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梅田駅からわずか小一時間の国見山&枚方の最高峰 “サンドイッチ山” で「サクっとモーニング歴史山歩(サンポ)」 202208

2022-08-01 23:09:35 | 🚇 旅選定の参考

【夏の低山は早朝勝負!】梅田駅からわずか小一時間の国見山&枚方の最高峰 “サンドイッチ山” で「サクっとモーニング歴史山歩(サンポ)」
 Bravo Mountain より220801  菊川光徳


 その昔「津田城」のあった国見山の展望は「市民が選ぶ枚方八景」として現代に残されています
 今回は、「山に登れば涼しい!」という概念が通用しない真夏の里山の低山を楽しむために、早朝にサクッと登れるコースをご紹介します。

 枚方市民に愛される市内最高峰「サンドイッチ山」&ルートの見どころ

 涼しい早朝に出発できる時間調整の自由度があるのは、街に近い里山ならでは。同じコースでも、昼にスタートすれば「低山サウナ」を楽しむこともできます(水分補給と熱中症対策は十分に)!

■始発の電車に乗って歴史深い街からスタート
 まずは、JR学研都市線「津田」駅から、大阪府枚方市の里山「国見山」の登山口に向かって住宅地を進みます。

 今回のスタート地点となる「枚方市津田」は生駒山地西部の麓で、土器時代から縄文時代にかけての遺跡も残る歴史深い街です。戦国時代には、国見山に津田城が築かれていました。城主の津田氏が4代に渡って約100年間この地を治めた間に、街は素麺や酒造業で賑わっていたと文献に残されています。

 現在は山城跡もなく、城址はハイキングコースとして整備されており、「知る人ぞ知る」歴史がたくさん残る生駒山系らしい里山の1つです。

■里山の入口「国見山自然巡回路」へ
 国見山自然巡回路は「おおさか環状自然歩道」の生駒山系側の入口にもなる登山口です。暑くなる前にトレイルに入ってみましょう。

 整備されたハイキング道を進むと、大阪府のものづくりを牽引する企業や大学が立ち並ぶ津田サイエンスヒルズがあり、昔ながらの風情を残す釣り堀を眺めながら国見山山頂を目指します。
 ヒノキ林を抜けて国見山展望デッキを経由し、関西電力の鉄塔の下を通るシングルトラックを抜けると、いよいよ山頂です。

ヒノキ林を抜けて…
■国見山展望デッキからは京都方面から大阪方面を見渡せるパノラマビュー
 国見山山頂からは京都から大阪までを見渡せる絶景が広がり、晴れて空気が澄んだ見晴らしのいい日は、大阪湾や六甲山も見ることができます。また大阪湾へと続く淀川に繋がる木津川、宇治川、桂川の合流地点も見ることができる、数少ないスポットです。

 手作り感が溢れる方位板があったり、5月には鯉のぼりが飾られていたり、地元に愛されている里山であることを感じれて、気持ちも和やかになります!

手作りの方位板! 新しい見所も随時増えていきます
■枚方里山名物? サンドイッチ山
 山頂からの絶景を満喫した後は、枚方里山名物?「サンドイッチ山」へ。

 サンドイッチ山の由来は諸説あるそうですが、一番有名なのが標高313mで「1」を「3」と「3」でサンドしているから? らしい。ユニークな名前が目を引きますが、じつは枚方里山の最高峰(さっきの国見山は284m)という勇ましい一面もあります。しかし、山頂は樹々に覆われて眺望一切なしというオマケ付きの”愛され里山”です。

■トンネルを抜けて、白旗池と源氏の滝で涼を感じて街に戻る
 サンドイッチ山でほっこりしたら、低山サウナ目前の里山から街へと向かいます。
 ゴルフ場の下をくぐるトンネルを抜け、目で涼を感じる白旗池のある「いきものふれあいセンター」を通り、全身で涼を感じられる源氏の滝へ。
 源氏の滝まで戻ると、滝の音と木陰を抜ける風が熱くなったカラダには最高のご褒美(水に触れたくなりますが、源氏の滝は神聖な場所なので立ち入らないように!)。

