罪が免罪されるという。
一つは、聖ペテロの殉教の地に建てられ、全ての教会の礎となった、ローマのヴァチカン。二つ目は、十字軍以来、異教徒との間に争奪戦が続く、イエス・キリストの殉教の地・エルサレム。そして、三つ目が、サンチャゴ・デ・コンポステーラ。
今、スペインで最も活気のあるバルセロナや、首都マドリッドからは遥かに遠く、イベリア半島の北西の果て、あと少しで大西洋という、鄙びた宗教都市である。
9世紀に聖ヤコブ(サンチャゴ)の墓が見つかり、爾来、数々の奇跡も起こったとされる。もちろんヤコブの遺骸と実証されたわけではないのだが。
中世も後半に入ると、多くの人々が巡礼者となって旅に出た。
例えば、パリを出て、フランス・ブルゴーニュ地方のヴェズレーの丘の、マグダラのマリアの遺骸があるというサント・マドレーヌ聖堂に参詣し、さらに歩き続けて、ピレネー山脈を越え、イベリア半島を横断して、サンチャゴ・デ・コンポステーラのカテドラル (大聖堂) に安置されている聖ヤコブの遺骸に遭うのである。
800キロに及ぶこの巡礼路は、今は世界遺産に登録されている。
そして今も、ヨーロッパ各地、アメリカ、オーストラリアなどからやって来た巡礼者たちが、徒歩で、或いは、自転車で、巡礼する。ある人にとって、それは、自己の心の罪をあがなう旅であり、またある人にとっては、愛する人を喪った傷心を癒やす旅であり、また、青年や時に40歳を過ぎてからの自分探しの旅であり、さらには、「山のあなたの空遠く」へ行ってみたいというロマンチックなあこがれや冒険心にかき立てられての旅である。
日本人もまた、今、四国88箇所の旅や、熊野詣での旅に出る人は多い。外国人までが、それらの巡礼路にやってくる。
洋の東西や、時代の違いによって、また、人それぞれによって、その動機は異なり、決して同心円ではない。
同心円ではないが、旅をするのが、人間である。
ユーラシア大陸の西の果てに近く、大西洋までもうすぐというサンチャゴ・デ・コンポステーラ。
人口8万人少々の、石造りの、鄙びた、古い、宗教都市である。雨の似合う街、と誰かがブログに書いていた。
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< 旅の行程 >
第1日 ( KLMオランダ航空で ) 大阪 → アムステルダム → マドリッド → ヴィーゴ
第2日 ( 列車で ) ヴィーゴ → サンチャゴ・デ・コンポステーラ
<サンチャゴ・デ・コンポステーラ観光>
第3日 <大西洋の岬・フィステリアヘ>
第4日 ( 列車で ) サンチャゴ・デ・コンポステーラ → レオン
<レオン観光>
第5日 ( 列車で ) レオン → マドリッド
<マドリッド観光>
第6日 <マドリッド観光>
第7日 ( KLMオランダ航空で ) マドリッド → アムステルダム →
第8日 → 大阪
スペインのほとんど最北西端のサンチャゴ・デ・コンポステーラへ行くのに、どうしたらよいか?? いろいろ調べて、見つけた。
関空から、KLオランダ航空で、アムステルダム、マドリッドと乗り継いで、その日のうちに (時差はあるが)、スペインの、大西洋に臨む港湾都市ヴィーゴまで飛ぶ。2度も乗り換えるのは大変だが、初日がんばれば、翌朝、ヴィーゴから鈍行列車で北上し、1時間半でサンチャゴ・デ・コンポステーラに着く。
これ以上に簡潔で、早い方法は、ない。
サンチャゴ・デ・コンポステーラからの帰りは、マドリッドまで列車の旅とする。
ただ、サンチャゴ・デ・コンポステーラからマドリッドまでの列車は、日に2本しかない。ゆえに、途中、レオンというスペイン北部の都市に1泊することにする。
イベリア半島の大部分がイスラム勢力に支配され、西ゴード王国の残党のキリスト教徒がイベリア半島の北部に逼塞していたころ、レオンを都としていた。レコンキスタ (国土回復運動) は、ここから起こったと言ってもよい。
また、サンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼が行われるようになると、レオンは巡礼路の要衝の地となった。
