goo何気無い日々が心地よい安寧

何気無い日々が続く様に。生きていく事の大変さがカナン。ある種空気の様な存在になりたいもの。

ポケモンのマンホールふた「ポケふた」グッズ販売 缶バッジなど、京都市上下水道局 202208

2022-08-25 22:38:00 | 〽️ 行事・新案内等 控え

ポケモンのマンホールふた「ポケふた」グッズ販売 缶バッジなど、京都市上下水道局
 京都新聞 より 220825  




京都市上下水道局が販売する「ポケふた」のラバーキーホルダー(同局提供)

 京都市上下水道局は、人気ゲーム「ポケットモンスター」のキャラクターをあしらったマンホールのふた「ポケふた」のグッズを30日から販売する。

 ポケふたは,版権管理会社「ポケモン」(東京都)が全国の自治体と連携して設置している。
京都市内には昨年3月に岡崎公園(左京区)、円山公園(東山区)など5カ所にお目見えし、8月に商品化が実現したことから、同局が一部を買い取り、販売する。

 グッズは
缶バッジ(1個440円)、
ラバーキーホルダー(同770円)、
ポストカード(1枚275円)の3種類。
 キャラクターは、赤い翼が特徴の「ホウオウ」や頭の葉っぱが印象的な「チコリータ」などのポケモンで、上下水道局の担当者は「下水道に親しみを持ってもらえれば」と話している。
 販売は,30日午後1時から左京区の琵琶湖疏水記念館で始める。在庫が無くなり次第終了。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トンボとヤンマは何が違う?日本が秋津(トンボ)の国と言われてきたのはなぜ? 202208

2022-08-25 21:45:37 | 📚 豆知識・雑学

トンボとヤンマは何が違う?日本が秋津(トンボ)の国と言われてきたのはなぜ?
  tenkiJP より 220825  ホシナ コウヤ


 暦の上ではもう秋。とてもそうは思えない陽気とはいえ、田んぼの稲穂は既に色づき、稔りの季節に着実に移行しています。
 春から活動してきた虫たちにとっても、秋は次世代の引き継ぎや冬眠に備えて、あわただしい季節となります。
 晩夏から秋を代表する虫は、「秋津虫」の名を戴くトンボです。古来日本は雅号で「大日本秋津國」、トンボの国を自称してきました。なぜ日本は「トンボの国」なのでしょう。

 トンボ目独特の交尾。イトトンボは独特のハート形を形成します

 天地開闢のときから、この国はトンボと一体だった
是(ここ)に、陰陽(めを)始めて遘合(みとのまぐはひ)して夫婦(をうとめ)と為る。

 産(こう)む時に至りて、先づ淡路洲(あはぢのしま)を以て胞(え)とす。意(みこころ)に悦びざる所なり。故、名(なづ)けて淡路州と曰(い)ふ。廻(すなは)ち大日本豊秋津州(おほやまととよあきづしま)と曰ふ。日本、此をば邪麻騰(やまと)と云ふ。下皆此に效(なら)へ。
(日本書紀 神代上 第三段 一書第一)

 国生み神話で、まず淡路島を産んだイザナギ・イザナミの両神はあまり喜ばず「ぴったりこない」(あはぢ)と再度挑戦、本州に当たる大日本豊秋津州を産んで「邪麻騰(やまと)」とした。とあります。時代が下り、神武天皇の御世には、

 三十有一年の夏四月の乙酉の朔(ついたちのひ)に、皇(すめらみこと)興巡(めぐ)り幸(いでま)す。因りて腋上の嗛間丘(ほほまのおか)に登りまして、國の状(かたち)を廻らし望みて曰はく、「姸哉乎(あなにや ※『なんとすばらしい』の意味の感嘆詞)、國を得つること。内木綿(うつゆふ)の眞迮(まさ)き國と雖(いへど)も、蜻蛉(あきつ)の臀呫(となめ)の如くにあるかな」とのたまふ。此に由(よ)りて、始めて秋津州(あきつしま)の號(な)有り。
(日本書紀 神武天皇 三十一年四月)

とあり、神武天皇が東征により本州に拠点を得、国の姿を高所に登って眺め「トンボの雌雄が交尾の際に連結しているような形だ」と呟いたことから、日本、もしくは本州を「秋津島」と呼ぶようになった、という由来譚が語られます。
 もちろん、本州全土を見渡せるような高所から見下ろすことなどできませんから、これは大和地方の限られた地域(奈良県御所市東北部付近)を見下ろしての言葉です。
 いずれにしても、大和地方(奈良を中心とした畿内)、もしくは本州、更に後には日本列島すべてを「秋津の島」つまりトンボの島と繰り返し、神々、歴代天皇が印象付けていることは不思議なことです。
その解釈については後述します。

 日本列島の各地に広がる谷津。その地形が自然と人が共生しうる原型だと神話が語ります

昆虫界のスカイハイ。トンボの飛翔能力の秘密
 トンボ目(蜻蛉目Odonata)は、全世界に現在約5,000種、日本には200種前後が生息しています。
 大きく均翅亜目(イトトンボ科、カワトンボ科など)と、不均翅亜目(トンボ科、ヤンマ科、オニヤンマ科、サナエトンボ科など)とに分かれ、均翅亜目は前翅と後翅がほぼ同じ形状、細い胴、左右両端に分かれた複眼、水辺に棲み(時にイトトンボは市街地にも現れますが)、飛翔がふわふわとしているなどの特徴があります。
 一方不均翅亜目は、後翅が前翅よりも幅が広く、がっしりとした胴と額で密接した複眼が特徴で、飛翔は力強く、長時間の飛行にも耐えて、海を渡ってくる種もあります。

