佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

釣りカルタ「タ」(ダツ)

2021-06-30 19:26:47 | 釣り

「ダツ」

 この魚磯釣りをしているときにもたまに、針にかかってくるが海面を飛び跳  

 ねて、てこに負えない魚である。

 このダツとサヨリは親戚のようで仲間もよく似ている。

 図鑑によると、オキザヨリというのはダツ科で、ホシザヨリというのは

 サヨリ科となるらしいが、ややこしいものです。

 同じ体型であるが大きさが違うという、オキザヨリはMをこえるというが

 ホシザヨリは50センチクラスらしい。

 私らが磯で掛けるダツを、奄美で掛けたときに、その後ろからサメが追い

 かけてきて、ダツが飛び上がるのに合わせて飛び上がってきてびっくりし

 たことがありました。

 この時のダツは賢くて追いかけられると磯際にへばりついてサメからうま

 く逃げました。

 種類としては3種類ぐらいのようで、図鑑には書かれていました。

 

 

 

 

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久しぶりの釣り堀

2021-06-29 19:54:37 | 釣り

しばらくコロナの影響で休んでいた釣り堀に久しぶりに行くことになった。

2回目の接種が23日に済み1週間たったので和歌山の紀州釣り堀に4人で行くことに

なった、紀州は4人から貸し切りをしてくれるので何とか4人揃たので明日行くことに

なった。

森永氏に申し込んでもらって、仲間の光定氏、須賀氏、と藤村氏に無理を言って

来てもらうことになり4人そろた、当初、谷本氏がいけるといっていたのが,急に

他に約束ができたとのことでキヤンセルされて困って藤村氏に無理やり頼んだ

彼は7月3日の土曜日に森永氏の例会で行く予定があり続くからいややというのを

頼み込んできてもらうことになった。

お天気は何とか持ちそうなので、雨やったらすぐに嫌になるので・・・

釣って帰ったら家の方で料理をしてくれる芝崎氏が待ってくれてるので、しっかり

釣って持ち帰らなあかんので大変です。

紀州では「じやのひれ」のように料理してくれないので、持って帰って、近所の

居酒屋「しらさわ」のマスターに・料理してと頼んであるので一安心です。

身近な親しい仲間がいるというのはありがたいことです。

 

 

 

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麻雀

2021-06-28 20:08:41 | 趣味

コロナにより長い事止まっていた、麻雀の会

連合会の月例会に高段者の大会に、全日本の大会にと、色々な大会例会が緊急事態宣言が解除されたとたんに案内が来ました。

まず、全日本高段者麻雀競技大会の案内

   開催日時・・令和3年7月11日(日)

   会場・・・・グランド麻雀ホール藤・・仙台市青葉区一番町

   参加費・・・7000ー円

   資格・・・・4段以上

   賞・・・・・優勝 15万円相当から5位まで〈2万円)と

            6位から20位まで最低が6000円相当の協賛品

   申し込み本部、022-261-5414または各支部まで

 

次に大阪は

   月例会・・・7月11日(日)

   場所・・・・杯杯亭 天山閣

   会費・・・・4000円

   時間・・・・12時30分開始

全日本高段者選考会

   日時・・・7月3日

   場所・・・ブッキング青葉

   会費・・・4000円

   時間・・・12時開始

 

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ことわざと釣り

2021-06-27 19:18:11 | 釣り

「柳の下のドジョウ」

昔から柳の下の泥鰌ということわざがありますが、この意味は一度良い目をしたところにいつもいつも魚はいないよということなのですが、

釣りでもいえるということで、ある磯で大漁であったからと言ってその磯に行くといつも釣れると思うのは間違いですよということ。

磯の場合はその日の潮、流れ、水温といろいろな条件があり、名人クラスの人はその磯に上がった時にその状況をみて仕掛けを考えるという。

私は底物の釣りをしていて上物の釣りはあまりしたことがないのですが、連盟に所属しているころに大会の役員でついていき上物釣りをしたときに、連盟の宮川名人について上がり、教えてもらいました、その時彼の言う通りの釣りをしていたらグレが連続して釣れていたのですが、時間が来て彼が審査に行き、居なくなったら釣れなくなった・・・

