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⚠️ 国立大学でも研究者の大量雇い止め危機 若者の研究に猶予を与えられない国家でいいのか 202208

2022-08-30 23:46:00 | 気になる モノ・コト

国立大学でも研究者の大量雇い止め危機 若者の研究に猶予を与えられない国家でいいのか

Newsポストセブン より 220831


 雇い止め撤回を求める訴訟を起こし、記者会見する理研の研究者。2022年7月(時事通信フォト)
 文部科学省科学技術・学術政策研究所が発表した「科学技術の状況に係る総合的意識調査(NISTEP定点調査)」が、日本の科学技術力の低下を示していると、衝撃をもって受け止められている。
 なかでも自然科学分野で多くの研究者に引用された質の高い論文の2018~2020年の年平均数調査で日本は前年の10位から韓国にも追い抜かれ12位に転落。
 2000~2002年は米国、英国、ドイツに次ぐ4位だったのが、2006~2008年から順位を下げ続けている。俳人で著作家の日野百草氏が、科学技術立国を支えてきた日本の科学者たちが置かれている環境についてレポートする。

 * * *
「アジア各国、とくに中国の基礎科学分野の伸びは本当に凄い。その陰には日本人研究者もいます。このまま日本国内の冷遇が続けば、さらに海外、もちろん中国に協力する日本人研究者が増えることでしょう」

 関東の国立大学で博士号を取得、いくつかの大学、民間企業を渡り歩いた70代の元研究者が語る。本稿、専門用語や一般的でないと思われる言い回しは平易に置き換えた。あくまでアカデミズムの界隈に馴染みのない多くの方にも知っていただきたいという趣旨である。

「国立大学法人化からしばらくでしょうか、国から国立大学への運営費交付金が減らされ続けた結果、ということです」

 日本の国立大学は2003年制定の「国立大学法人法」により各大学とも法人化された。それにともない2004年度から国の運営費交付金は削られ続け、2022年現在で約1300億円も削減された。
 国立大学の学費が高騰しているのもその影響で、現在の標準額(近年は国立大学も各大学により異なるため標準額とする)の1年次81万7800円(入学金含む)は私立大学(以下、学費平均値による)と比べても、その差は約1.6倍しかなくなっている(文部科学省調べ)。1975年は5.1倍と国立は圧倒的に安かった。それが現在は入学金に至っては約1倍、国立も私大もほぼ変わらない。

 それでも理系となれば圧倒的に国立大学のほうが安いが、昭和のころのような「国立大学なら誰でもバイトで学費も生活費も全部まかなえる」という時代はとうに終わっている。いまの50代の方々の大学時代(1980年代ごろ)に30万円から40万円ほどだったことを考えるとほぼ倍である。

「学生にも影響ありましたが、やはり研究者に一番のしわ寄せが来た形です。理化学研究所(以下、理研)の件もそうですが、国立大学も同じような研究者の不遇とリストラ問題を抱えています」

⚫︎日本は国家としての役目を放棄している
 理研の研究者、および研究チーム関係者が2022年度末を目処に約600人も雇い止めにされる恐れがあるという件は拙ルポ『「理研600人リストラ」に中国人ITエンジニアは「不思議です」と繰り返した』で報じた通りだが、これを報じた4月から、理研労組によればすでに約100人が理研を去ったという。理研側は8月現在、いまだに労組への回答を先送りしている。

「理研といえば日本の基礎科学研究の最高峰です。科学で食べていくしかない国が、その最高峰にいる中の600人もを切り捨てる、いまは結果が出なくとも、いつ日本を食べさせてくれる研究成果を上げてくれるかわかりません。かつてはそうして科学立国日本を築き上げたのに、この国は何で食べていく気なのでしょう」

 前述のルポで中国人技術者は「優秀な研究者をクビにすることは、他国に渡すのと同じです」と言っていた。また「研究は結果がすぐ出るわけではありません。とくに基礎研究は百年かかるかもしれません。それでも国のためになるなら続けるべきでしょうし、必要な人はとっておくものです」とも言っていた。
 国は違えど研究者、技術者ともに思うところは同じということか。

 理研といえば湯川秀樹、朝永振一郎、利根川進など錚々たるノーベル賞学者を輩出した名門である。みな決してすぐに結果が出たわけではないし、ことによってはまるで理解されなかった時期もあった。それでも研究を続けた。理研も、国もそれを助けた。これが国家というものだ。

「いまの日本は国家としての役目を放棄しているということです」

 厳しい言い方だが、これもまた同じ研究者としての切なる思いから来るものだろう。石油、石炭、鉄、銅、ニッケル、ボーキサイト、天然ガス、レアメタル、レアアースと、何もかも輸入に頼る国なのに研究まで放棄しては、研究者という人材まで海外に流出させて困るのは日本だというのに。
 基礎研究は多くの方に馴染みがないかもしれないが、これこそ国家の礎、アメリカも中国も21世紀の覇権を握るために力を入れている。