 昆虫の進化の過程でトンボ目は、翅のないトビムシ、イシノミなどの原始的昆虫(無翅類)から、カゲロウ目(蜉蝣目)とともにもっとも初期に分岐し、変態によって翅を獲得した古代種昆虫の末裔です。
 翅のある昆虫(有翅昆虫亜綱)のうち、トンボ目とカゲロウ目のみによって旧翅下綱を構成し、それ以外の昆虫、たとえばセミやカブトムシ、カマキリやバッタやチョウ、アリ、ハチ等々、私たちが日常で見かけるあらゆる昆虫が新翅下綱に属します。

 トンボの翅は、ハチやハエのように胴体背面に沿うように畳むことができず、また甲虫類やバッタ、カメムシのように折り畳んで収納することもできません。つねに胴体両側に真横に大きく広げているか、背に沿って両翅を合わせるかしかできないのです。
 ではその分、もっとも進化しているとされる完全変態を遂げるチョウやハチなどの貧新翅類、あるいはトンボと同様に不完全変態のバッタやセミやクワガタなどの多新翅類と比べて、飛翔能力について劣るかというとそんなことはなく、他のどの昆虫よりも飛翔能力に長けており、他の昆虫はトンボの万能の飛翔力にまったく太刀打ちできません。

 なぜ原始的なはずのトンボがもっともすぐれた能力をもつのでしょうか。
 それは、トンボが繫栄を始めた中生代三畳紀ごろには、空には天敵がいなかったからと考えられます。後の時代になると、ジュラ紀には翼竜や翼のある恐竜、そして新生代には鳥が出現したために、昆虫たちは空での活動を制限し、放棄する方向に進化したためです。
 しかし多くの昆虫たちが鳥類との競合を避ける中で、頑なに制空権を譲らず、何億年にも亘って飛翔能力に特化して見事に生き残ってきた種がトンボと言えます。

 ギンヤンマ(Anax parthenope)は昆虫界最速の時速70kmのスピードを誇りますし、反転や宙返りもお手の物。目的地について間もなくすぐ帰ることを『とんぼ帰り』と言いますが、見事な方向転換を見せるトンボの様子からできた成語です。
 なぜそのようなことがトンボにできるかと言えば、その秘密はナイフ状の四枚の翅にあります。

 日本固有種ムカシトンボ。世界中で絶滅した種が、日本の特異な自然の中生き残りました

 昆虫の翅の羽ばたきを司るのは飛翔筋と呼ばれる一連の筋肉ですが、これには大別して間接飛翔筋と直接飛翔筋があり、間接飛翔筋は、翅の接続された胸部背面の外殻内部に、強力な筋肉がついており、背面外殻を収縮させることで、蝶番で接続された翅が羽ばたく仕組みで、素早く翅をふるわす昆虫は、この飛び方です。
 一方直接飛翔筋は、翅一枚一枚の根元に接続した筋肉で、翅を直接意志によって羽ばたかせる方法です。トンボは飛翔のすべてを直接飛翔筋により動かしており、四枚の翅はそれぞれ別個に自在に動かすことができます。
 このため、方向転換やホバリング、後退飛行、急停止なども思いのまま。またトンボは、ひらひらと舞うチョウ(一秒間の羽ばたきは10~20回程度)と同じくらい、飛翔音が聞こえず、静かに飛びます。池や田などの水辺でトンボが飛んできて葉先につと停まる。その際のシンとした無音の一瞬を、体験したことがあるのではないでしょうか。
 トンボの一秒間の羽ばたきは全速のときでも20回程度で羽音はきわめて低く、目標に向けて減速しながら流し飛びしているときには羽ばたきをやめて滑空しているため、音をまったく出しません。
 トンボの翅は、いかにも脆弱な2ミクロンほどの薄さですが、その表面は翅脈ごとにかなりの山谷があり、でこぼこになっています。平坦なチョウの翅とは対照的です。しかしこれによって翅上に気流を作り出し、強い揚力を得て低速で飛んでも墜落せずにいられるのです。
 また、翅の表面には油脂によるナノ構造の突起が無数に張り巡らされており、水濡れを防ぐとともに、空気抵抗の調節にも役立っていると考えられています。

 そして「メガネ」にもたとえられるトンボの巨大な複眼は、ハエの10倍の数にもなる1万~3万もの個眼の集合体で、視野角は270°。
 六本の足は歩くためにはまったく機能せず、先端に鋭いかぎづめが、そして上腕からつけ根にかけても鋭いのこぎり状の刃がついており、獲物をがっちりホールドして逃さないクレーンのような仕組みとなっています。 日本最大種のオニヤンマ (Anotogaster sieboldii Sélys) はあのオオスズメバチすら捕食する空中の最強昆虫で、空飛ぶハンティングマシーンとも言えます。

 ギンヤンマのタンデム。雄は雌の頭部を腹部後端でつかみ、産卵を促します

 ヤンマとアキツの名に隠れた意味。やはり日本はトンボの国だった
 トンボがなぜトンボと呼ばれるようになったかは、「飛羽(とびは)」「飛棒(とびぼう)」「飛穂(とびほ)」などの説がありますが、どれもこじつけです。一方、方言などでトンボを「とんぶり」「タンブ」「どんぶ」などと呼ぶ事例から、トンボが止水域の沼や池に生息し、つまりは「どぶ」(混濁した溝や水域)と関係がある、という説にも疑問があります。「どんぶ」という言葉は、元々は井戸に物が落ちた音をあらわす擬音(オノマトペ)から来ています。空中を自由自在に飛び回るトンボと、深く重い言葉である「どぶ」「どんぶ」はイメージが食い違います。

