函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

平清盛、信西VS頼長!!

2012-05-22 | 歴史

後白河VS崇徳、いよいよ保元の乱が始まりそうです

後白河ではなく崇徳上皇の息子・重仁親王を即位させていれば

保元の乱は起きなかったかも知れません。

重仁親王は美福門院得子の養子となっており養母にあたる美福

門院得子も我が子同然に可愛がっていたと言われているのです

実の息子・近衛天皇が亡くなった今、得子にとって権力の保持が

最大の目的だった筈です。

実の子・近衛天皇が亡くなったのですから義理とはいえ可愛がっ

ていた重仁親王が即位する事に不服はなかったと僕は思ってい

ます

問題は鳥羽法皇。

危篤になっても『崇徳上皇が見舞いに来たら追い返せ』と寵臣に

言っているくらいですから、想像する以上に崇徳上皇を嫌っていた

のでしょうか??

ドラマでは清盛が太刀を抜いて『遅すぎました!!』と言って崇徳上皇

を追い返しますが、上皇に対してあんな態度をとる事などあり得ませ

少し度か過ぎた演出のような気がしますね

 

崇徳帝側につくと決めた頼盛ですが、実母の池禅尼に諭されます。

池禅尼には天皇側が勝つとの確信があった筈です

実子である頼盛を殺す訳にはいかないのです。

それでも上皇側に馳せ参じようとする頼盛ですが、何故か忠正が

上皇側につき頼盛は説得された形になりました。

忠正が平家の分裂を防ぐ為に身代わりになったと言う事なのでし

ょうか??

ドラマとしては泣かせる場面かも知れませんが、全くあり得ません

忠正は頼長に仕え出世して来たのです。

今更、天皇側につくなどあり得ません

忠正に時流を見る目が有れば上皇側につく事はなかつた筈です。

池禅尼の方が世の流れをしっかり見極めていたという事になりま

すね

ところで… 

信西の画策により謀反人の烙印を押された頼長、正当性を得るた

めには崇徳上皇と組むしか道が残されていなかったようです。

賊軍として戦うという事は、戦う前から負けを意味しているのです。

保元の乱は見方を変えれば二人の秀才、信西VS頼長と戦いと言

っても過言ではありません

武士を押さえつけ戦略にも口を出した頼長、武士の言う事を聞き戦

略は武士に任せた信西。

結果は火を見るより明らかですね

 

 

コメント
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