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< 第1日 ── ヴィーゴへ >
午前に、関空を出発した飛行機は、冬晴れ、積雪の日本列島を縦に北上し、新潟のあたりで日本海に出て、大陸へ向かった。
思い立ってから出発までの日数が少なく、あわただしい旅立ちだった。
( 雪の日本列島を北上した )
ヨーロッパ時間の15時25分にアムステルダム空港に到着し、16時50分発のマドリッド行きに乗り継いだ。
ベルギー、フランスの上空を越え、すでにとっぷりと日の暮れた、冬のマドリッド空港に着いたのが19時20分。
アムステルダム空港などと比べると、どこかローカルな趣のあるマドリッド空港のベンチで、家にいれば今ごろは暖かい布団の中だったのに、などと思いながら時間を過ごし、20時50分発のヴィーゴ行きに乗る。
ヴィーゴ到着は22時。日本時間では、もう朝の6時だ。24時間も寝ずに活動したことになる。
リフト・バッケージで、案の定、スーツケースが出て来なかった。
ロスト・バッケージの窓口で手続きする。こちらは英語をほとんど話せないのに、窓口のおじさんの英語は、ほとんどスペイン語だ。それでもとにかく、「明日の午後には、サンチャゴ・デ・コンポステーラのホテルへ届けられるだろう」とのこと。
ただ、2度も乗り換えたのだから、ロスト・パッケージは想定内。今晩の着替えぐらいは、手荷物に入れてある。
ヴィーゴは、スペインの大西洋に臨む港町だ。人口27万人。スペインのガリシヤ地方では最も大きな町である。
空港を出ると暗く、タクシーに乗って、暗い道路を走り、予約していたホテルへ。疲れた!!
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< 第2日 ── 小雨降るサンチャゴ・デ・コンポステーラ >
ヨーロッパの冬の夜明けはおそい。
夜が明けて、ホテルの窓から見ると、ヴィーゴ港があった。知らない港町の朝だ。
( 夜明けのヴィーゴ港 )
ホテルから徒歩で数分の鉄道駅に行き、9時40分発の鈍行列車で、サンチャゴ・デ・コンポステーラへ向かった。
逆方向の列車に乗れば、ポルトガルに入り、ポルトへ向かう。だが、列車の便は悪い。
車窓から見る小雨降る景色は、大西洋の入り江が入り込んで湖沼のようになり、漁村や農家の小さな家々が彩りを添えて異国的であるが、地形は、今まで見てきた西ヨーロッパのものと異なり、日本に似ていた。低い山々があり、山は緑で、海岸線は入り組んで繊細であった。
( 鈍行列車の車窓風景 )
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キリスト教の三大巡礼地の一つとはいえ、サンチャゴ・デ・コンポステーラは、スペインのはずれの人口8万人のローカルな街である。
旧市街も小さい。それでも、かつては、7つの門をもつ城壁に囲まれていたそうだ。旧市街全体が、車の乗り入れ禁止地区になっている。
旧市街の中心は、オブラロイド広場である。
さすがに三大巡礼地の一つにふさわしく、長い旅を終えた巡礼者たちが、思わず跪き、涙を流して喜び合う、石畳の重厚な広場である。
広場の東側に、巡礼者たちを迎える巨大なカテドラル (大聖堂) がそびえている。聖ヤコブの棺は、いかにも歳月を経たこの花崗岩の大聖堂の中に納められている。
( オブラドイロ広場とカテドラル )
広場を挟んで、カテドラルの向かいには、これも立派な市庁舎が建つ。
クリスマスが近く、市庁舎の清掃が行われていた。
( 市庁舎の清掃 )
広場の北側には、これも壮麗な旧王立病院の建物がある。15世紀に、巡礼者の保護のために建てられた。今は、五つ星のパラドールになっている。
五つ星ホテルに泊まるという贅沢は初めてだが、広場に面し、目の前がカテドラルという立地と、その文化遺産としての価値に心ひかれて、今日と明日の2日間、このホテルに泊まる。
カテドラルを見学する前に、旧市街の路地の庶民的なレストランで、観光客や現代の巡礼者の中に混じって昼食を食べた。