「とんぼ」にもっとも近い音を持つ生き物の名前があります。「とんび」です。本来はトビで、とんびは飛騨地方の方言ですが、上空高く翼を大きく広げて悠々と旋回するトビの飛翔とそのシルエットは、トンボと似通っています。
 そして、トンボもトンビも、神話の中で尊い生き物として天孫を援ける姿が描写されることでも共通します。トビの眷属として、愛称的な「んぼ(ん坊)」がつけられたのが「トンボ」なのではないでしょうか。

 では、「アキツ」と「ヤンマ」についてはどうでしょうか。アキツは、地方の方言でアケズ、アキヅなどの名が残っていることからも、古くから和語の中にあったことは確かです。
 日本が「秋津島」と呼ばれたのは、大陸と比べて山と川と湿地の多い日本に数多くのトンボが飛び交っていたからですが、むしろこの因果を逆に考えるとどうでしょうか。
「あきつ」という語自体にその秘密が隠れています。「あきつ」とは通常「秋の」という意味だと説明されますが、そうではなく、窪地、盆地を意味する「あくつ」から転じたものなのです。連なる山襞、川がえぐって作る谷間が織りなす無数の盆地、窪地。その地に飛び交う生き物だからこそ、トンボは「あくつ」と呼ばれたのです。
 つまり、そのような地形をなす島国だから「あくつの島」と呼んだのだ、と言えないでしょうか。

 大型のトンボを指す「ヤンマ」も同様です。谷あいを意味する「やんば(八ッ場)」や「やつ」「やと」「やぶ」「ゑんば」、そして現代では高い土地を意味する「やま」もまた、古くは水源を有する隠れた奥地の意味でした。先史時代の伝説の「邪馬台国」の「やまたい」も同様です。
『日本書紀』の「日本、此をば邪麻騰(やまと)と云ふ。」に既に答えが書かれていますよね。「あくつ」の多い土地に数多く生息することから「あきつ」、そして「やつ」「やんば」「やま」を棲み処とすることから「やんま」、とどちらの名もまた日本の古名に由来する、と考えれば、二つの名に共通性が生まれます。

 ヤンマもアキツも、どちらも日本国の地形と特性を表した言葉だったからこそ、トンボは古来そのどちらの名でも呼ばれ、後代になって大型のトンボと中・小型のトンボとを分ける意味へと転じたのではないでしょうか。
 そして、水が多く、緑が多く、多湿な日本という国に発生する無数の羽虫たちをせっせと食べ、人を助けてきたのが空のハンター・トンボたちです。
 やはりこの国は「トンボの国」で間違いないでしょう。

(参考)
トンボの進化過程と分岐年代を分子系統解析により解明 筑波大学2021年10月広報
昆虫 旺文社

トンボ目日本最大種オニヤンマ。三億年前から空を支配したトンボの威厳を感じませんか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

⚠️ 赤字ローカル線の厳しすぎる実態から見えた、人口激減ニッポンの「不都合な真実」人口流出などより大きな問題が 202208

2022-08-25 21:30:11 | 気になる モノ・コト

赤字ローカル線の厳しすぎる実態から見えた、人口激減ニッポンの「不都合な真実」 人口流出などより大きな問題がある
  現代ビジネスオンライン より 220825    河合 雅司


 少子高齢化と人口減少が加速し、衰退する日本社会はどこに向かうのか? 『未来の年表』シリーズの著者・河合雅司氏が、人口減少ニッポンでビジネスの世界に起こることをデータから描き出す――。

⚫︎赤字ローカル線の「衝撃実態」
 国土交通省の有識者会議がまとめた提言をきっかけとして、JRの赤字ローカル線の廃止に向けた流れが急速に強まりそうだ。

 提言の内容は、輸送密度(1キロメートルあたりの1日平均利用者数)が1000人未満かつ、ピーク時の乗客数が1時間あたり500人未満である場合などを目安に、沿線自治体と鉄道会社に国も加えた協議会を設置して3年以内に結論を出すよう求めるものだ。

 この提言に合わせてJR西日本とJR東日本が相次いで区間ごとの赤字額を初公表したが、JR西日本は17路線30区間で248億円(2017~19年度の平均)、
JR東日本は35路線66区間で693億円(2019年度)であった。

 JR東日本の場合、赤字が最大だったのは羽越本線の村上駅-鶴岡駅間の49億900万円。100円の運賃収入を得るためにいくらの費用を要するかを示す「営業係数」では、久留里線久留里駅-上総亀山駅間では1万5546円もかかっていることが明らかになった。

 両社はこれまで大都市圏や新幹線の利益を「内部補助」として回すことで、何とかローカル線を存続させてきたが、コロナ禍の影響で「採算度外視」の大盤振る舞いは続けられなくなったということだ。

 大都市圏の運賃収入のみならず「ドル箱」だった新幹線の収益までが落ち込んだためである。しかも、今後は都市圏でも人口が減っていくため、コロナ禍が終息してもこれらの収入は長期的な縮小傾向が予想される。「内部補助」という手法そのものが破綻しそうなのである。

