一週間前の今頃、私は函館のビジネスホテルで、翌日の計画を考えていた。 二年間の函館生活だったが、遠足が中止になって結局は行かずじまいの「大沼」と、青森の「鶴の舞橋」で迷ったが、「鶴の・・」に決めた。 夕方、市内を歩いた後、翌日午後発の予定だった新幹線を9時ごろ発に変更。 函館市内・・・センチメンタルジャーニーは十分に味わったから・・。
一週間前、7時ごろ家を出て前回同様息子に東所沢まで送ってもらい武蔵野線で大宮へ。 8:55の新幹線に乗ると12時半ごろにはもう函館! ナントまぁ・・と、タダタダ驚くばかり。 私が学生時代は上野から夜行に乗って、青森へ着き、青森からは青函連絡船・・・半日以上かかったハズ。 お昼過ぎに「函館北斗駅」に着き、そこから「函館本線」で函館へ。 列車から遠くに見えた函館山・・アンナだったっけ??? 駅からまずはホテルにチェックイン。 リュックを置いてもらいショルダーだけで「イザ、懐かしい我が家のあったところへ」
電車通りを目指してしばらく歩いて「十字街」に出る。 懐かしい! デパートがある繁華街だったけれど面影があるのかないのか・・・十字街を左折して電車通りに沿って歩く。 「宝来町」の電車の停留所・・・昔は「蓬莱町」だった・・・で右折して函館山方面へ。 右折するとなだらかな坂が護国神社へ続くが、子どもの頃は急な坂に見えた。 右手に会った教会はなくなっていた。 突き当りは護国神社。 チョット手前の左てに「公会堂」。 ココがそんなに文化財的なものとは知らなかった。 もっともバイオリンの発表会があった頃は、「文化財」に至っていなかったハズ。 階段を上って「公民館」となっている建物に入ってホールの内部を覗いてみた。 昔風な座席が並び、ステージがあった。 ウン、懐かしい! 「ココで発表会があって・・」と話したいが相手おらず。 「汐見町」の碑があった。 公会堂を出て護国神社を左折、我が家があった辺り・・汐見町23番地・・は草茫々の空き地。 下に並んでいた宿舎群は3棟の中層住宅になっていたが人気全くナシ。 我が家の裏にあたる上にあった官舎もなくなり、「汐見中学」が「青柳中学」と名を変えて健在。 もっとも当時は「中学」なんて無縁の存在だったなぁ。
通学していた「青柳小」を目指す。 ホボ記憶通りに歩くと校舎らしい建物アリ。 もちろん、昔の黒白に塗り分けられていた建物ではない。 ちょうど、下校時刻。 そのまま海らしき方へ向かうと老人施設が。 昔はコンナのなかったなぁ・・。 海岸沿いを歩こうとしたが、海とはコンクリート壁にさえぎられていて直接、海にはタッチできず。 むかしもこんなだったんだろうか? うらぶれた港町・・。
海沿いを左折して・・・砂州状の細いところを横切って函館駅の方へ。 「ぼーに」というデパートは以前もあったが、私にとっては「丸井」のほうが身近だった。 このデパートも閉店間近らしい。 ホテルに戻り、改めてチェックイン。 再び、駅へ戻ってチケット変更し、今度はクリスマスイルミネーションの方へ行ってみる。 雪が降り出した。 雪がちらつく中を会場着。 サラ~と見て、「函館ビール」というビヤホールでニョッキの夕食。 ホテルに戻り、「鶴の舞橋」への行き方をネット検索して就寝。 函館の市場で美味しい毛ガニを見つけて自宅に送ろう・・なんて思っていたが、独りでカニを物色できる自信ナク断念。 複数でわいわい騒ぎながら買うほうがダマサレ無さそう・・・なんてワビシイ根性。
帰宅して分かったコト・・・フルートの中野クンも同じ新幹線で函館に行っていた由。 コチラは一泊だったけれど、彼は3泊して帰ったそうな。 電車の中で遭遇していたら賑やかだっただろうなぁ・・。