街のもつ重厚で陰鬱な感じから、内陸的なイメージがあるが、ここは大西洋に近く、街の飲食店のウリは、アサリ、海老、蛸、イカなどの魚介類である。いずれも安く、素材を生かして、美味しかった。
腹ごしらえをして、カテドラルに向かう。
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改めて広場に立つと、重く垂れこめた冬の雲の下、何世紀にもわたって世界の巡礼者の目的地であったカテドラルは、圧倒的な存在感をもって迫ってくる。
11世紀~12世紀に建てられた、ロマネスク様式の大聖堂である。
ロマネスク様式の聖堂は、ゴシック様式のそれと比べて、石の持つ重厚さともに、石のもつぬくもりが感じられ、どこか野の花のようななつかしさを感じさせる。
( 身廊の列柱 )
中に入ると、身廊に列柱が並び、装飾性はなく、正面にヤコブの像をまつる金色の祭壇があった。
饗場孝男が『石と光の思想』の中でロマネスク教会について書いた文章は、このカテドラルにも当てはまるように思われる。
「 … 内部にもほとんど装飾はない。石の厚みはしかし圧倒的である。だが、そうした物質性は、… 逆に深い沈黙と瞑想をよびさまし、天上へむかっての祈りをつねに支える、大地への自覚をうながすように思われる」。
「ゴシック教会では、内部で色彩が歌っているが、ロマネスク教会では石の壁が瞑想しているのである」。
さて、ここまで来た以上はと、祭壇の左手を回って、階段を降りる。その先の薄暗い地下通路の奥に、「聖ヤコブの棺」を垣間見ることができた。
また、祭壇の右側から階段を上がると、聖ヤコブ像の裏側に出た。信者は聖ヤコブのマントにキスするのだが、額だけ付けて、異教徒としての敬意を示した。
「神はなくとも、信仰は美しい」とは、ボードレールの言葉とか。
( 中央祭壇の聖ヤコブ像 )
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旧市街のはずれに、アラメダ公園がある。旧市街やカテドラルの眺めが良いと書かれているので、行ってみた。
雨の多い地方らしく、公園の樹木は苔でおおわれている。
( アラメダ公園の樹木の苔 )
オブラドイロ広場から見上げたときはわからなかったが、街並みの上にカテドラルの幾本もの塔が、圧倒するようにそびえている。
( 旧市街とカテドラルの塔を望む )
時に霧雨が降る旧市街を歩くと、街そのものがカテドラルと同じ花崗岩で造られていることがわかる。それが古びて、小雨に濡れ、鄙びた、ケルト的風情をつくっている。
サンチャゴ・デ・コンポステーラは、雨の似合う街である。
( 石段の上のカテドラル )
旧市街の家の窓には、クリスマスを迎えるための、こんな飾りも。
(もうすぐクリスマス)
古い噴水のあるキンターナ広場は、カテドラルの裏側にある、やや小ぶりの広場だ。サンチャゴ・デ・コンポステーラは宗教都市であるとともに、古い大学のある町で、学生らしいお嬢さんが二人、楽しそうに話をしていた。
( キンターナ広場 )
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今夜の宿は、1499年に巡礼者のために建てられた王立の壮麗な病院兼宿舎。今はホテルとして使われている。
ホテル自体が文化遺産で、回廊に置かれた家具や美術品も素晴らしい。
( 廊下に置かれたクリスマスの置物 )
また、4つの趣の異なるパティオ (中庭)がある。
( パティオ )
( 回廊の上にカテドラルの塔 )
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夜。ホテルの玄関を出て、時に強い雨の降るオプラドイロ広場に立ってみた。
カテドラルがライトアップされていた。ローカルな宗教都市らしく、照明もひっそりしていた。
( ライトアップされたカテドラル )
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