⚫︎問われる「生活インフラ全体の持続可能性」
 これに対して、地方側は警戒感を強めている。廃線が引き金となって沿線人口の流出が加速するのではないかとの懸念があるためだ。

 高校生の通学や高齢者の通院や買い物の足となっていたり、観光資源となっていたりして、知事や沿線自治体の首長などからは存続を求める声が上がっている。

 このため、提言も路線バスへの転換を促すだけでなく、地方自治体などが鉄道事業者に代わって施設や車両を保有する「上下分離方式」なども選択肢として掲げた。

 国鉄分割民営化以来の大きな節目を迎えているわけだが、国鉄民営化の当時は人口が増えていた時代だ。大都市圏までが人口減少に悩む現在とでは日本社会を取り巻く環境はあまりに違い過ぎる。

 こうした点を考慮せず、赤字ローカル線を単なる鉄道事業者の経営問題に矮小化して考えたのではことの本質を見誤る。
 問われているのは、地方における公共交通機関の在り方ではなく,需要が急速に縮小していく人口激減地域における民間サービスを含めた生活インフラ全体の持続可能性なのである。

 ローカル線が赤字を積み重ねてきた大きな要因は、マイカー所有者が増えて利用者が減ったことだ。利用者減に伴って運行本数が減り、運賃が値上げされていく。
 そうして使い勝手が悪くなるとさら利用者が減って行くという悪循環である。

⚫︎高齢化と人口減少による大打撃
 だが,将来を展望すると,今後はむしろ高齢化と人口減少による影響のほうが大きくなる。
高齢化が進めば、自動車運転免許を自主返納する人も増える。こうした点をとらえて「これからはマイカーから鉄道利用に切り替える人が増える」という見立てもあるが、ローカル線の沿線エリアにはすでに高齢者までもが減り始めている地域が少なくなく、こうした利用者も先細りとなる。
 ましてや住民全部が駅を囲むように住んでいるわけでない。加齢に伴い駅まで行くことが難しくなる人の増加も予想される。

 税金を投入して「上下分離方式」などの対策を講じればローカル線の収支は一時的に改善するかもしれないが、その多くは時間稼ぎに終わるだろう。

 それは路線バスへの転換についても同じことが言える。地方においてバス路線も廃止の動きも広がっている。
 国土交通省の「交通政策白書」によれば、
2020年度は乗合バス事業者の99.6%が赤字であった。
路線バスの廃止キロ数は2010年度から2020年度までの累計で1万3845キロに及んでいる。

 鉄道であるか、路線バスであるかにかかわらず、観光客を含めたその地域の商圏人口(周辺人口)が、運行事業者が存続し得る必要数に届かなくなければ経営は続けられなくなる。

⚫︎公共サービスに「上乗せ料金」が発生する日
 政府の地方創生の議論においては「地方」とひとくくりにしがちだが、過疎集落ほど人口の減るスピードは速い。

 総務省の「過疎地域等における集落の状況に関する現況把握調査最終報告」(2019年度)によれば、2015年の前回調査と比べて、集落数は0.6%(349集落)減った。
 人口にすると6.9%(72万5590人)減だ。
 このうち139の集落は無人化した。
 住民の過半数が65歳以上という集落は22.1%から32.2%へと増加しており、2744集落はいずれ消滅すると見られている。

 先に「人口激減地域における生活インフラ全体の持続可能性」が問題の本質であると述べたが、赤字ローカル線というのは明日の水道や電気の姿だ。
 こうした公共サービスは人口が減ったからと言ってただちに撤退したり、値上がりしたりするわけではないが、利用者が減れば経営はダメージを受ける。

 しかも、利用者が少なくなっても水道管や送電線などの点検や修繕は続けなければならず、商圏人口の縮小に合わせて事業規模を縮めるわけにはいかない。コスト削減に制約があるのに利用者が減り続ければ、一軒あたりに要するコストは膨らんでいく。

 民間事業者はもっとシビアだ。経営維持に必要な利用者がいなくなれば撤退が始まる。
日用品を扱うスーパーマーケットや商店はもとより、診療所や介護サービス事業所などが無くなれば不便を通り越して生活を続けることが難しくなる。
 すでに、ガソリンを給油するために遠方のガソリンスタンドまで行かなければならない地域は広がっている。

 民間事業者が立地できる商圏規模を失っても事業を継続しようとするならば、最終的には価格の大幅引き上げをするしかなくなるだろう。

 もちろん、多角経営で人口密度にかかわらず全国均一料金で提供できる経営体力を持つ事業者はあるだろうし、JRのように「内部補助」といった手法をとることのできる事業者もあるだろうが、すべてがこうした奥の手を使えるわけではない。
「内部補助」だって限度はある。
人口集積地の利用者にしてみれば本来負担すべき額よりも多く支払っているわけで、許容度を超す不公平を強いれば不満が出かねない。

 そうなれば、当然ながら「受益者負担」を求める声が強くなる。現在でも海上輸送のコストがかかる離島などでは日用品などが割高となっているが、これからは「人口密度の低い地区も、離島と同じく上乗せ料金を支払うべき」という声が強まらないとも限らない。
 そうした声は、いつ公共サービスに向くか分からない。

⚫︎人口減少社会の「不都合な真実」
 人口減少社会では、地域偏在が大きくなりやすい。それは地域ごとの費用対効果がこれまで以上にシビアに問われるようになるということだ。

 需要が急速に縮小していく人口激減地域での暮らしは、住宅費こそ安価で済むかもしれないが、それ以外の暮らしに関わるコストは総じて高くなることを覚悟する必要がある。
 今回浮上した赤字ローカル線の存廃問題は、人口減少社会における「不都合な真実」の一面を教えている。

