フイッシングショウ時の拓正会の魚拓体験教室
各種の教室がありますが、この教室には参加者が毎年1番に満席になります。
私も現役の大阪府釣り連盟をやらせてもらっているときに、仕掛け教室を始めましたが、この魚拓教室の申し込みには勝てませんでした。
教室の風景
フイッシングショウ時の拓正会の魚拓体験教室
各種の教室がありますが、この教室には参加者が毎年1番に満席になります。
私も現役の大阪府釣り連盟をやらせてもらっているときに、仕掛け教室を始めましたが、この魚拓教室の申し込みには勝てませんでした。
教室の風景
Episode3 老後の釣り2
同じテトラでは夜にはアオリイカ釣りも一時流行した。エサのアジを付けて烏賊が掛かればヤエンで取り込む面白くてスリルのある釣りである。自分も成績は悪くイカを掛けてもヤエンで取り込めるのは半分もなかったように思う。そのために色々と工夫もしたがあまり釣果は上がっていない。この釣りは一時地元でもかなり流行ったがいつのまにかその釣りはすたれた。理由は二つある。一つはエギングによる釣りが主流になってきたこと、もう一つはヤエンのエサであるコアジが居ついてしまったサメに喰われて仕掛けを無茶苦茶にされることである。
しかし地元の釣友がそのテトラで80cm以上のヒラメをそのヤエン仕掛けで取り込んでいる。
Episode4 老後の釣り3
テトラでの釣りだけでなく釣具店で聞いたポイントは川の向こう岸にあった。車で近くまで行き停車して、坂道を下り、小さい山を登り、ロープを伝って下り、岩場を歩き、ゴロゴロする石を進んでまたロープを伝って岩場を登り、そして下り、そんな厄介な釣り場は定員1名の釣り場であった。水深はせいぜい2mくらいである。撒き餌を入れると何も見えないかボラが寄ってくるくらいである。ところが夕方の3時を回るとほぼグレが回って来るのである。そしてそのほとんどが良型である。浅い上にゴロ岩だらけなので思い切り勝負にでなければならないが大体期待を裏切らなかった。
ところがその日は全く魚の反応がなく町のチャイムがなる五時になったその時初めてアタリがあった。軽くあわせるとすごい引きでこれは仕掛けが持たないと思ったが、兎に角よたよたと岩伝いに這いまわりどうにか釣り上げたのが69.5cmのコショウダイであった。大釣連におけるこの魚の記録は66.8cmで自分自身が2003年(63歳)に前記のテトラで釣っていたものである。その記録を約12年後(75歳)自分で自身の記録を更新した。その時は既に大釣連を辞めていたから皮肉である。ただこの魚は大変美味であった。
気楽な会と称して毎月淡路のじやのひれ釣り堀に1泊2日ででかけています。
本当に気楽な会で魚は釣れても、釣れなくても仕方がないという・・・
前日の午前ゆっくりに出て、淡路の太公望にて遅い昼ご飯を食べて、夕方の4時近くから、山形社長の家にて社長が段取りしてくださった、麻雀の例会が始まるのです。
社長は仕事が終わるまで入ることはなく、社長の義姉婿の中川氏が洲本からこの麻雀のために毎月走ってくるのです、そして月1度の楽しみの麻雀を楽しんで夜中に帰られます。
先月は日程がお天気も合わずで1回とんだので、2か月ぶりの再開です、御所名氏が最近都合が悪くて来られてないが、今回も欠席で、代わりに山本氏と井戸川氏が、また参加してくれましたので5人そろいましたと言っても井戸川氏は無理やり三橋氏に連れてこられた?・・・
前日の麻雀は私の一人負けで終りました。
あけて翌日の釣りは、昨日以上に冷え込むとの天気予報でしたが、朝おきて車を見ると、霜が降りてないのでどういう事かなと思った。冷え込むというのは間違いかなと思ったが。釣り場に出てみると、寒い!寒い!防寒カッパをきていて正解でした。
風はないのですが寒さがきつい早々と仕掛けをした横田氏、三橋氏に、あたりは?と聞くが何の返事もない、どうやら厳しい状況のようだと思い、ゆっくりと仕掛けつくり、
今日は先日に作ったマル秘のエサを使うつもりで、まずは鯛仕掛けで第1投風もなく潮の流れもないが、魚の反応もない・・・やがてサーモンの放流
暫くして山本氏のズボニしていた竿にゆっくりとしたアタリ、柔らかい竿を使っていたので気持ちの良い曲がりをしつつ上がってきたのは、先ほど放流されたサーモンでした。
やっと1匹釣れたなーこれからやでと言いながら打ち返しを皆がするが誰の竿にもピクリともアタリがない、ぼくも自分の作ってきたエサでなんとか釣りたいと願いながら新しく大きめのエサにてゆっくりと、落としながら引き釣りをしてみたらこれが当たり、クッという感じで乗ってきたコレハ、サーモンだなとわかった、良く肥えたサーモンでした。
その後に来たのもサーモンでタイは何処に行ったのか・・他のメンバーには誰一人にもアタリがないようです。
その後アタリがないので仕掛けをタン竿にかえて手持ちでさぐることにしたら、早速に当たりが出た。
長く和歌山の富田、海という名で親しまれていたお店、餌とウキの販売をやられておられた、グレ名人の称号を受けてる、藤原義雄氏が年齢と体調でやめられることになり、その記念の大会が行われた、それが私の誕生日と同じ日で何か因縁めいたものを感じます。
藤原氏とは大変長いお付き合いをさせてもらいました、ぼくはどちらかというと底物を狙う方で、藤原氏は上物のグレ、狙いは違うのですが、日本釣り連盟のなかでの和歌山県と大阪府というなかでのお付き合いから・・・
そして私が5年ほど前に富田でウメの処理施設の工事で白浜に小さなマンションを買ったために、よく富田に行くようになり、同じ釣り仲間としてまたお付き合いが始まったのです。
今回の大会は100人を超す大会で12日と19日に分けて行われました。
その時の表彰式からの風景をみて下さい、私らはダメでしたが釣るひとは釣ってます、3つの渡船ごとの表彰では、女性の方も入られておられました。