函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

鎌倉殿の13人、女の戦い!!

2022-12-05 | 歴史

源氏の父と北条の母から生まれた阿野時元。 

実朝亡き後、数少ない鎌倉殿の候補ですね 

次期鎌倉殿として声が掛かってもおかしく

ない立ち位置にいた時元が、自ら謀反を起

こすとは考え難い感じがします 

義時や政子が皇族将軍を当てにしていたの

もありますが、時元の母・阿波局の影響力

の廃除が狙いだったのでは

ある意味、女の戦いです 

時元が鎌倉殿になれば、阿波局の権力は政

子を凌ぐ事になります

権力闘争をしていたのは男だけではなかっ

たのです。 

政子か義時、おそらく二人の意志で時元を

殺したのでしょうね 

 

尼将軍となった政子が最初に下した命令は、

囚われていた阿波局の放免です 

流石に、政子にも後ろめたさがあったので

しょうか? 

その後、阿波局は政治の表舞台から完全に

姿を消します。 

女の戦いの勝者は政子=尼将軍だった様で

すね。 

 

それにしても、義時の陰湿さ、感情の無さ

が際立ってきました

政子が尼将軍を宣言した背景には、そんな

義時を危惧したからなのかも知れません 

 

「八重も比奈も、もう少し出来たおなご

あった。」と義時に言われたのえですが、

流石にショックを隠せない見たいです

のえが根に持っても仕方のない一言でした

のえの子供・正村も登場していましたが、

義時亡き後、三浦義村と共謀して起こした

と言われている伊賀の乱がよぎります

もしかして?この時点で義村とのえは繋が

っていたのかも知れませんね 

義時の放った一言が、義時暗殺のエピロー

グの引きがねを引いたのかも知れません。 

あくまでも個人的な妄想ですが…

 

 

 

 

 

コメント
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