 人口減少が深刻化する地方の持続可能性を少しでも高めるためには、地域内で人口集積を図ることが不可欠となる。
 多くの民間サービスが存続し得る10万人程度の商圏を可能な限り維持し、その中で公共交通機関の在り方をはじめさまざまな生活サービスをどう維持するかを考えることである。

 しかしながら、政府や地方自治体の政策はこれに逆行している。
その最たるものが、東京圏からの地方移住の推進だ。どこに住むかは個々の判断であり移住政策そのものを否定するつもりはないが、問題はやみくもに移住者を拡散している点だ。
 自治体の中には過疎地域の空き家の家賃を大胆に補助するところも多く、「地域内での人口集約」とは逆行する取り組みが目立つ。

 高齢者ばかりの集落に移住した人が集落の中で飛びぬけて若い住民となることは珍しくないが、そうした集落では移住してきた人が最後まで残ることになりかねない。これでは、将来に向けて極端に人口が少ない集落が点在する状況をあえて作り出しているようなものだ。
 こうした自治体は年々行政サービスや公共サービスの維持コストが膨らみ、地方財政に重くのしかかることだろう。
 政府や自治体が誘導する地方移住は「地域内の人口集約」政策とセットで推し進めるべきであり、移住先がどこでもいいわけではない。人口減少下で「多極分散社会」を追い求めるのは、極めて危ういことなのである。

 赤字ローカル線の存廃問題が問いかける人口減少社会のリアルから目を背け続けるならば、沿線地域だけでなく日本全体に勝者はいなくなる。




💋戦前或いは戦時立法での東京集中化関連法案の廃止(堺屋太一氏)、首都圏集中している大学や企業本社機能移転推進を止めれば!東京に文化施設の集中とか…全て行政や立法の不作為が多すぎる。マスコミも不勉強過ぎでは?地方選出議員が多いのに何故に東京集中?
 一度、法律が出来ると、例えばそれ関連で不都合に人が死なない限り改変されない不思議…。 災害大国と分かってても… 観光立国の矛盾。
 人口動勢はほぼ予測通りに推移してたのに、何故に…(コロナ禍で加速化)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

⚠️ 日中正常化50年、中国共産党の本質を見誤った瞬間 「分水嶺」としての1989年天安門事件 202208

2022-08-25 21:20:00 | なるほど  ふぅ〜ん

日中正常化50年、中国共産党の本質を見誤った瞬間 「分水嶺」としての1989年天安門事件
 Wedge より 220825  城山英巳


 日中両国は9月29日に国交正常化50周年を迎える。
8月2~3日、ペロシ米下院議長の台湾訪問に激怒した習近平国家主席は弾道ミサイルを次々発射し、うち5発を日本の排他的経済水域(EEZ)内に着弾させ、対日威嚇を強めた。

 中国の学生や若者が民主化へ動き、弾圧された1989年の天安門事件。日本はこの時に中国共産党を見誤ったと言える(AP/アフロ)

 日中高官は8月17日、天津で7時間にわたり協議したが、緊張はなお続く。友好と対立が交錯した50年間の日中関係の「分水嶺」はどこかと尋ねられれば、共産党が存亡の危機に瀕した1989年の天安門事件での日本政府の対中政策だろう。
 日本政府はあの時、一党独裁体制の維持のためには人民の流血も厭わない共産党の本質を見誤ったのではないか。

⚫︎「民主化」に進むか「強権国家」のままか
 筆者は、秘密指定を解除された日本の外交文書と、当時の外交官の証言を基に7月に『天安門ファイル―極秘記録から読み解く日本外交の「失敗」』(中央公論新社)を上梓した。序章にこう記した。

 「天安門事件前夜は、中国が最も民主主義に近づいた瞬間だった。それが6月3~4日の武力行使によって崩れた。6月4日以降、外交官たちは次のことで悩み、中国共産党の本質をつかもうとしたに違いない。

 中国は改革開放が進めば、民主化や自由化に進むのか、あるいは、もともと市民に銃口を向け、実際に発砲することもためらわない強権国家なのか――。

 贖罪意識を強く持ち、『友好』と『協力』を主流とした戦後日本の対中外交にとって『分水嶺』であった」

⚫︎「日本にとって望ましい中国像」描き対中外交
 血なまぐさい権力闘争が中国全土を大混乱に陥れた文化大革命(1966~76年)が毛沢東死去とともに終結してまだ13年。失脚から復活した鄧小平が78年にスタートさせた改革開放政策はインフレや腐敗などの副作用を生み、大学生らは政治改革も進めないと国は変わらないと憂国意識を強めた。当時の中国の経済規模は、日本の8分の1程度で、「弱い中国」だった。

 過去の戦争への贖罪意識を抱える日本政府は、戦後賠償の意味もあり、79年に対中政府開発援助(ODA)を開始した。
 当時日本の対中外交を仕切ったチャイナスクール外交官は、天安門事件という流血の人権弾圧があっても、対中ODAを通じて改革開放は進み、自分たちにとって「望ましい中国」がつくられるだろうと堅く信じた。

 天安門事件直後の89年6月12日の外交文書には「我が国にとって望ましい中国像」とは「あくまで、安定し、穏健な政策により近代化を進める中国」と明記された。
 日本が改革開放に関わる中で、ゆっくりと安定した形で民主化や自由化に進む中国の姿を描き、それが「国益」につながると判断した。