 マイナスイオンをたっぷり浴びたら、往路とは違うルートで街を抜けて、スタート地点の津田駅にゴール。
 サクッとモーニングトレイルを楽しんだ日は、時間がまだたっぷり残っていて有意義な1日を過ごせることが副産物です。

おすすめソトアソSPOT:
『ファミリーマートJR津田駅前店』 早朝スタートには欠かせないコンビニ。スタート時は、ここで水分もたっぷり補給できます!
『サンエトワール津田駅店』 スタート時にはオープンしていないけど、ゴールする時間には開いているパン屋さん。イートインスペースもあるので、途中で撮った写真の整理をするのもいいでしょう。

ソトアソDATA:
難易度:★☆☆☆☆ 登山口がわかりやすくて、ルートも比較的簡単! 国見山までのヒノキ林はトレイルの枝道がたくさんありますが道標が整ってます)
体力度:★★☆☆☆ (8.5kmのラウンドコースなので、走る歩くのスピード調整でキツくもユルくもあなた次第!)
行程:JR学研都市線津田駅〜国見山自然巡回路〜国見山天望デッキ〜国見山山頂〜サンドイッチ山〜白旗池〜源氏の滝〜JR学研都市線津田駅(ルートタイムの目安はハイキングで2時間30分、トレランで1時間15分)

⚫︎アドバイス:津田駅改札を出て、ファミリーマート手前の歩道トンネルをくぐって改札の反対側方面に向かう。
 そこから第二京阪道を目印にして山に向かって進むと、北河内サイクリングロードに出る。
 そこから国見山登山口はわかりやすい。トレイルに入れば、国見山を目指す道標も見つけやすく、安心して歩けます。
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江戸時代、数学レベルは世界最高水準だった!?日本で発達した数学「和算」が空前のブームに 202208

2022-08-01 23:01:00 | 📚 豆知識・雑学

江戸時代、数学レベルは世界最高水準だった!?日本で発達した数学「和算」が空前のブームに
  Japaaan  より 220801


 みなさんは、数学が得意ですか?日本には現代にもさまざまな高名な数学者がいますが、実は日本の数学のレベルは江戸時代も世界最高水準だった、と言われています。

 日本で独自に発達した数学である「和算」が江戸時代に空前のブームに。この「和算」には、今でも使われる鶴亀算や旅人算も含まれています。

 そこで今回の記事では、江戸時代の数学事情に迫ってみたいと思います。

⚫︎数学の基礎はいつ日本にもたらされた?
「数学」というと、私たちは西洋から学んだものとイメージしがちです。確かに、明治維新によって西洋数学が取り入れられましたが、それよりも前に日本には「和算」という独特の数学がありました。
 そして、その和算の基礎となる知識が日本にもたらされたのは、7世紀に、中国からでした。遣隋使や遣唐使の派遣を通じ大陸文化が輸入されましたが、その中に数学も含まれていました。

 ちなみに、万葉集には「八十一」と書いて「くく」という読み方が充てられています。このことからも、その当時すでに九九が日本で知られていたことがわかりますね。
 その後、14世紀ごろにそろばんが発明され、さらに発展していきます。

⚫︎江戸時代、数学は大いに発展
『改算塵劫記』
 日本における数学が大きく発展したのが江戸時代でした。寛永4年(1627年)に京都の和算家・吉田光由(よしだみつよし)が「塵劫記」(じんこうき)を出版。そろばんを使った計算方法などをまとめたもので、これが大ベストセラーとなりました。
 あたまの体操チャレンジ!江戸時代の算数の教科書「塵劫記」の問題を解いてみよう
この本は寺子屋など初等教育で活用され、数学の基礎を広めるのに寄与しました。

 その後、関孝和という人物によってさらに数学は発展。これが和算の基礎となりました。「傍書法」という現代の代数学を発案しています。また、関の弟子である建部賢弘は、円周率を小数点以下41桁まで求めることに成功しました。この下41桁というのは、当時世界最高水準だったそうです。