「私の現役時代、とくに1990年代からそうですが、この国は理系軽視で文系の下で理系が働く、文系が管理して理系が現場、という構図がより強くなったように思います。これは官も民も同じでしょう。私も身をもって経験しています」

 文部科学省は旧来の「天下り」はもちろん、天下り批判を避けるためか「現役出向」も加える形で国立大学法人を牛耳ってきた。このことを2017年、河野太郎衆議院議員が「国立大は文科省の植民地」と与党議員ながら予算委員会で批判している。
 世界的な機械メーカー、富士ゼロックス(当時)のサラリーマンだった河野氏らしい指摘だが、実際に文科省は補助金や新設学部の設置許可を人質に、OBの天下りや職員の現役出向を常態化させていた。それはいまも変わらない。

「国は予算を減らすだけでなく、さらに研究の選別をしました。選別は構いませんが近視眼的な誤った選別をしたのです。それが基礎研究をさらに追い詰めました」
 結果、短期的な成果を求められるままに基礎研究の空洞化を招いてしまった。そしていま、研究者の大リストラに至る。

「国立大学も理研と同じように研究者の雇い止めが始まっています。この国は本当にどうするつもりなのでしょう」

 東北大学は2022年度末で若手研究者を中心に239人が雇い止めになるおそれがある。大阪大学や九州大学でも同様の事案が起こる可能性があるという。東京大学に至っては346人が雇い止めと予想されている。理研の600人と同様、このような旧帝国大学、日本の優秀な研究者の多くが集う大学ですら大量の雇い止め、リストラが実行されてしまうかもしれない。

「とくに中堅や若手の研究員は有期雇用ばかりですから10年でクビです。これからという研究者ばかりなのに」

 有期雇用が大半となった国立大学の研究員。2013年の改正労働契約法で5年を超えた場合は労働者の希望で有期雇用から無期雇用に転換すると定められた。
 研究者や教員の場合は10年という特例だったが、これがそっくりそのまま杓子定規に当てはめられてしまった格好だ。さらなる特例を急ぎ取り決めてもいいほどの事態にも関わらず、国の対応は及び腰だ。

「このような言い方は誤解されるかもしれませんが、この国の予算からすれば彼らの雇用など小さな金額のはずです」

⚫︎中国は日本が勝手に優秀な日本人を捨ててくれると大喜び
 確かに言い方が難しいが、2021年5月に会計検査院が指摘した「国の無駄遣い」を見ると筆者もそう思わされてしまう。
 「アベノマスク」は115億円分が倉庫に余り、再検品で21億円、保管費も2020年8月から2021年3月までで6億円かかった。
 他にもGoToトラベルではキャンセル対応費用として旅行代理店に1157億円払ったもののホテルや旅館に行き渡ったかは不透明、接触確認アプリ「COCOA(ココア)」の度重なる不具合による追加対応や、農林水産省の「全国農地ナビ」の閲覧システムが137億円かけたのに未更新、など総額2108億7231万円の「無駄遣い」および「不適切経理」と指摘された。

「基礎研究は分かりづらいかもしれませんが、かつての『科学大国日本』時代のように、やがて大きなリターンとなり、長い目で見てこの国を豊かにしてくれるでしょう。若者の研究に猶予を与えられずに、なにが国家ですか」

 研究には時間がかかるのはもちろん、研究者が育つにも時間がかかる。たとえばCNSと呼ばれるCell(セル)、Nature(ネイチャー)、Science(サイエンス)といった科学ジャーナルに論文を載せようと思えば研究には時間も費用もかかるし研究者自身の成長も必要だ。
 短期間の有期契約では手近な論文で雇用を繋ぐしかなくなる。いまやCNSは圧倒的にアメリカと中国の研究者がしのぎを削る場となっている。

 とくに中国はCNSに限らず自然科学系の全論文数、上位10%論文数、上位1%論文数すべてで1位である。
 2022年版の文科省「科学技術指標」によれば日本は全論文数5位、上位10%論文数12位、上位1%論文数10位である。
 2000年代前半まではアメリカに次ぐ2位だったはずなのに。CNSがなんだ、論文数ばかりではない、という向きもあろうが、ほんの20年前のネットで揶揄され続けた「お笑い中国」から考えれば、こうした学術面の成果で日本どころかアメリカすら抜くとは、今や昔である。

「それなのに理研の研究者はもちろん、国立大学の研究者まで若手を中心に追い出そうとしています。彼らの多くは国内に見つからなければ海外に出ていくことでしょう。もちろんこれまで以上に中国に手を貸す人も出てくるでしょう。中国は日本が勝手に優秀な日本人を捨ててくれると大喜びでしょうね」

 これもまた、かつて中国人技術者が言っていたことと同じだ。「日本はまた何百人も研究者を辞めさせる。それを中国が手に入れるなんて申し訳なく思います」「中国は日本人研究者や技術者のおかげで大国です。本当にありがたい話です」と利敵行為にも通じる行為を不思議がっていた。