しばらくして彼が帰ってきたら、違うポイントを教えてくれたらまた釣れだした、同じところにいつまでも魚はいないよと・・・

一つの磯でも釣れるポイントが変わるということを教えられた。

 

珍しいアンコウの魚拓 拓正会 金森氏

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だぼ鯊のたわごと

2021-06-26 19:07:00 | 日々の思い

 5年前の9月、作家の夢枕獏さんと「日本最古の釣り書・何羨録(かせんろく=一七一六年)」をテーマに「対談」の機会を得ました。獏さんはこの本をヒントに「大江戸釣客伝」という、江戸湾の釣りを舞台にした長編時代小説を発表されましたが、だぼ鯊は、300年前の江戸時代の関西圏の釣りの実態が以前から気になっていました。

 

 阿波藩主、蜂須賀公は

  代々海釣りが好きだった

 

 先に本稿で、和歌山城に務める奥坊主が部類の釣り好きで足繁く和歌浦方面の磯に通った、との文献をご紹介しましたが、「何羨録」に「江都(江戸)へも阿波垣船(阿波堂の浦のテグス行商船)並びに大坂の檜垣船の船頭持ち来たり、(テグスの)商売することあり」=()はだぼ鯊の注=との記述があり、中国から日本にテグスが導入されて間もない宝永~正徳(一七〇四~一七一五)には確かに阿波堂の浦のテグス行商人が活躍していたわけです。

 このことを契機に、三五年ぶりに「阿波」を蒸し返していろいろ調べてみると、なんと、阿波藩の藩主蜂須賀公は代々が大変な釣り好きで、藩内に「御釣り御用」という藩主の「御釣り」のことだけに従事する藩士を十五人も抱え、徳島城下、大岡権現そばの池のほとりに住まわせ「御釣り町」を構成させていたと判りました。その人たちは藩の御印、御紋付の御提灯をもらい、脇差し御免だったというから驚きです。

 当然、釣りが、広く趣味として藩士に親しまれていたことは容易に想像でき、江戸の「何羨録」のような「指南書」も存在したはずなのですが今に伝わる文献は発見されていません。

 しかし、だぼ鯊は、あったはず、と信じたいのです。

 信じたいのは、徳島における釣りの歴史の古さと厚みです。堂の浦のテグス行商船に始まり、船釣り、磯釣り、淡水の釣りを問わず、格調の高いものであったに違いありません。例に挙げたいのは、戦後間もない昭和二十年代に作られた「大公望書」という孔版印刷(ガリ版)の見能林から富岡にかけての釣りのガイド書です。冒頭に「魚釣りの心得九ケ条」が掲げられています。

   ◇  ◇  ◇

一、汐時を考へて 丸島半時間、中津一時間、淡島一時間半遅れる

二、天気具合を考へて 晴曇 風向 波の大小

三、釣り道具の調子をよく見て 磯色に合すこと 手まめに磨くこと

四、餌の善悪 夏は川エビ、冬は田エビ 白いもの、赤いもの、生死

五、磯の釣場をよく考へて チヌ、クロベは笑、アヒは静かな所、底の「しもり」を見て

六、かぶせの打ち所 一番 遊郭、鳥の糞以外は常に釣らんとする所より一間……一間半汐上に打て

七、浮下に注意して

八、針 人より常に一分小さなもの

九、鉛の打ち方 アイは尺、チヌは一尋と知るべし

   ◇  ◇  ◇

 この後、昭和三十三年にはやはり孔版印刷で「富岡の釣り」というガイド書が出ていますが、冒頭に「釣法秘訣心得」があり、明らかに前述の「魚釣りの心得九ケ条」が下敷きで、今度は十ケ条になっているではありませんか。

 だぼ鯊が類推するに、おそらくは「御釣り御用」が存在した江戸末期に、こうした指南書の「種本」が存在し、明治、大正、と時の流れの中で、改訂され、増補され、昭和時代へと受け継がれてきたに違いないと。=この項次号へ続く=(八木禧昌記 からくさ文庫主宰)

 

追記(佐藤)

   久しぶりのダボ鯊の記事楽しく読みました、徳島のチヌ釣りの由来というか、このような記事は地元の有名人である

   松田稔氏には知っていてほしい記事ですね、松田さんのことをネットで調べると指切断との記事が出ていましたが

   いい加減なことをかかれていましたが、私だけがしっている?

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