函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

軍師官兵衛、雇用対策だったのかも知れませんね??

2014-10-21 | 歴史

何とも意味深な茶々と三成の密会

もう一度秀吉の子を産んでみせると三成に宣言する茶々ですが、

まるで捨ても拾いも種は三成だと言っている様なもの

秀吉の子を産んだのは茶々以外にもいるのですが、晩年に続け

て子を授かるとは…

秀吉の子供ではない可能性が高そうですね

 

朝鮮を足掛かりに明へ攻め込むという壮大な計画を立てた秀吉

一見、無謀に見える唐入りですが、必然性もあったのではと僕は

思っています。

天下統一は成し遂げましたが、職業軍人と化した武士の居場所が

ありません

一般市民は戦の無い世を望んでいたでしょうが、武士は違います。

むしろ戦を望んでいた筈です

実力で一国一城の主になれるかも知れないのですから…

出世の道は勿論、ジャパニーズドリームの道も絶たれるのです。

武士にとって戦がなければ不平不満が満ち溢れてきます

秀吉の唐入りは武士の雇用対策といった側面もあるのではないの

でしょうか?

江戸初期の島原の乱や明治初期の西南の役も似た様な事が言え

るのかも知れませんね。

江戸時代の武士のように官僚化した政治体制を作るのには、まだ

時間が必要だったと言う事なのでしょうか?

 

有力大名を五大老として政治の中枢に置いた秀吉と、有力大名を

政治に参加させなかった家康。

政治家としては家康の方がはるかに上の様な気がします

歴史にIFはないと言いますが…

三成がもう少し遅く生まれていれば、徳川幕府の優秀な官僚で一生

を終えていたかも知れませんね

 

 

コメント
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