 この中国人技術者の言うところはどちらかといえば民間技術で、日本の家電やITの不遇な研究者、技術者たちが中国に渡って結果を出し続けたことに対してだったが、同じく拙ルポ『70代元家電メーカー技術者の悔恨「メイド・イン・ジャパンを放棄してはいけなかった」』でお話いただいた元技術者の「メーカーを追い出されたり、独立して小さな工場を経営したりの技術者が中韓の仕事を請けてました」「そういうことをするから他国に技術が流れるんですよ。
 そんなことを国や企業が30年間繰り返した結果が、いまの日本です」「待遇が悪いのですから流出は止まりませんよ。ずっとそうなのですから」といった言葉も思い起こさせる。

 とくにこの30年、「好きなことやっているんだから」と研究者や技術者をないがしろにしてきたのは官も民も同じだろう。いまだに「研究者自身にこそ問題がある」「評価される成果を出せなかった人」などと事の本質を理解できない残念な意見もある。

「本当に日本は何を考えているのでしょうか。私も自分の不甲斐なさも含めて、それほど恵まれた研究人生ではなかったと思っていますが、時代を考えれば全うできただけマシなのかもしれません。これからの日本の科学、日本の研究者はどうなってしまうのか」

 かつて日本に捨てられた日本人技術者の一部は韓国で厚遇され、結果を出したからこそ現在の韓国がある。同じように日本に捨てられた、もしくは日本を捨てた研究者たちが中国でさらなる結果を出すかもしれない。日本はもちろん欧米に比べて給与面では厚遇とは言えないが、研究者として食っていくため、そして十分な研究環境を求めた果てのリベンジマッチである。

 筆者はいつかの中国人技術者の言葉を、また思い出す。

「優秀な人が安かったり辞めさせられたり。とても不思議だと思っています」

 国は研究者も、技術者も、クリエイターも、あまたの専門職も「捨ててもすぐ降って湧いてくる」とでも思っているのだろうか。それともベテラン政治家は「どうせ寿命はあと10年20年だからその後の日本などどうでもいい」とでも思っているのだろうか。まさか「いずれ国ごと売り渡す」つもりなのだろうか。

 そうとしか思えないほどに、今回の理研はもちろん、国立大学法人研究者の任期雇い止めという大量リストラは「不思議」としか言いようがない。
 日本が誇る新幹線も、優秀な自動車エンジンも、壊れない家電も、精密な光学機器も何もかも中国や韓国へ売り渡したのは日本である。そうしてついに国家百年の礎たる基礎研究者、それも若手まで捨て始めた。

 科学も技術も、結果が出ないからと性急に捨てる行為を繰り返し、この国と子どもたちは将来、どうして食べていけというのだろうか。

【プロフィール】
日野百草(ひの・ひゃくそう)日本ペンクラブ会員、出版社勤務を経てフリーランス。社会問題、社会倫理のルポルタージュを手掛ける。


💋相変わらず、どこに予算がいってるのか?会計検査院は?
 給与=人財の生活必需費が理解されてないというか常識的に分かって当たり前。行政立法の不作為不勉強。xx学術会議はボンクラ集団である証。
  
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「始めてしまえば大丈夫」との目論通り開催されたオリンピック。なぜ発祥の動機から外れ疫病の最中でも実施せねばならない巨大イベントに 202208

2022-08-30 22:51:00 | なるほど  ふぅ〜ん

ヤマザキマリ「始めてしまえば大丈夫」との目論通り開催されたオリンピック。
 なぜ発祥の動機から外れ、疫病の最中でも実施せねばならない巨大イベントになったのか
  婦人公論jp より 220830 ヤマザキマリ


 急ピッチで進められた新国立競技場の建設風景。
  今オリンピックを振り返ってヤマザキさんが思うこととは
「旅する漫画家」として世界を駆けてきたヤマザキマリさん。コロナ禍ではイタリアにいる家族と離れ、日本に長期滞在することになりました。
 しかしマリさんいわく、思いがけなく移動の自由を奪われた毎日の中でむしろ考える機会が増え、多くの気づきや発見もあったそうです。特に緊急事態宣言下にあった東京で開催されたオリンピックについては、いろいろ思うところがあったそうで――。

* * * * * * *

◆強引さのもとで開催された東京オリンピック
 パンデミックが進行する最中に、世界中から人々を一地域に招集してオリンピック、パラリンピックを開催。

 古代ギリシャ人もびっくりするだろう事象が、2021年の夏、緊急事態宣言下の東京で遂行されました。コロナ禍の日本での象徴的な出来事として、振り返っておきたいと思います。

 何が何でも開催しなければなりません。安全と安心には気をつけます。

 開催前、政府から発せられるアナウンスは、結局その一点張りでした。パンデミックを押して開催しなければならない説得力のある理由は述べられず、絶対に実施されなければならない、という強引さのもとで、議論が尽くされることもありませんでした。

 その一連の流れを見ていて私が感じたのは、第二次世界大戦に日本が介入した際も同じような状況だったのではということです。

 有無を言わさず突撃を開始し、民衆は真相を知らないままで竹槍を持って、「突け!」と号令されれば従う。より記憶の新しいところでは、福島第一原発事故時の対応にも共通するものがあった気がします。

