函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

真田丸、三人に迷いは無かったのです!!

2016-09-05 | 歴史

今週は感動的な場面として言い伝えられている「犬伏の別れ」

でしたね

親子三人で議論を重ね、真田家が生き残る道を模索した結果、

東西に分かれたかの様に言われていますが果たして…

昌幸は石田三成の妻と縁続き、信繁は大谷吉継の娘婿、信幸

は家康の重臣・本田忠勝の娘婿と至極自然な形で東西に分か

れたのです。

三人におそらく迷いは無かったでしょうね


それにしても、ドラマでの演技には泣かされました

「豊臣と徳川に分かれても真田は一つ。」と言い切る信幸に

対し「良い策じゃ。」と頷く昌幸。

涙が止まらない信繁の肩にそっと手を添える信幸

真田家の嫡子としての振る舞いを感じます。

 

いよいよ天下分け目の関ケ原ですが、大谷吉継は何故?西軍

についたのでしょうか??

三成との友情から西軍に味方したと言われていますが、それ

だけでしょうか??

負けると分かっている戦いに吉継ほどの武将が挑むとは思わ

れません。

吉継には勝利する自信があった筈です。

東軍の主力は豊臣子飼の大名達です。 

秀頼がいる限り長期戦に持ち込めば勝つ可能性がかなり高か

ったと個人的には思っています。

吉継にとって誤算だったのは関ケ原の戦いが半日で終わった

事です

戦いが終わるまで少なくても半年から数年は掛かると考えて

いた筈

運が無かったと言えばそれまでですが、東軍に比べあまりに

も万全な布陣を敷いたのも仇になったのかも知れません

今、総攻撃すれば勝てると三成は思ったのではないのでしょ

うか??

長期戦に持ち込めなかったのが悔やまれます

 

敗戦が濃厚になると西軍の武将達はこぞって逃走を始めますが、

吉継だけは違いました

関ケ原の戦いで自刃して果てたのは大谷吉継ただ一人、その潔

さは信繁にも通じるものがありますね。

後に吉継と激戦した藤堂高虎が吉継の墓を建てています

敵の有力武将の墓を建てるとなると徳川から睨まれる事になる

かも知れません

そのリスクを負ってでも墓を建てた高虎の心の中には吉継に対

しての尊敬の念があったのでしょうか??

高虎の心を駆り立てたものは何だったのでしょうか??

家康も高虎を罰する事も無く不問にふしています

敵将からも尊敬の念を持たれていた吉継。

あまりにも潔い生き様ですね





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