私がハングルもろくに読めないのに、韓国に仕事を得て、その地に向かったのがもう10年も前のこと・・・
文字の素晴らしさ(たとえば、規則さえわかれば、意味がわからなくてもとりあえず、声に出して読むことができる)にも感動しましたが、日本語にはない表現のあいさつの言葉にも驚きました。
たとえば、別れのあいさつの「さようなら」ですが、韓国語では、その場に残る人と、立ち去る人では、言う言葉が違います。
その場を去る人が、その場に居残る人に言うのは、”? ???.” (無事に、安寧に、いてね)
その場に居残る人が、その場を去る人に言うのは、"? ??." (無事に、安寧に、行ってね)
これは、私は非常に面白い表現だと思いました。なぜ、よく覚えているかというと・・・当時、日本からいらっしゃった筑波大学の先生から、韓国語で何か面白い表現はないかと聞かれたので、私はこれを答えたからです。(しかし、筑波大学の先生はそんなことは百も承知と言う感じで、他にないかとさらにお尋ねになりました・・・)
日本でも中国でも、現在では、このように残る人と、去る人であいさつは変えません。
しかし、中国でも唐の時代の初めのころの口語では、このような区別があったようです。
その場を去る人が、その場に居残る人に言うのは、「好在(hào zài)」
その場に居残る人が、その場を去る人に言うのは、「好去(hào qù)」
唐の初めのころには、このような違いがあったということ、韓国語では、現在もそのような違いがあること、万葉集にも、「好去」という表現が見られ、当時の人は、日常生活に、中国の言葉をおそらく取り入れていただろうということを思い、懐かしいというか、面白いというか、楽しい気分になりました。^^
文字の素晴らしさ(たとえば、規則さえわかれば、意味がわからなくてもとりあえず、声に出して読むことができる)にも感動しましたが、日本語にはない表現のあいさつの言葉にも驚きました。
たとえば、別れのあいさつの「さようなら」ですが、韓国語では、その場に残る人と、立ち去る人では、言う言葉が違います。
その場を去る人が、その場に居残る人に言うのは、”? ???.” (無事に、安寧に、いてね)
その場に居残る人が、その場を去る人に言うのは、"? ??." (無事に、安寧に、行ってね)
これは、私は非常に面白い表現だと思いました。なぜ、よく覚えているかというと・・・当時、日本からいらっしゃった筑波大学の先生から、韓国語で何か面白い表現はないかと聞かれたので、私はこれを答えたからです。(しかし、筑波大学の先生はそんなことは百も承知と言う感じで、他にないかとさらにお尋ねになりました・・・)
日本でも中国でも、現在では、このように残る人と、去る人であいさつは変えません。
しかし、中国でも唐の時代の初めのころの口語では、このような区別があったようです。
その場を去る人が、その場に居残る人に言うのは、「好在(hào zài)」
その場に居残る人が、その場を去る人に言うのは、「好去(hào qù)」
唐の初めのころには、このような違いがあったということ、韓国語では、現在もそのような違いがあること、万葉集にも、「好去」という表現が見られ、当時の人は、日常生活に、中国の言葉をおそらく取り入れていただろうということを思い、懐かしいというか、面白いというか、楽しい気分になりました。^^