◆独特な「日本らしさ」なのかもしれない
 どうしても実施しなきゃいけないのであれば、その理由を民衆にわかるように説明してもらいたい。経済的な理由であれ何であれ、説明次第では国民も「ああ、それなら仕方ない。やるしかない」と思う場合だってあるわけです。

  📗『歩きながら考える』(著:ヤマザキマリ/中公新書ラクレ)

 にもかかわらずただ一方的に「何が何でも」と無茶を押して、根拠も有耶無耶(うやむや)なままに突き進む。

 実はこうした社会と組織の動向はある意味で日本の特徴であり、それが良いとか悪いとかということではなく、独特な「日本らしさ」なのかもしれないと私は捉えています。

 国民もその進め方に馴染んでいるし、具体性を求めない。「何だかわからないけど、そうらしいよ」という状況であっても、日本という国家はそれで統制が保たれてきた。

 事実、開催前には大多数が強く反発し、政府の対応を非難していましたが、開催後も反対意見を声高に言っていたのは、ある程度西洋化した認識をもつ人たちに限られていたように思います。

 その他の人々は「アスリート、頑張れ!」と、テレビ中継の前でエールを送ったり、メダリストの笑顔を見て感動の涙を流していたのではないでしょうか。

「始めてしまえば大丈夫」という政府の目論(もくろみ)通りに国民が手玉に取られた顛末には釈然とはしませんが、「オリンピック開催すべし」という一つの倫理が強硬に発動されて、人々は流され、社会が統括されるというのは、人間の現象としては別に不思議なことでも何でもありません。
 そういった意味で、オリンピックというイベントはつくづく、思考停止する人々の怠惰性をうまく利用するものだなと思います。

◆なぜ人々はこれだけ運動競技に熱狂するのか
 私は今年(2022年)の夏まで『オリンピア・キュクロス』という漫画を連載していました。
 古代ギリシャで壺絵師見習いをしていた青年が、1964年のオリンピックに沸く東京にタイムスリップするという設定で、構想を練るためにオリンピックのリサーチを様々に行いました。
 描き始めたきっかけは、「なぜ人々はこれだけ運動競技に熱狂するのか」という理由を知りたかったからです。
 小さな頃から運動が好きではなく、家族にも運動好きな人がいなかったのもあり、私にはスポーツを観戦する習慣がありませんでした。

 ただ、四六時中木によじ登ったり、野山を駆け回ったりしていましたので、走るのがめちゃくちゃ速い、身体能力の発達した子どもだったのです。
 そのため小学校でも中学校でも、運動競技会があれば必ず選手になり、「学校のために頑張ってくれ」と参加させられていました。しかし、一列に並んで勝った負けたのために走り、優劣をつけられることが、吐き気をもよおすほど嫌だったのです。

 なぜこんなことで競わなきゃならず、自分の好きなように好きな方向へ走ることの何がいけないのだろうと、ずっと考えていました。『オリンピア・キュクロス』の主人公デメトリオスには、私のそんな思いも投影されています。

◆古代オリンピックの精神
 オリンピックの起源は、2800年前の古代ギリシャに遡ります。

 もともとは神に奉納する神事としての競技会で、戦争に明け暮れる人間たちへの神の怒りを鎮め、蔓延していた疫病を退散するための祈りでもありました。
 戦わずにはいられない人間という生物にとって、運動競技は命を無駄遣いしないための工夫であり、代償的イベントでもありました。

「現代の在り様は、オリンピズムを提唱したクーベルタン男爵が想像もしなかった域に及んでいるように思います」
 だからこそ開催期間中は前後を含め、戦闘は一切禁止された。選手たちは一糸まとわぬ真っ裸で、まさに武器を捨てて肉体だけで競っていました。

 その平和の祭典での競技の目的は、徳や名誉をも意味する「アレテー(真理)」を得るためです。観客はアレテーを極める選手たちの姿に熱狂したのです。

 開催地のオリンピアは、神殿だけが建っているような自然豊かな場所でした。オリンピック開催時のみ人が集まり、テントで寝泊まりする人もいたとか。キャンプ大会と音楽フェスが一緒になったかの様相だったようです。
 現代の感覚で言うと、"ジャンボリー形式のウッドストック"といったところでしょうか。
 この古代オリンピックの精神を復興し、世界平和のための祭典をつくろうと始まったのが、近代オリンピックです。
 ただし現代の在り様は、オリンピズムを提唱したクーベルタン男爵が想像もしなかった域に及んでいるように思います。

◆潰しのきかない巨大イベントになってしまった
 スポーツの力による平和の祭典からは逸れた意味が付与されるようになったのは、1936年のナチス政権下で行われたベルリンオリンピックからです。

 ヒトラーは世界が注目するオリンピック大会を強いナチスのプロパガンダになるように利用し、大会は強い政治力を帯びるようになりました。当初の、戦争の代償であったはずのイベントが戦争的意図を煽るものとなってしまったわけです。

