何とも意味深な茶々と三成の密会
もう一度秀吉の子を産んでみせると三成に宣言する茶々ですが、
まるで捨ても拾いも種は三成だと言っている様なもの
秀吉の子を産んだのは茶々以外にもいるのですが、晩年に続け
て子を授かるとは…
秀吉の子供ではない可能性が高そうですね
朝鮮を足掛かりに明へ攻め込むという壮大な計画を立てた秀吉
一見、無謀に見える唐入りですが、必然性もあったのではと僕は
思っています。
天下統一は成し遂げましたが、職業軍人と化した武士の居場所が
ありません
一般市民は戦の無い世を望んでいたでしょうが、武士は違います。
むしろ戦を望んでいた筈です
実力で一国一城の主になれるかも知れないのですから…
出世の道は勿論、ジャパニーズドリームの道も絶たれるのです。
武士にとって戦がなければ不平不満が満ち溢れてきます
秀吉の唐入りは武士の雇用対策といった側面もあるのではないの
でしょうか?
江戸初期の島原の乱や明治初期の西南の役も似た様な事が言え
るのかも知れませんね。
江戸時代の武士のように官僚化した政治体制を作るのには、まだ
時間が必要だったと言う事なのでしょうか?
有力大名を五大老として政治の中枢に置いた秀吉と、有力大名を
政治に参加させなかった家康。
政治家としては家康の方がはるかに上の様な気がします
歴史にIFはないと言いますが…
三成がもう少し遅く生まれていれば、徳川幕府の優秀な官僚で一生
を終えていたかも知れませんね