⚫︎江戸時代に和算がブームとなった背景
 寺子屋での教育も和算の普及の一翼を担いましたが、それ以外にも和算の流行には様々な背景がありました。
 例えば、貨幣経済の発展。農民も収める年貢や地方税の計算をしたり、作物を売ったりする際には、計算ができなければなりません。
 また、土木測量などを担った武士もまた、和算が必要でした。このような背景から、物を売る商人階級以外にも和算が広まっていきました。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです!
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「世界的に見て、東京都市圏は何番目に大きな街だと思いますか」地域エコノミスト・藻谷浩介が語る“一極集中の弊害” 202208

2022-08-01 22:53:00 | なるほど  ふぅ〜ん

「世界的に見て、東京都市圏は何番目に大きな街だと思いますか」地域エコノミスト・藻谷浩介が語る“一極集中の弊害”
  文春オンライン より 220801 神山 典士


 コロナの影響でリモートワークが当たり前になった現在、大都市東京から離れ2拠点生活や移住をする人が増えている。
 ノンフィクション作家の神山典士氏はこうした状況を「東京一極集中を解消する千載一遇のチャンス」と捉え、各地で新しい生き方を実践している人々と接してきた。自らも埼玉県ときがわ町に7LDKのシェアハウスを構え、2拠点生活を送っている。そうした取材や実体験をもとにまとめ上げたのが『トカイナカに生きる』(文春新書)

 一方、日本総合研究所主席研究員で、『デフレの正体 経済は「人口の波」で動く』(角川新書)の著書がある地域エコノミストの藻谷浩介氏は、以前から「里山資本主義」を提唱してきた。

「大都市一極集中の弊害」や「分散型社会のあり方」について、神山氏が藻谷氏に話を聞いた。(全2回の1回目/後編に続く)

◆◆◆

⚫︎都心から1.5時間の「トカイナカ」
『トカイナカに生きる』は、都心から1.5時間エリアを「トカイナカ」と呼び、そこで様々なスタイルで生活する人、働く人の姿を描いた作品だ。「トカイナカで生き方働き方を変える」「起業する」「古民家で暮らす」「ローカルプレイヤーになる」「パラレルワーク(複業)する」「地域を6次化する」「よそ者力を発揮する」といったテーマで取材してきた。訪ねた地域は長野県軽井沢町(追分)、神奈川県鎌倉市、千葉県いすみ市、富津市、匝瑳市、埼玉県小川町、ときがわ町等々。

 いうまでもなく、コロナを機に、それまで東京へ東京へと「一極集中」してきた日本人の流れが変わった。東京から地方へと流出する人口が増え、しかも「転職なき移住」が可能な首都圏近隣(トカイナカエリア)への移住・2拠点生活希望者が圧倒的に増えた。

⚫︎ときがわ町の風景
「下り列車に乗った幸せ探し」ができる国づくり
 このことは、一極集中解消のチャンスであり、この流れの先に「下り列車に乗った幸せ探し」ができる国づくりがある。そう考えて、私はこのテーマで取材を進めてきた。 すると上記のようなテーマですでに生き生きと生きている、働いている人たちとの出会いがあったのだ。藻谷は、その登場人物の中に既知の名前を幾つも見つけて、それを喜んでくれた。藻谷はこう語った。

「本書に書かれている中で、ぼくが前から特に尊敬している大先輩は小川町の有機農業の実践者金子夫妻です。その夫妻のことを、本書では70年代の有吉佐和子さんの『複合汚染』まで遡って書いている。同時に金子さんのことが、若者たちのネット社会の産物である『田舎でフリーランス講座』とか移住者である関根さんが始めた『起業塾』とかと違和感なく並べて書かれている。ぼくは『天の時、地の利、人の輪』の中では『地の利』を重視するんだけど、若者も関根さんも金子さんも、同じ『地』の上で一つの物語として繋がっている。トカイナカの大先輩が金子さんであると書かれているのは、『トカイナカ』の本質を突いた素晴らしい炯眼だと思いました。

