函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

どうする家康、氏綱の遺言!!

2023-10-02 | 歴史

北条家を潰し、遂に天下人となった秀吉の暴走が

止まりそうにありませんね 

息子・鶴松が病死してしまいますが、その悲しみ

を糧にするかの様に高笑いを始め、「次は何を手

に入れようかの。」と囁く下り… 

精神的に壊れていく人間の愚かさを感じてしまい

ます

欲望でしか悲しみを補う事が出来ないものなので

しょうか? 

死ぬまで秀吉の暴走は止まりそうにありませんね

戦が無くなった後の平穏な世の中を維持する術が

秀吉には無かったのかも知れません。

ところで… 

小田原北条氏の初代は早雲ですが、早雲は伊勢宗

瑞 と名乗っています

姓を北条と称したのは、傑物と言われた二代・氏

綱からですね

氏綱は54歳で亡くなりますが、26歳と若い跡取り・

氏康に遺訓を残しています

その中に、「義を守りての滅亡と、義を捨てての

栄華とは天地格別である」とあります 

お家大事の戦国の世にあって、「義がなければ家

名を保ってもしかたがない、義を守っての滅亡の

方がましだ。」と息子・氏康を諭しているのです 

この考え方が氏政・氏直親子にも脈々と伝わって

いたのでしょうか? 

氏康の後を継いだ氏政と息子の氏直の時に北条家

は上野・信濃・甲斐へと進出し北条領国の最盛期

を迎えます

遺訓を守り質素倹約に努め、善政を敷き、領国経

営を続けたたまものです 

氏政親子は決して秀吉に対抗しようと思っていた

訳ではないと個人的には思っています。 

家臣は別として、北条家の歴代当主は天下への野

心はなく、天下へ号令しようとも思っていなかっ

た筈です 

自分たちの治めている関東は自分たちの手で守り

たかっただけなのでは… 

返す返すも、「義を守っての滅亡の方がましだ。」

と言い残した氏綱の遺訓が悔やまれます

綺麗事だけでは家名を残す事が出来ませんが、氏

政親子の行動には清々しさを覚えるのも事実です 

秀吉という、最下層から最高権力者に成り上がっ

たにわ者には臣従は出来ないというプライドが邪

魔したのかも知れません? 

信長や家康だったらおそらく臣従していた筈です 

裏を返せば、秀吉を見下していたと言う事なので

しょうかね ??

 

 


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