 1964年の東京オリンピックでは、敗戦からの復興が加速し、日本橋の上に高速道路をつくるなど急ピッチで都市が開発されて、高度経済成長期真っ只中の日本をさらなる経済大国へと邁進させる大きなきっかけになった。
 まさにこの東京大会がきっかけとなり、その後のオリンピックに経済の力が加味されていくようになるのです。

 今のような大々的なコマーシャリズム化と裏金の噂が絶えなくなった最初の契機は、1984年のロサンゼルスオリンピックですね。開催に何百億ドルという莫大な費用の掛かる現在のオリンピックの基盤が確立しました。

 今後、パリ、ロサンゼルス、オーストラリアのブリスベンでの開催が決定していますが、以降、手を挙げる都市があるのかなと疑問に思います。

 いずれにしても、オリンピックというものが古代の発祥の動機から外れ、疫病の最中ですら実施せねばならないような潰しのきかない巨大イベントになってしまったことに疑いの余地はありません。

※本稿は、『歩きながら考える』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。



💋不思議のオリンピック。政府はおかしいが…日本だけではなく、最大級にお金と利権が動き、政治的な… 原点に立ち返るのは…  利権と金…
 オリンピック開催前後にわざわざ、戦争を始める、スポーツの大国は更に論外!参加資格無し。
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水面に浮かべるだけで発電できる「波力発電機」 202208

2022-08-30 22:05:00 | 気になる モノ・コト

水面に浮かべるだけで発電できる「波力発電機」
  ナゾロジー より 220830  大倉康弘


 海は絶えず波打っていて、それは自然の生んだ大きなエネルギーを伝達しています。

 これを利用した再生可能エネルギーが波力発電です。ただ、この発電方法は発電量に対するコストが高いという問題がありました。
 そこでイギリスを拠点とする研究開発会社「Sea Wave Energy Limited (SWEL)」は、10年以上にわたる研究の末、低コストで波のエネルギーを電力に変換する波力発電機「ウェーブラインマグネット」を開発。
 最新バージョンでは、ユニットあたりの発電出力が100MWに達する可能性もあると言われており、これは約2万8000世帯分の電力に相当します。

ーー目次
 低コストな波力発電機「ウェーブラインマグネット」

 Credit:Sea Wave Energy Ltd – SWEL(YouTube)_Waveline magnet concept design(2022)
SWEL社が開発しているウェーブラインマグネットは、複数のボードが連なったような見た目をしています。

 これを海に浮かべるだけで、波の力を利用して発電できるというのです。
それぞれのボードは水面に浮く素材でつくられており、波の力を受けて上下動します。
Credit:Sea Wave Energy Ltd – SWEL(YouTube)_Waveline magnet concept design(2022)
 これらが中央部にある発電機のアームを絶えず動かすため、波がある限り発電が続くようになっています。
 そしてウェーブラインマグネットのメリットは、持続可能エネルギーである波を利用できることだけではありません。
 従来の波力発電機に比べてはるかに低コストなのです。

 以前から波力発電は注目されていましたが、コストが非常に高いというデメリットがありました。
 例えば1987年に文部科学省の海洋科学技術センターが開発した波力発電機のコストは63.2円/kWhです。
 現在の陸上風力発電の発電コストが9~15円/kWhであることを考えると、当時の波力発電に事業性を見出すことはできませんね。
Credit:Sea Wave Energy Ltd – SWEL(YouTube)_Waveline magnet concept design(2022)
 ところが、改良を重ねてきたウェーブラインマグネットは、マシン自体が頑丈で軽量になっており、しかもシンプルな設計が採用されています。

 そのため製造や輸送にかかるコストを大幅に削減できるようです。

 また最新バージョンでは、1つのユニットが生み出す電力が100MWにも達すると言われており、これは約2万8000世帯分の電力に相当します。

 これらの性能により、発電コストは1ペニー(約2円)/kWhとなりました。

 SWEL社は、「波力発電業界の基準値を下回り、化石燃料発電と同等の能力をもつようになる」とさえ主張しています。
 この主張が実際にどこまで実現するかは分かりませんが、波力発電機としての性能は着実に向上しているのでしょう。
 さらにウェーブラインマグネットは、海岸に到達する波の力を弱めることもできます。
複数のウェーブラインマグネットを配置することで、大量に発電しつつ、海岸周辺を守ることもできるのです。

SWEL社は、次のステップとしてこの技術の商業化と量産を目指しています。

▶︎参考文献
this spine-like floating device can convert wave power into electricity https://www.designboom.com/technology/sea-wave-energy-limited-waveline-magnet-floating-device-08-16-2022/#
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⚠️ なぜ世界一の「日本の新幹線」が海外で売れないのか…日本人は「技術の売り方」を根本的に勘違いしている 202208