⚫︎外交官が見た「エネルギー」、民主化を期待
 上記のような天安門事件後の中国認識は、あくまで霞が関の外務官僚が描いたものだ。しかし現場の在北京日本大使館の若手外交官はそう考えなかった。
 大規模デモを展開する学生や市民のエネルギーを連日目の当たりにして、日本政府としても学生らの民主化運動に無関心であるべきではないと認識した。

 民主化の叫びが最高潮に達した89年5月に話を戻そう。

 5月15日、ソ連でペレストロイカ(政治体制改革)とグラスノスチ(情報公開)を進めるゴルバチョフ共産党書記長が歴史的な中ソ関係正常化実現のため北京入りした。
 中国共産党の変革を求める広場の学生たちは興奮し、17日についに、天安門広場やその周辺は人で埋め尽くされ、百万人デモに発展した。

 日本大使館の若手外交官は、たまたま訪中した日本の要人に同行し、ゴルバチョフもいた人民大会堂を訪れた。
 人民大会堂を出た瞬間、目の前の天安門広場を埋めた学生の期待の眼、刺すような視線を感じた。「ゴルバチョフ訪中で、情勢が好転していくんじゃないかという期待がみなぎっている輝いた視線だった」と回顧した。

 日本大使館は「百万人デモ」を観察し、東京に公電を送った。

 「今回の動きを通じ、党指導部の権威が大きくゆらいだことは疑いなく、無数の学生・市民が何らの規制を受けず、天安門広場を占拠し、『民主と自由』をさけぶことができることを実感したことの意義は大きく、党・政府指導部としては、今後、長期にわたり、こうした解き放たれつつあるエネルギーがこの国の体制の自由化、民主化、政治体制改革へ向けて強い圧力となって働くのをコントロールするのに腐心していくことになろう」(中島駐中大使発外相宛公電「中国内政(5・17デモ:当館観測)」89年5月18日)

⚫︎民主化運動は「中国内政問題」、共産党を最優先
 しかし東京の外務省では、あくまで日中関係をつくるパートナーは共産党・政府であり、その関係を最優先する対中方針が一貫していた。
 日本大使館は、「百万人デモ」5日後の5月22日、外務省中国課から「中国の学生デモ」と題した文書を受け取った。同文書には「日中関係への影響」としてこう記されていた。
 「本邦プレスの報道振り(学生に同情的)もあり、李鵬現指導部の今後の対応振りいかんでは、日中友好協力関係をプレイ・アップ〔大きく扱う〕したり、円借款等の経済協力を積極的に推進することに対する批判も出て来ることがあり得る。ただし、我が方としては、本件はあくまで中国の内政問題との立場から、はねかえりはないことを期待との対応とする」

 中国課では、学生に同情した趙紫陽共産党総書記の失脚が確定的となり、李鵬総理が中心となった中国政府との間で日中友好を継続、強化していく方針だった。
 中国学生らの民主化運動は「あくまで中国の内政問題」であり、静観することで、日本への「はね返り」が来ないことを期待するというのが基本的スタンスであった。
 これが摩擦を抱えながら大崩れしなかった1980年代の日中関係の現実であった。

⚫︎対中政府協力で日本は「嫌悪」対象になる
 人民解放軍の戦車が、天安門広場の武力制圧作戦に向け、本格的に前進を始めたのは6月3日夜。その21時間前の3日午前0時すぎ、北京の日本大使館から東京の外務省に「当館分析ペーパーの送付」と題した文書がフックス送信された。「ペーパー」の中身は、大使館政治部が5月31日に作成した「学生運動と趙紫陽の失脚」という「秘」指定の中国分析報告だった。

 全9ページの文書のうち、筆者が注目したのは、中国で起こっている民主化のうねりという激動に対して日本政府がどう向き合うか提言している箇所である。

 「わが国としては、あるいは国民の一部には反感さえ存在することが明らかになった政府を相手とすることになるかもしれないという意味で、戦後の日中関係上ほとんど経験したことのない局面を迎えたということができよう。極論すれば、現〔中国〕政府への支持・協力表明が一部〔中国〕国民からは反感をもって迎えられるという要素も十分考慮に入れつつ進める必要が出てきつつあると言えよう。
 少なくとも、今回の百万人デモで現れてきた民主化の流れは、今後の中国の将来への流れと見ることもできるわけであり、そうした人々の考え方や受け止め方にはわが国としても十分注意を払っていくべきであろう」

 日本の外交官が天安門広場で見たものは、鄧小平や李鵬ら共産党最高指導者を打倒しようとしている「民」の声であった。
 共産党・政府を相手にし、対中ODAなどを通じて共産党を支援し続ければ、日本政府あるいは日本も、中国の民から「嫌悪」の対象になりかねないと危惧した。
 もしかしたら中国は「共産党の中国」でなくなるかもしれない。民主化は「今後の中国の将来への流れ」ではないかと感じ、中国民間との関係を構築して対中外交を展開する必要があると提言したのだ。

⚫︎メモに記載された「流血」直後の日本大使館内
 人民解放軍は6月3日深夜から4日未明、学生を守るため天安門広場手前で激しく抵抗する市民に無差別発砲し、民主化運動はもろくも崩れた。

 日本大使館政治部。防衛駐在官(武官)・笠原直樹のもとに「北京飯店」の拠点から、「天安門広場は落ち着いた模様」と連絡が入ったのは4日午前6時5分。大使館は、民主化運動観察の前線として、天安門広場に近いホテル「北京飯店」に一室を確保し、館員が連日詰めていた。