 軽井沢の事例が出てきたときには、『あれっ』と思ったんです。軽井沢はトカイナカというよりは、東京の港区が直接引っ越してきたようなところです。都会の人が都会風なスタイルのまま勝手に降臨して、宇宙人の基地みたいに別荘をつくって群れているような面もある。最近は熱海にもそういう感じがありますね。
 けれど本書で『軽井沢』と紹介されているのは、実は西隣の『追分』が舞台の話なんですね。東京からアクセスする際の駅も『軽井沢』ではなくて『佐久平』(笑)。軽井沢は六本木だけど、追分はまさに埼玉県のような場所。軽井沢に仕事をもって通勤する地元民が、田舎の良さを求めた移住者と一緒に住んでいる。この場所の選択が絶妙にいいですね」

 このあたりの指摘が、地域の細かい事情にやたらに詳しい藻谷ならではだ。私にとっては藻谷浩介こそが、「地域創生」をテーマにするときのロールモデルだ。一般的には藻谷は、2010年に著した『デフレの正体 経済は「人口の波」で動く』で経済変動を人口問題から喝破し、世間の認知を得た。

⚫︎「雨」の違いを問われて…
 けれど遡ること約30年前、小学生のころから社会科の地図帳で全国の自治体を観察し、「人口は変わるんだ」と毎年変動する人口を暗記する早熟な少年だった。大学時代は自転車部に入り、全国約3000(当時)の自治体の半分近くを走破してもいる。いまから3、4年前、一緒に福島県の小村を取材した折り、藻谷は目の前の山脈を指さしながらこう言った。

「あの山の右側に降った雨と左側に降った雨の違いがわかりますか?」
 すぐに相手に質問調で尋ねるのが藻谷の癖だ。わからないからどきまぎしていると、こう解説してくれた。
「右側に降った雨は太平洋に、左側に降った雨は日本海に流れます。つまりここは日本列島の背骨なんです」

 人口問題も地域問題も、机上の知識として記憶するのではなく、現場の胎動と共に常に生きたデータとして扱う。藻谷はそういう姿勢を、すでに約半世紀も取り続けている。

 ところで、本書のテーマである、「コロナ禍を機に一極集中から分散社会へ」について、藻谷はどう考えているのだろう。あえてここで藻谷に「一極集中の弊害」を語ってもらうとすれば、どこに力点があるのだろうか?

 そのことを問うと、藻谷はどこか焦れったそうにこう口を切った。

⚫︎子どもが生まれない場所に若者を集め続ける日本
「一極集中の問題点なんて20や30すぐに挙げられるのですが、ニューヨークしかみたことなくてニューヨークが世界一だといっている人に、それは勘違いだと理解してもらうのが大変なのと同様、『東京教』に入信してしまっているような人に一極集中の問題を説明するのも面倒なことなんです。
 ですが、この話を逆方向からいうならば、東京一極集中にメリットなんて一つもない。例えば東京という町は婚姻率は日本一ですが、出生率は全国最低です。若者がたくさん集まる町なのに次世代がつながらない。
 人間も生き物でして、都市はその主要な生息地なのですが、東京という生息地では生態系が完全に崩壊してしまっている。子どもが生まれない場所に若者を集め続ける日本で、人口が減るのは当たり前です。

『そんなことを言っても、東京は若者を集めて栄えている』なんて、皆さん思ったりするわけです。少子化の恐ろしさがぜんぜんわかっていない。

 仮に『若者』を、『15歳から44歳』としましょう。まだコロナの始まる前の話ですが、2015年元日から2020年元日までの5年間に、東京には59万人の『若者』が転入超過しました。上京した『若者』の方が帰京した若者より59万人多かったのです。では同じ5年間に、都内に住む『若者』は何人増えたでしょう? 『えっ? 59万人増えたんじゃないんですか』、と思う人は、繰り返しますが少子化問題が理解できていないのです。