2022-08-30 21:43:00 | なるほど  ふぅ〜ん

なぜ世界一の「日本の新幹線」が海外で売れないのか…日本人は「技術の売り方」を根本的に勘違いしている
 プレジデント onlain より 220830 小林 邦宏


 日本は世界の鉄道建設で中国に敗れ続けている。元住友商事社員の小林邦宏さんは「日本はいまだに鉄道の価値を『速さ』だと思っている。すでに鉄道の価値は速さから『快適さ』に移りつつある。そこに勘違いがあるので、中国勢に負けてしまう」という――。
※本稿は、小林邦宏『鉄道ビジネスから世界を読む』(インターナショナル新書)の一部を再編集したものです。

⚫︎20年間で根本的に変わった「移動している時間」
 世界中を旅していると、時間の感覚が妙に敏感になることがある。

 ある国の駅から高速鉄道で別の国の駅に向かっていて、自分は「未来に向けて旅しているのだ」などと考えてしまうのだ。たしかに、到着時刻は出発時刻から見れば明らかな未来なのだが、普段は地球上の2点間の物理的距離を移動しているという認識しかない。日常の生活では到着時刻という数時間先を未来と考えることは少ないが、旅という特殊な環境(私にとっては日常かもしれない)が、今まで気づかなかったことに気づかせてくれることもあるようだ。

 人間の1日の行動を「○○している時間」という視点で区切って考えてみると、たとえば「眠っている時間」に人間がやっていることは100年前とほとんど変わっていない。
 100年前に比べてベッドで寝る人が増えたとか、変化といってもその程度だろう。
「働いている時間」は、ITの発達やテレワークの普及などで変化もあるが、それでも100年前にデスクワークしていた人は、現代でもデスクの前に座っているはずだ。

 なんといっても、この20年間でもっとも大きく根本的に変わったのは「移動している時間」だろう。

 簡単にいってしまえば、かつての移動時間というのは“死んだ時間”だった。出発して目的地に着くまでの数時間、基本的に通信も途絶状態だった。そのため、昔のサラリーマンは新幹線に乗り込むと「どうせ数時間は仕事ができない」と諦めて駅弁を開き、缶ビールを飲んでいた。しかし、現代のビジネスマンが新幹線に乗って、まず開くのはラップトップPC。もちろん、通信も可能だ。

⚫︎リニアをはじめとする高速鉄道は本当に必要なのか
 こうなると、新幹線の速度が上がって目的地までの所要時間が1時間短縮されたところで、さほどうれしくもないだろう。むしろ、列車の速度よりも「快適な作業環境」こそが、利用者が鉄道に求めているものではないのか。
 たとえば、豪華なクルーズ船というのは、そもそも「速さ」よりも「快適さ」を重視した移動手段だが、現在では衛星回線を利用したインターネットも使用できるようになっている。今後はビジネス・エグゼクティブの移動手段としての需要が増えてもおかしくないはずだ。

 世界各地の入札で中国に敗れ続けながらも、日本は新幹線を輸出するべくアプローチを続けている。2015年にはバンコク―チェンマイ間(約670km)の高速鉄道建設で日本はタイ政府と合意し、正式契約も締結された。しかし、高速鉄道は本当に「今求められるもの」なのだろうか? また、品川―名古屋間を40分で結ぶリニア中央新幹線は、本当に必要なのか?

⚫︎高速鉄道が成功を収める地理的条件
 世界初の長距離高速鉄道として1964年に開業した東海道新幹線は営業面でも成功を収め、現在でもJR東海の圧倒的主力路線として活躍中である。しかし、この成功の背景には、ある「地理的な条件」が存在していたはずだ。

 東京―新大阪間の路線距離は515km。この程度の距離で、しかも同じ本州に位置する日本の首都と当時の第2の都市を結んだことが、東海道新幹線の成功の理由だろう。そう考えれば、台北市・南港駅から高雄市・左営駅の345kmを約90分で結ぶ台湾高速鉄道も成功の条件を満たしている。実際に集客力も高いようだ。

 一方で、バンコク―チェンマイ間を結ぶタイの高速鉄道は前述の通り、日本が開発援助のパートナーとなったが、契約はしたもののプロジェクトは本格始動していない。現地では、この高速鉄道の採算性を問題視する声もあるという。670kmという距離に問題があるのだろうか。

 東海道・山陽新幹線で東京駅から670kmというと、岡山のあたり。高速鉄道の限界ギリギリかもしれない。行き先が広島なら、多くの人が飛行機を利用するだろう。また、ニュージーランドのように首都ウェリントンと第2の都市クライストチャーチが南北の島に分かれている国も、高速鉄道建設には向いていないはずだ。

⚫︎クルマ社会では「降りた後の移動手段」も重要
 さらに、2022年3月には米国のバイデン大統領が雇用プランの一環として、テキサス州に日本の技術で高速鉄道を建設するプロジェクトを発表したが、これはどうだろう。ヒューストン―ダラス間、約380kmを90分で結ぶというから、距離は台湾高速鉄道と同程度。しかし、バイデン大統領は「公共交通の整備」も雇用プランに掲げているが、アメリカの社会を考えると「高速鉄道に乗るまで、降りた後の移動手段は?」と心配になってしまう。

 ちなみに、私は22年4月にダラスに滞在していたが、現地のビジネスマンと会話しても誰もこのプロジェクトを知らなかった。私がプロジェクトが現在進行中であることを伝えると、彼らは一様に
「そんなのカネの無駄遣いだ。プロジェクトを主導している政治家はアメリカのことがわかっているのか⁉ クルマ社会のテキサスで、駅に着いてからどうすればいいんだよ」と語っていた。

⚫︎カップ麺が1分で完成しても価値は3倍にはならない
 では、着々と建設が進められてきたリニア中央新幹線は成功するのだろうか?
2027年に開業が予定されている品川―名古屋間は約285km。この距離が、最高時速505kmのリニアモーターカーによって約40分で結ばれるという。突発的に「1時間以内に東京から名古屋に行かなければいけない」という事態に遭遇した人には、唯一の移動手段となるだろう。しかし、そんな人がどれだけいるだろうか。それ以外の人々にとって、リニア新幹線の速さはどれだけの価値を持つのだろうか。

 そもそも前述の通り移動手段の価値基準は「速さ」から「快適さ」へと重心が移りつつあるが、それ以前から「速さ」がもたらす価値には一定の限界があったはずだ。

 たとえば、お湯を注いで3分で食べられるカップ麺は世界的ヒット商品となったが、調理時間を1分に短縮したところで売り上げが3倍にならないことは、すでに実証されている。また、調理時間が5分という商品も、市場で特に劣勢というわけではない。つまり、カップ麺の調理時間に求められる「速さ」は、3分前後で価値をもたらす限界に達するということだ。

⚫︎リニアは速すぎて従来の鉄道と同じ通信手段を使えない
 現代の移動手段では、ある意味で速さよりも重要になる「快適な作業環境」という要素はどうだろうか。前述したクルーズ船や、飛行機では衛星回線を使ったインターネット・サービスが利用できるが、鉄道で衛星回線を利用している例はまだ聞いたことがない。そして、リニア中央新幹線は従来の鉄道と同じ通信手段を使うには「速過ぎる」という問題を抱えている。

 JR東海はホームページにリニア中央新幹線に関するFAQのコーナーを設けていて、
トンネルの中でも電波はありますか。(車内で携帯電話やPCのインターネットは繋がりますか。)(原文ママ、以下同)
という質問に対して次のように回答している。
 営業線での携帯電話やインターネット接続サービスは、今後の世の中の技術の動向やお客さまのニーズを踏まえ、より良いサービスの形を今後検討していきます。
要するに、現時点では問題が存在し、それが解決できるかもわからない、ということだ。大丈夫か⁉
ー編集部註:JR東海は、プレジデントオンラインに対し「リニアの走行環境における通信について、現時点で実用化の見込みは立っている」と回答しています。

⚫︎日本人はテクノロジーを向ける先の把握が苦手
 2005年から15年までフランスのブガッティ・オトモビルが生産していたスーパーカー「ヴェイロン」は、標準モデルでも最高時速407kmという驚愕(きょうがく)のスペックを誇った。時速200kmで飛ばしているクルマを、さらに200km以上速い速度でブチ抜けるというのだから尋常ではない。「東京から成田まで最高速度で巡航すればわずか10分。ただし、道路が直線ならば(笑)」といわれたほどだ。

 しかし、限定生産300台の内、日本には15台が割り当てられていたが、実際の販売は3台にとどまった。日本での販売価格は1億6000万円以上だったが、この手の商品に価格はあまり関係ない。「最高速度の時速407kmを出すには、一度停まって、ウィングを出す必要がある」という“意味不明”のメカニズムがユーザーに敬遠された可能性はあるが、やはり「最高時速・407km」は必要の限界を超えた速さだったのだろう。

 自動車の開発者が速いクルマを作りたくなるのは当然だ。それは、自動車に関わるすべての技術者の本能かもしれない。

 しかし、ビジネスの焦点は、必ずしもそこにはないということだ。実際に、スーパーカーのマーケットは自動車産業全体の一部に過ぎない。軽自動車のマーケットも存在するし、大型トラックのマーケットも存在するのだ。軽自動車マーケットで儲けようというのなら「速さ」とは異なるセールス・ポイントが必要になるのは、いうまでもない。

 つまり、テクノロジーを向ける先を正確に把握することが必要なのだが、私には、どうも日本人はここも苦手にしているように思えてならない。

⚫︎テレビの「リモート出演」もいつの間にかスタンダードになった
 たとえば、テレビ放送や受信用モニターは驚くべき貪欲さで画質を向上させているが、この開発競争はどこまで意味があるのか。多くの人が「もう、いいでしょ⁉」と感じているはずだ。人間の眼には限界がある。一定のレベルを超えれば、どんなに画質を向上させてもヴェイロンの過剰なスピードと同じになってしまうのだ。

 そして、コロナ禍は図らずも「テレビにこれ以上の画質は必要ない」ということを多くの人に体験的に認識させてしまった。ワイドショーの出演者の多くが、スタジオで密状態になることを避けてインターネット回線を利用してリモートで出演するようになったが、ほとんどの視聴者がその低画質によるストレスを感じないからスタンダード化している。