 笠原はメモに、日本大使館内の状況をこう記録している。

 「外はすっかり明るくなっていた。誰も一睡もせず、あるものは情報を送り続け、あるものは電話をとり、あるものは電報を書き続けた。解放軍は、戦車まで動員した武力を使用して、学生の民主化運動を鎮圧した。長いあいだ日中友好のために頑張ってきた外務省中国関係者たち、いわゆるチャイナサービスといわれる人達のショックは大きい」。館員たちは皆、ガックリし、こう口にした。

 「市民に銃を向けるような、こんな中央はダメだ。いつかは倒れるよ」

 「情けない。予想もしていなかった」

⚫︎「農民の国」に民主化は無理と分析
 一方、外務省中国課は、天安門事件5日後の6月9日、重病説や死亡説すら出ていた鄧小平が公の場に登場したことで、混乱した事態が一応収束に向かうだろうと評価した。同時に中国の民主化問題についてこう分析した。

 「政治問題にほとんど関心がない8億の農民が政治的安定と経済的繁栄のみを追及する保守的な基盤として存在し続ける限り、中国の民主化実現は容易ではない」(中国課「中国情勢[鄧小平の登場]」89年6月10日)

 中国課は6月26日に作成した「極秘・無期限」指定の外交文書「中国情勢」でもこう記した。
 「将来の可能性はともかく、当分の間、中国における民主化要求の力を過大評価することは誤り。農民を中心に中国人の大多数は政治的自由に無関心」
 中国課は、中国は「農民の国」であり、民主化は無理だと片づけてしまった。

 天安門事件直後に外務省の作成した外交文書にはこう明記されている。
「民主・人権より長期的・大局的見地の重視」

 「温かい目で中国側の状況を見守っていく」(「我が国の今後の対中政策[今回の事態を踏まえて]」89年6月22日、「中国情勢―日米外相会談大臣発言要領―」日付不明)。
 日本政府は天安門事件後も中国共産党・政府だけを相手にした関係を構築し、共産党を孤立させず、国際社会に中国を巻き込む「関与政策」を目指した。

⚫︎外交官個人の「感情論」と組織の「外交論」
 筆者は拙著『天安門ファイル』の「あとがき」でこう記した。

 「天安門事件は、リアルタイムかつ目に見える形で、中国共産党体制の強権的かつ閉鎖的な本質が表れた瞬間であり、日本政府や日本人にとって中国の民主化の限界を考える初めての機会だったはずである」。日本政府はその分水嶺を見誤ったのではないだろうか。

 結局、現場にいた外交官個人の「感情論」は、国家としての方針を決める組織の「外交論」にどう影響を与えたのか――。

 学生の民主化運動の行方を追い、武力弾圧を目の当たりにして涙した当時日本大使館政治部一等書記官の佐藤重和は筆者のインタビューにこう答えた。
 「憤りはあったけど、われわれの感情的なもの、シンパシー的なものと、外交は別という意識はあった。ただ天安門事件の後に日本は真っ先に関係改善もしたわけですから、その気持ちの上ではわれわれはいろいろと割り切れないものが山ほどあった」。  

 外交官が現場で目撃した「中国共産党の本質」は封印されてしまった。

(『天安門ファイル』の一部を抜粋し、加筆・修正のうえで再構成、敬称略・肩書は当時)



💋今をみたら一目瞭然。残念。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

⚠️ ジム・ロジャーズ「今から『日本終了』に備えよ」 202208

2022-08-25 21:04:00 | 気になる モノ・コト

ジム・ロジャーズ「今から『日本終了』に備えよ」
 東洋経済オンライン より 220825  花輪 陽子:ファイナンシャルプランナー


 先進国の政府や中央銀行は必死になって危機を封じ込めようとしている。これからうまく行ったように見える瞬間があるかもしれない。だがロジャーズ氏は「最悪の結末が待っている」と言う
 シンガポール在住、ファイナンシャル・プランナーの花輪陽子です。引き続き、『世界大異変 現実を直視し、どう行動するか』から日本人のための資産防衛術をお伝えします。

⚫︎2040年の出生数は70万人、70歳を迎える人は200万人
 ジム・ロジャーズ氏は「このままでは20年後の『日本終了』が現実になる」と警告しますが、それはどういうことなのでしょうか。

「人口推計はあらゆる将来予測の中で、もっとも精度が高い予測と言われる。日本の国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、2021年に生まれた日本の子供の数(出生数)は、約81万1000人で、前年より3万人減少している。2040年には出生数は70万人前後にまで落ち込む見通しだ」

「その一方で、2040年に70歳になる1970年生まれの人は約200万人もいる。その頃には、70歳は高齢者に区別されていないかもしれないが、このまま現行の社会保障制度が維持できるとは思えない。これは私の意見や感想ではなく、数字が示す事実なのだ」

 現在、日本の公的医療保険制度は世界一充実しているとも言われています。アメリカやシンガポールなどは医療費が高額なことで知られていますが、例えば、少し前にシンガポールで難病になった外国人ヘルパーの医療費の請求が18万シンガポールドル(約1800万円)にもなったというニュースを見かけるほどなのです。

 どうしてここまで違うのでしょうか。日本では外国人労働者も条件を満たせば日本人と同様に社会保険に加入をすることができます。しかし、シンガポールでは外国人労働者は自分で民間医療保険を購入して高額な医療費に備える必要があるのです。
 日本のような高額療養費制度もありません。そのため、総額の医療費が数千万円に及ぶ場合もあります。一方で、国民に対しては助成があるために公立病院の医療費負担は緩和されています。