 答えは、8万人の減少なんです。これはまだコロナ前の、一極集中の極みのころの話ですよ。59万人流れ込んだはずが、トータルすると8万人減っている。同じ5年間に45歳を超えた東京在住者は118万人なのに対して、15歳を超えた在住者は51万人しかいなかった。都内で生まれた子どもが、30年間で、半分以下に減ってしまった結果です。これだけ少子化してしまうと、都内の『若者』は118-51で67万人減るところだったのですが、東京はパラダイスだと勘違いした田舎の若者59万人の上京のおかげで、67-59=8万人の減少で済んだのです。

 しかも東京に59万人流入しているということは、地方ではその分減っている。出生率の高い地方にいれば、もう少し子孫も増えたかもしれないのに。『一極集中が効率的だ』と言う人は、『東京は生産性が高い』とか言うんですが、それはお金の話。人の生産性は最低です。人間の本質は、金の計算にあるのではなくて、生き物であることなんですけれどね」

「東京都市圏は、世界で何番目に大きな街でしょうか?」
 さらに藻谷はこうも言う。
「ちなみに都市圏としての『東京』という街は、世界で見て何番目に大きな街でしょうか?」
 これまた一筋縄では答えられない問題だ。「東京」をどこまで「東京」と呼ぶのか? 国が決めた自治体の境界線ではなく、「生活実感として所沢も東京の一部とします」と藻谷は言う。となると――。

「これもあまり正解する人はいないのですが、世界的に見て東京都市圏の規模は圧倒的に1位です。ニューヨークより重慶より上海よりソウルより遥かに大きい。そういうことを知らない人が、東京にもっと人を集積させろと言っていたりする。ティラノザウルスはもっと大きいほうが生き残れるんだと言っているようなものです。

 世界的に見ると東京だけが圧倒的に世界最大で、次のクラスがソウル、大阪、ニューヨーク、上海。ということは、世界最大の東京と二番手の大阪をもっている日本がこの30年間経済が全く成長していないんです。つまり大都市をつくることは、人を減らすどころか金も増やさないことの証明です」

 なるほど。そう言われればわかりやすい。藻谷がデータを出してくるたびに、私たちは現実の薄皮を剥がしリアルと対面させられることになる。

⚫︎世界標準の国づくりをするために
「例えばアジアで経済力が強いといえばシンガポールです。あそこは福岡程度。名古屋よりも小さい。ヨーロッパでうまくいっているのはスイス。スイスの最大都市はチューリッヒだけど、所沢程度の大きさです。ジュネーブは越谷程度。スイスは埼玉県より少々大きい程度です。
 でも一人あたりのGDPは日本の倍以上ある。ドイツの経済の中心はフランクフルト。あそこは福岡くらいです。スペインの中心バルセロナも福岡程度。つまり世界のいけてる町はみな福岡程度なのです。

 そう言う町が世界的に競っているときに、東京をもっと大きくすれば勝てるという人はどんな認識で言っているのか? 現場を見ていないし、数字も見ていない、世界的認識のアップデートができていない人が言っているだけです。これをガラパゴスといわずになんというのか。

 私は空気認識と呼んでいます。事実を全く認識せずに、空気だけ読んでいる人です。ですが空気は、昭和の成功体験の産物。これからは人を分散させて、トカイナカに人を送り込んで、世界標準の国づくりをしないといけないのです」




💋今更ですが,行政もマスコミも,今のみを生き,よらばたいじゅのかげ、明日へ不作為


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🚶‍♀️…伏見区向島清水町農道🔄…Alp 220801

2022-08-01 18:21:00 | 🚶 歩く
🚶‍♀️…右岸河川敷…隠元橋…左岸堤防道…同:47km碑+…伏見区向島清水町農道🔄…左岸堤防道47.2km碑…隠元橋…右岸堤防道…Alp1F:🍱,👜…右岸堤防道…>
🚶‍♀️11536歩

☀️:隠元橋36℃:風強く心地よく:雲少ないが薄青空,雲形を👀

Alp:今夕,明後日,明々後日分の麺3種!
保冷バッグ👜も

🌡ベランダ36℃室温35℃
🏡又もベランダ東側日除補強。反射シート手すり塀1/3



今日の気になった雲形4種









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