⚫︎温水洗浄便座が世界的ヒットになったワケ
 私にも、日本の大手家電メーカーに勤める友人がいる。彼は、私に会うと自分が携わっている新商品の話をしてくれる。
「今度の商品には、こんな機能がついている。さらに、こんな機能も。そして、スマホを活用すれば、こんなことだって可能だ」
 私は、聞きながら「その機能って、必要か?」と考えている。友人も、それらの新機能に大きな価値がないことはわかっているから、話しているうちに声のトーンも落ちてくる。
 一説によると、撃沈された戦艦大和も“無駄なテクノロジー”の塊だったそうだ。日本人には、誤った方向へテクノロジーを発展させていく性癖があるのかと思えてしまう。

 近年、日本人の創意工夫が正しい方向に向かってヒット商品を作った例といえば、ウォシュレットなどの温水洗浄便座ぐらいのものかもしれない。この商品では日本のテクノロジーが正しい方向に向かったということだが、その理由も明確な気がする。

 まず、この商品では開発に際してテクノロジーを向ける先が、間違えようもないほどハッキリしている。排便後の肛門周辺を洗浄するということだ。そして、従来はそこにトイレットペーパーが置いてあっただけ。目的を見誤ることなく、存分の創意工夫を働かせる余地があったから、日本の温水洗浄便座は中国などでもヒット商品となったのだ。

⚫︎どんな技術にも「価値の限界」がある
 しかし、今後はわからない。「インターネットを利用して、帰宅時刻に合わせて便座を温めておける!」とか「毎朝、尿の状態を便器から直接、5G通信で医療検査機関に送って健康チェック!」なんていうアイデアが反映され、他の家電商品と同様に国際的競争力を失ってしまうかもしれない。

 どんな技術にも「価値の限界」があるということでもある。1970年代の日本のテレビCMで頻繁に目にした家電製品といえば電気シェーバーだが、最近では通販番組でもほとんど見かけない。もちろん、世の中からシェーバーがなくなったわけではない。どういうことかといえば、もはやシェーバーにはテレビCMを放送してまでアピールするべき新技術は残されていないということだろう。

⚫︎中国との価格競争は「してはいけない競争」だった
 日本の家電製品が世界市場で競争力を低下させていった背景には、もちろん中国をはじめとする新興工業国の製品との価格競争もあった。しかし、その競争は「してはいけない競争」ではなかったか。日本で非正規雇用の労働者が急増した背景には、間違いなく、この価格競争が存在している。

 📗小林邦宏『鉄道ビジネスから世界を読む』(インターナショナル新書)

 価格競争で日本が中国に敗れるというのは、アフリカにおける鉄道開発の受注争いと同じだ。そして、価格面の不利を補うために日本側が採用する戦略も同じで、「付加価値をつける」というものだ。この付加価値を考えようとして、日本人は往々にして誤り、テクノロジーを「はぁ?」と思うような方向へ発展させてしまうのだろう。

 テクノロジーを正しい方向に向けることができれば、価格競争に巻き込まれることのない価値を持った商品を開発することができる。
 たとえば「デロンギ」などに代表されるイタリアの一部のコーヒーメーカーは、価格とは関係なしの価値を認められ、世界中のコーヒーファンに愛用されている。コーヒーメーカーに求められるテクノロジーも結局は「美味いコーヒーをいれる」という一点が核心で、高い技術力をそこに集約できれば、競争力のある商品を生むことができるのだ。

⚫︎本当に求められる技術を考える
 日本では一般的に「汎用性のある技術」が高い評価を得る傾向にあったと思うが、現在の世界市場で生き残るために必要な技術は「唯一無二の価値を生む技術」なのだ。「白物家電」などといったカテゴライズで考えるのではなく冷蔵庫なら冷蔵庫で、洗濯機なら洗濯機で、本当に求められる技術はなにかを、もう一度、検討するべきではないかと思う。
 よく冷える冷蔵庫、汚れがよく落ちる洗濯機……そういえば「吸引力の落ちない掃除機」はヒット商品になったではないか。それを開発する技術力が日本になかったとは思えない。やはり、テクノロジーを向ける先を正確にフォーカスできていなかった。


▶︎小林 邦宏(こばやし くにひろ) 元住友商事社員、YouTuber 1977年生まれ。
 旅するビジネスマン。2001年、東京大学卒業後、住友商事株式会社入社。情報産業部門に配属されるも、世界中を旅しながら仕事をするという夢を実現するため、28歳で自ら商社を起業し、花、水産物、プラスチックなどの卸売りを開始。「大手と同じことをやっていては生き残れない」という考えのもと、南米、アフリカ、東欧、中近東などに赴き、知られていないニッチな商材を見つけ、ビジネスを展開。著書に『なぜ僕は「ケニアのバラ」を輸入したのか?』(幻冬舎)。


💋本当になにかと性善説が根底にある様で…日本と世界の価値観は異なるを自覚すべし…
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2022-08-30 20:46:00 | 🚶 歩く
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東山から比叡山

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東山公園から西山山系



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