 しかし、利用する側からすると素晴らしい日本の医療制度ですが、国民医療費は財政を圧迫しています。

 令和元年(2019年)度の国民医療費は44兆3895億円(保険診療の対象とならない費用や、正常な妊娠・分娩、健康診断、予防接種など、傷病の治療以外の費用は含まない)と、前年度に比べ9946億円、2.3%の増加となりました。

 医療費は毎年約1兆円ずつ増え続けており、このままだと2040年には67兆円になるとの予測もあるほどです。今のところ、財源別の国民医療費は公費負担が約4割、保険料からが約5割、患者負担が約1割ですが、国が医療費負担をまかないきれなくなれば将来的にシンガポールのように患者負担が増えるリスクもあります。

 ロジャーズ氏は「月まで届きそうなほどの債務額」の増大、世界一のスピードで進む少子高齢化、保護主義(移民を受け入れない、存在価値が薄れた「ゾンビ企業」を延命させる、規制緩和をしない)等が20年後に日本を滅ぼすと言います。

 また、深刻な危機の影響を一番受けるのは中流階級です。「仕事もお金も失い、子供の教育機会も失ってしまうリスクが高い」と指摘します。日本人の多くは人生で繁栄と平和しか経験をしていませんが、10年後にはその状況が変わり、20~30年後には日本終了のリスクが高まるだろうと言うのです。

「円建ての年金」は将来大幅に目減りする危険がある
さらに、ロジャーズ氏はもし額面通り年金がもらえたとしても、インフレと円安で実質的な価値が大きく目減りするリスクがあると警告をします。

 現在、夫婦でもらえる標準的な年金額は月22万円程度ですが、アメリカでは標準的なサイズのカップ麺が約600円、スイスでビックマックセットを注文すると約1700円という記事が話題になっています。
 日本だけ物価が少し抑えられていたとしても、外に出れば円の価値の目減りを痛感することになるのです。日本でほそぼそと生活をすることはできるかもしれませんが、海外旅行に行くことが以前と比べて難しくなるでしょう。

「歴史上、財政赤字で窮地に陥った国はたくさんあるが、いずれもきちんと返済できた例はない。ブルボン朝時代のフランス、20世紀の2度における大戦間期のドイツ、戦後の日本、最近では財政破綻した旧ソ連がそうだ。
 みな猛烈なインフレに襲われ、国民の資産価値は大きく失われることになった」

 インフレの怖さを気にし始める頃には手遅れになるリスクもあると言います。そのために早期から「プランBへの準備が必須だ」と言います。

⚫︎必ずやって来る日本の危機に備えた「プランB」とは?
 私は、シンガポールで仕事や学校関係でアメリカ人と関わる機会も多く、アメリカに住んでいる友達も多いのですが、彼らと話していると、どんな小さなことでも、当初の計画がうまくいかない場合に備え「プランB」(次の手、代替案)を持っていることに気づかされます。たまに準備をしておらず、動揺している人も見かけますが、その際もすぐに「プランB」を考え、実行しています。

 例えば、新型コロナウイルスが流行りだした2020年のはじめでも、学校では対面授業が難しくなったと見るや、いつのまにか「次の日からオンライン授業を始めます」という通知が来るなど、とにかく決断と行動が早いのです。

 ロジャーズ氏は日本人に対してもプランBを準備しておくようにと強く言います。大きな危機が目の前に迫ってきた場合、すぐに手を打たなければ手遅れになるからです。今後の日本には、財政などマクロ的な危機のほかにも、地震などの自然災害、さらには台湾有事など地政学リスクの高まりなどが予想されるからです。

「大恐慌のような未曾有の危機に見舞われた場合に備えて、
第1に、海外に一部資産をおいておくこと、
第2に、流動資産を常に持っておくことが必要だ。そして、
第3に、自分自身で考え、他人が推奨している銘柄をむやみに買わないことも重要になる。 さらに、もう1つ、プランBの一環として、子供に他国の言語を習わせることも、次の人生を広げてくれることになるだろう」

 ロジャーズ氏が言うとおり、有事の際に備えて、手元の最低限の現金や、すぐにATMから引き出せる普通預金など、一定のお金は換金のしやすい形で置いておくべきでしょう。また、株式や債券などの流動資産も、数営業日で現金に変えることが可能です。
 そして、もし、近隣諸国で有事が起きた場合でも、そこから離れた海外に口座や拠点があると、やはり安心感があるでしょう。それは保険のようなものです。

「もし明日、大恐慌が来て、そのときに元手の何倍も取引ができるレバレッジ取引をたくさんしていたり、流動性のない資産ばかり持っていたら、全資産を失う可能性がある。しかし、流動資産があれば大恐慌を生き残ることができる」

 ロジャーズ氏は、経済危機について、賢い企業経営者なら、悪い膿を出し切らせ、復活するきっかけになる可能性があると言います。また一部の人にとっては大もうけするチャンスでもあります。そのため、危機やクラッシュは必ずしもわるいことだけではないとよく口にします。

「『危機』は、その文字の通り、危険の後にはチャンスが来るということでもある。一定の流動資産があれば、その機会を手に入れる原資にもなるはずだ」

プランBをしっかり準備をして、災い転じて福となすことができるようにしたいところですね。

(当記事は「会社四季報オンライン」にも掲載しています)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする